『銀の匙』の泉を求めて
-中勘助先生の評伝のための基礎作業 (22) 休職から退職へ
小野寺先生は明治38年9月から二年生になりました。諸先生の講義が次々と開講され、そのなかに金一先生と稲田先生の内科の講義もあったということですから、金一先生は赴任してまもなく、年度の途中の明治39年3月か4月あたりから講義を始めたのではないかと思います。金一先生は和服姿で教壇に上がって小野寺先生を驚かせました。講義は朗読的で、それもまた学生たちを驚かせたということですが、朗読的な講義というのはどのような講義だったのでしょうか。
小野寺先生が三年生のときというと、明治39年