『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (18) 神戸にて
既述のように、中先生の兄金一がドイツ留学を終えて帰国したのは明治38年11月のことでした。ドイツ滞在中にすでに明治36年12月14日付で福岡医科大学助教授の辞令が出され、帰国直後の明治38年11月30日付で内科学第二講座担当の教授の辞令が出ていましたので、あまり時間をおかずに福岡に移らなければなりませんが、もう年末のことですし、福岡行は年明けの1月はじめになりました。いくばくかの消息を山田さんが伝えています。山田さんの遺稿集『山田又吉遺稿』に収録されている書簡は全部で188通。中先生に宛てた1月10日付の第77書簡を見ると、
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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。
●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
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