『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (19) 中金一教授の講義ノート
九州帝国大学は明治43年12月に公布された勅令第448号をもって設立され、明治44年1月より施行されました。発足時の九州帝大は工科大学と医科大学の二つの分科大学で構成されていました。工科大学は新設ですが、医科大学の前身の福岡医科大学は京都帝国大学を構成する分科大学のひとつでした。現在の九州大学医学部は福岡医科大学から始まったと見られていて、同窓会名簿なども福岡医科大学の第一期卒業生から記載されています。九州大学は明治44年から数えて平成23年(2011年)に創立100周年を迎えましたが、京都帝大福岡医科大学が設置されたのは明治36年で、この年の3月24日付の勅令第54号をもって京都帝国大学第二医科大学を福岡に設置し、京都帝国大学福岡医科大学と称することが公布されました。
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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。
●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
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