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怪物の人間関係

私は、この人とはうまくいかなそうだなというのがなんとなく肌でわかる。

否。

わかった気になる。


しかし私自身、中学から高校へと環境が変わったのと同時にメガネを掛け始めるという変身を遂げた際に、突然「ガリ勉」のレッテルが私につきまとい始めた経験があり、

それ以降、周りからの扱いが変わったせいで、以前は仲良くなれたタイプの人間と仲良くなるのが困難になったという経験があるため、人を印象で決めつけることのくだらなさを身にしみて知っている。

私自身の内面が著しく変わったわけではないのに、「印象」が、私の客観を変え、人間関係を変えた。

ガリ勉でもなんでもなかった私は高校に入ってから突然このレッテルのせいで一目を置かれてしまったので、逆にそっちに合わせてやろうと、勉強を始め、そのおかげもあって晴れて国公立大学に入学するまでに成長できたわけなので、一概に悪いことであるとは言えないが、

印象で人を決めつけてそれを人間関係に持ち込むことがいかに人生に不利益をもたらすかというのは、私にレッテルを貼り付けて距離をおいたせいで私という面白い人間と仲良くなる機会を逃した人々を見れば十分にわかる。

彼らの損失は計り知れないほど大きいだろう。

そのため特に大学に入学してからは、食わず嫌いをせずにいろいろな人と仲良くなる努力をしてみた。

しかし努力をすればするほど、どうしても仲良くなれない人間の存在が浮き彫りになる。

そして悲しいことに、こちらは仲良くなりたいのにどうもうまくいかない人もちらほら出てくる。

その場合はいつも、こちらはどうしようもなく相手の良いところに目がいっていて、すごく仲良くなりたいと思うのに、

こちらの出方がわからなくて、うまく自分を開示できない。


私は自分のことをかなり面白い人間だと思っているし、自信がないわけではないが、「仲良くなりたいな」と気張っているときはだいたい空回りしていて、自然体の一番面白い自分が伝わらない傾向にある。


無難に話を合わせようとつまらない愛想笑いをしたかと思えば、爪痕を残そうとして「そんなやつ殺してしまえばいい」などと過激すぎることを言い出したりと、

抑えすぎたり振り切りすぎたりしてしまう。

うまい距離感の掴み方がわからなくなる。


そのせいで相手はたいして私には興味を持っていなくて、結果は振るわない。


人間関係とはかなり難しい。


無理に策を労さなくても、例えば高校までのクラスや部活動のような、長時間一緒にいるのが必然である場合には、私も別に気張ることもないため

一番面白い形態の私の魅力が最大限に伝わる。

だから私の魅力を知っている人間がこの世に一人もいないわけではないのだが、いざ大学に入り、そういった環境がなくなった上にコロナで閉鎖的な人間関係が突きつけられたせいで、能動的に人と仲良くなる努力をするというフィールドではてんで無力であるということがわかった。


もはや私は人と仲良くなりたいのにうまくいかない怪物のようなものだ。


すべての人間に最初から自分のすべてを開示するというのはどうにも難しいことだし、そんなことはそもそもする必要もないのかもしれない。

おそらく大体の人がしていないだろう。

しかし人と良好な関係を早いうちから築くことができている人というのは、開示できるその人の魅力を理性でか本能でか、早い段階でうまく開示することができる人だろう。必要十分の量を。


では私はというと、石橋を叩いて渡るスタイルである。どこで崩壊するかわからない恐怖に囚われて、「これは言っていいのか」「これくらい自分を見せていいのか」と慎重になりすぎてしまう。


そして慎重に叩いてわたった挙げ句に叩きすぎたダメージが蓄積して橋が崩壊する。
私と相手をつなぐ人間関係という橋も、私自身もおしゃかである。


自分が傷つく分には一向に構わないのだが、相手が嫌な思いにならないかとかそういったことが気にかかる。


そしてさらにどうしようもないことに、私はブラックジョークが大好きなのだ。この性格で。

自分でも意味がわからない。

むやみに人を傷つけるのが大嫌いで、人にマイナスの感情を抱かせることを避ける性格であるのにブラックジョークが好き。

だからこそ言える人を見つけては尻尾を振って駆け出す。


だからこそ、本性を出すハードルが高いのかもしれない。

何も気張らずに自然と集まってくる人とだけ仲良くなればこの悩みもたいしたことないのかもしれないが、

仲良くなりたい人もいるんだもん。しかし気張るとよくない。


春は別れの季節だ。

こうした理由で親密になりそこねた人間が実のところ山のようにいる。

しかしまあ春になると山の木々も色を伴って咲き乱れるわけだし、そう考えたらこうして不本意にも出来上がってしまった山の中からもしかしたら咲く花があるかもしれないし、この山の上からなにか今までとは違った景色が見えるかもしれない。

気休めでしかないかもしれないけれど、こう思うことにして私はこれからも努力を続けようと思う。

うまくいかなかったとしても、私が悲しい反面では確実に相手だって損しているわけだしな。

これ以上損する人間が増えないように、みんなのためにも私は頑張る。

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