大学に行っていた当時、いつもリュックを背負って登校していた。 授業開始の一時間ほど前に起床し、身なりを整えて家を出る。 不思議なことに、どれだけ授業開始時刻が遅くてもこの流れは大抵同じ。 時間の限られた身支度の時間に、椅子に座ってコーヒーを飲みながらご飯を食べる時間などない。 当時の私はおっちょこちょいなJK然とした面構えでパンをくわえながら身支度をする程、準備を効率的に進めていた。 と、これは誇張だが、準備中いつだって私の口の中にパンがあったことは事実だ。咥えて移動し
心霊スポットに行ったことが何度かある。 中学生の頃、地元で有名な廃墟に友人数人と行ったのがおそらく最初だ。 誰かが管理していた土地だったらごめんなさい。 そこはもとは普通の一軒家で、ボロボロでありながらも両隣には普通に家があり、そこには居住者も居た。 そんな生活感のある空間に一軒だけ、空気も様相も全く違う土地が挟まっていて、その違和感が思春期真っ只中だった当時の私達の心を捉えて離さなかった。 友人に声をかけられ何度もその家の前まで行っては「こえ~」などと言っていつもみ
夏というのは、夜まで暑い日々が何日も続く季節のことを言う。 これは私の主観。 北海道に住んでいると夏とのお別れが早い。 この感覚は、大学の四年間で関東に住んでいたからこそ養われたもので、仮に私が生まれてから今までずっと北海道に住んでいたとしたら、「北海道のほうが早い」という感覚は持たないままだったことと思う。 比較対象がないから。 関東では、「夏休みが終わっても、夏は終わっていない」という印象がある。 大学の夏休みや春休みというのは、大学生にとってはおおよそ自律という言
マスクをつけるという行為が特別なことではなくなってから久しい。 マスクをつけて学校に行った時に、「風邪ひいたの❓」と言ってくるあの人はもうどこかへ行ってしまった。 しかし最近そんなあの人の足音が聞こえてくる。 足音と共に「..ぜ..た..」「..ぜひ…の❓」と日に日にその声も大きくなってきているような気がする。 怯えたふうに言いながらも私自身はとくにマスクをずっとしていたいタイプではなく、むしろもう永遠に着けたくないタイプである。 そのため、ソイツに追いつかれて仕舞えば私
矯正を十数ヶ月していた私の、終了後の楽しみの一つに「カレー」があった。 矯正器具が黄ばんでしまうため、食べるのを躊躇しており、実際この十数ヶ月で食べたのはおそらく三回ほど。 祖母の家で出された「実家の味アルティメットモードのカレー」と、喫茶店のランチがそれしかなかった時に食べた「もうどうにでもなれカレー」と、家庭教師先で貰った「善意が隠し味のカレー」の三点だ。ちなみに下の写真は「実家の味アルティメットモードのカレー」。 どれもとても美味しかった。 こうして事細かに挙げる
感情は一種のコスチュームだ。 纏い、外にアピールすることでその人を表現することができ、少なくともその情報は、その人がどんな人たるかを想定する一つの材料になりうる。 全身タイツのスパイダーマンが変態扱いされることがあるように。 スパイダーマンを例に取ってしまうと、人を見たところで判断することの愚かしさが先行してしまうが、それがよくないことだとは言っても、やはり外側から受け取れる情報はかなり大きいと思う。 あるところに、忙しくなると途端に不機嫌になる人がいる。お客さんが来る前
年度終わり、年度始めを久しぶりに実家で過ごした。 皆が大学卒業をお祝いしてくれて、兄の誕生日も祝われて、たくさん外食して、友達と飲みに行って、家族や愛猫(もちろん愛猫も家族だけどね)と長い時間を過ごす。 まさにパーフェクトな一週間だった。 実家から今住んでいるところへ帰る前日には、祖母と家族とお寿司を食べに行った。 私は三人兄弟の末っ子なのだが、長男は自分の用事があるからと、美味しい美味しい寿司を顧みずに自分の都合を優先する自我があり、こいつはやはり長男だなと思った。
図々しくも行きつけにさせていただいている喫茶店がある。 かれこれ一年通っていて、たくさんご馳走してくれる陽気なおじさん(rさん)がいて、気さくに話しかけてくれて、お店を出るときにいつも何かしらくれるマスターがいる。 マスターというのは女性だが、マスターの女性バージョンの呼び方があるのか、はたまた女性でもマスターというのかは定かではなない。 しかしここで私が調べて新しく得た呼び名でその人を呼んでもどうも馴染みがないため、ここでは尊称として「マスター」と呼びたい。 店内は照
私は、この人とはうまくいかなそうだなというのがなんとなく肌でわかる。 否。 わかった気になる。 しかし私自身、中学から高校へと環境が変わったのと同時にメガネを掛け始めるという変身を遂げた際に、突然「ガリ勉」のレッテルが私につきまとい始めた経験があり、 それ以降、周りからの扱いが変わったせいで、以前は仲良くなれたタイプの人間と仲良くなるのが困難になったという経験があるため、人を印象で決めつけることのくだらなさを身にしみて知っている。 私自身の内面が著しく変わったわけで
ぱっと目が覚めて、布団を取り上げた母親が私に向かって言う。 「今日は遊園地に行くよ」 こみ上げてくる嬉しさに思わず声を上げて起き上がろうとしたとき、 目の前の景色は一瞬にして真っ白なアパートの天井に切り替わった。 息切れをしている。 目の横から枕に向かって落ちていくものが涙であることに気が付いて、自分は夢で泣いていたのだと気が付く。 存在しない記憶だ。突然起こされて遊園地に出かけたことなどない。 でもいつか、確実に、似たようなことはあった。 親に起こされて、その
おひさ。 フォロワーが5000人くらいほしいです。 そうすれば、仮に有料記事を全員が買ったらもうすごい額になる。 まあ、購入される有料記事なんてのは有益なモノしかないわけで、私の提供できるものはバカ面白い日記くらいでしかない故に、実現は遠いんですけどね。 それでも、欲しい。 仮に今悪魔が私の脳内に直接語り掛けてきて、 「力が欲しいか」 と言ってきたら、力はいいからフォロワーをくれ!と言うだろう。 お金を稼ぐのって大変ですよね。あ、お金貰えばいいのか。 本題に戻
人は何のためにものを書くのでしょうか。 誰にも見せる気のない日記ですら、万が一誰かに見られた時のことを考えて、中途半端に繕われたものを書き上げてしまう。 それは見られた時に恥をかかないためという、条件がそろった時に初めて発動する守備表示のようなもので、案外使う機会もなくデュエルが終わることもあるのだろうと思う。 未来の、まだ存在していない自分のための守備表示は、今の私をないがしろにしていないか。 気のすむままに吐き出せなかった今の自分は、では誰がどのようにして守るのか
まず今日は11時半に起きた。 昨日は24時半には既に眠りについていたと考えられるので、軽く見積もって11時間は寝ていることになる。 最高の滑り出しだ。 通常、睡眠時間と言えばせいぜい八時間が皆さんの許容範囲であろう。 しかし私にとって睡眠は、趣味の中でもかなり上位に位置している。 つまり、必要な睡眠量の8時間を差し引けば、8時半を過ぎて、そこから三時間、趣味に時間を費やしたことになるのだ。 なんて有意義なのだろうか。 おまけに今朝はしっかり8時半に一度目を覚まし
大学四年になって、今までできていなかった色々なことがやっと解禁された。 原則オンラインだった大学の授業は原則対面へとシフトし、学校のイベント事も徐々に解禁されていった。 しかし、私が大学に行くのはあと一年。 しかもこの一年に受ける授業は、ゼミだけ。 みなさんと同じように、ワイワイとした大学生活をイメージしていた私にとって、この現実との落差はまるでタワーオブテラーだ。 大学生になって、彼女と行こうと思っていたディズニーシーも行けていない。そもそも彼女ができていない。
今日も私は人に迷惑を掛けた。 シフトが入っていることを知らずに、本来ならあるはずのない休日を勝手に謳歌していたのだ。 店長から「今日のところは大丈夫だから」というお言葉を頂いたことではじめて、本来あるはずのなかった私の虚構の休日は認められた休日として現実になった。 「のだ」だとか偉そうな口調で語っているが、実際は心の底からの謝辞を精一杯に示し、今後はないようにと心に決めた。 「心の底」と言うと、鉱石のようなキラキラの謝辞を奥底から掘り起こして上納したようなイメージにな
眠りにつく前か後か。 信じられんほどでかい音を聞いた。 地上に向かって何かが一瞬にして局所的にかつ大量に降り注いだような 地上に向かって特大のハリセンを叩きつけたようなありえんほどでかい音。 それが夢の中で聞いたものなのか、眠る前に聞いたものなのかはわからない。 しかし確実に記憶には刻まれていた。 夢の中で私はその音の話を森さんにしていた。 森さんというのはおそらく人間ではない。 真っ暗闇の夜空の下、生い茂る木々に向かって、大きな音を聞いた話を大声でしていたから