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TOKYO UTOPIA

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余白を余白のまま価値とする。モノに溢れた現代においては、そんなことが可能だと思う。光と水、香り、音、そして触れること。そんな簡単なものだけで、求めている世界は作れるのかもしれない…
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#コラム

無駄なものと暮らす

「好きな自宅は?」と聞かれたら「フィンランドにあるアルヴァ・アアルトの自邸」と答える。ヘルシンキの中心から少し離れた高級住宅街にひっそりと立つお家で、書斎からの眺め(上記写真)が最高なのはもちろんのこと、この家には“あらかた生活必需品の類が見られない”からだ。いや、本当は生活必需品もたくさんあると思う。だけど、全てこだわり抜いて集めた逸品ばかりで、全て趣味の蒐集品のように見えたのだ。 生活に必要な最低限のものしか持たない「ミニマリスト」という言葉があるが、僕は其れが少し苦手

宗教と山、哲学と登山。

宗教と哲学の違いとは何だろう。もちろん明晰な答えがないことは自明だが、個人的には山に例えて「宗教=山」で「哲学=登山」だと思っている。 宗教は“教義”という山頂がある山のようなもので、頂へたどり着くにはどんな登り方(祈り方?)をしてもいいし、疲れたら休んでもいい。相手は山だからこちらに何も求めてこないが、求められれば(祈ることで)答えてはくれるような存在である。事実、日本では大体の寺が山奥にあって、修行といえばそこで行われるものである。 一方の哲学は登山という行為を指す。

自然と吸い寄せられる彫刻作品

「触れることができる美術館」について前回書いたが、その展示を行なっていた北海道立近代美術館には、こんな石のようなオブジェがある。安田侃という北海道出身の彫刻家の作品で、僕はこの方の作品が大好きだ。 北海道出身というだけあって、北海道立近代美術館をはじめ、北海道駅の待ち合わせ場所(下写真)や洞爺湖沿い(TOP)など、いたるところに彼の作品が置かれている。出身地・美唄(びばい)には「安田侃彫刻美術」もあるほどだ。 安田の作品は東京にも数多くある。一番有名なのは、六本木ヒルズだ

心洗われる空気のある場所に

あの本に出会って価値観が変わったとか、あの音楽を聴いてミュージシャンなったとか、海外旅行で見た光景が今のビジネスにつながったとか。取材をしていると、そういう話をよく聞く。 人生を変えるほどの出会いって、どの程度あるのだろう。ぼくには、そういう経験がない。もちろん、単純な経験不足かもしれない。気付くべき感性が欠如しているだけかもしれない。でも、何かとの出会いが人生を大きく変えたことは今のところ多分ない。 たしかに大学時代もその後の進路も今の仕事も、どれもあんまり普通じゃない

みんな“ゆらぎ”を求めている

大磯プリンスホテルに「THERMAL SPA S.WAVE 」というスパがある。海につながるインフィニティプールが話題だけど、温度帯の異なる4つのサウナが面白かった。自分の適温を見つけていくあの感覚、すごく心地が良かった。 サイトにあるロゴを見てもわかるように、“ゆらぎ”がこの施設の大切なキーワード。“ゆらぎ”に溶け込むような感覚が味わえるというわけだ。夜のインフィニティプールも、そういった意味ではすごく不思議な気分になれる場所。プールと海と空の境界が曖昧で、自分の居場所が

小田原から太陽へと続く長い道

僕が大好きな芸術家の一人・杉本博司による壮大な美術館「江ノ浦測候所」。小田原にある予約制の美術館で、今となってはかなり有名になったが、ここはやはり建築好きの人々にとっては垂涎の的だろう。予約制なので混むこともなく、ゆっくりと見られるのもいい。 とは言っても、芸術品が飾られているというよりは、建物自体がアート。その点で「豊島美術館」に通づるものがあって、好きなわけだ。しかも、建築は全て自然に向かって作られている点もいい。 たとえばこの「夏至光遥拝100メートルギャラリー」に

心のざわつきと、どこまでも透明な湖

午前中の宅配を待ち、12時過ぎに家を出た。電車に乗ろうとしたところ、人身事故があったという案内。僕が向かう方面の隣駅だった。2駅先で乗り換えがあるので、仕方ないから歩こうと思い直し、炎天下の中を20分ほど歩いた。 何も考えていなかったのだけれど、線路沿いに駅を目指したせいで、人身事故の現場を通ってしまった。現場には無数の警察車両、消防隊が止まり、無表情のまま交通整備と現場検証を行なっていた。事故車両の電車にはまだたくさんの人が乗ったまま、動き出すのを待っていた。向かいから来

スマホを忘れてしまうほどのアナログな体験

ここ最近何でもかんでもデジタル化している世の中だけど、本当にそんなにデジタル化って必要なのだろうか。IoT家電とかボイスコマースとか、本当に今の水準で必要なのかなあと思う。 僕はテクノロジーとかスタートアップとかの記事を書くことが多いので、デジタルネイティブだと思われがちだが、実際はむしろめちゃくちゃアナログな人間。クーラーもテレビも手でつけたい派だし、読書は絶対にデジタルでしたくない。スマホだってつねに最新版にアップデートしたいなんて思わない(今のスマホもう3年目だし・・

「感動の閾値」は人それぞれである。

人にはそれぞれ「感動の閾値」がある。自分が作った(広義の意味で記事とか写真とかSNS投稿とかも含めての)作品に対する感動の閾値は、人によって異なるのである。 自分が渾身の思いを込めて作ったものが評価されるかどうかは作り上げた作品の閾値次第で、最高傑作だと思っても案外評価されなかったり、6割くらいのパワーで作ったものが褒められたりもする。全力の作品が評価されると、この上なく嬉しいわけだが、このバランスはとても難しい。 閾値の設定ははたして自ずからできるものなのだろうか。ウェ

裏側まで見通せる真っ白な建築

神奈川県の横須賀市、観音崎公園内に「横須賀美術館」という美術館がある。東京からどうやっていくのか忘れたけれど、電車とバスを乗り継いで少し遠いところにあった。それほど大きくない美術館で、疲れない程度に見て回るにはちょうどいいサイズ。家族連れも多い。 設計は山本理顕。個人的には日本と欧米を掛け合わせたような控えめな建築が好きなんだけれど、無機質ながらも嘘のない山本理顕の建築はとても好きである。一番の特徴なのかわからないが、美術館の屋上がとにかく広くて開放的で(上の写真)、そこへ

遠くに見える、あいまいな境界線

ゴールデンウィークの北海道は我が儘だった。2年前に訪れた時には25度以上の気温で、お昼にはTシャツでも暑いくらいだった。ところが、今年は寒かった。天気がパッとしなかったし、僕らが山奥を目指したのも関係しているが、層雲峡にはまだまだ雪が積もっていて、朝の気温はなんと3度だった。 はじめて訪れた洞爺湖も肌寒かった。写真の通り、湖と空の区別がつかないような曇天で、本当はこの先に小さな中之島があるんだけれど、一切見えなかった。とにかく霧がひどくて、湖を訪れるまでの道は視界が数十メー

なぜこの駅が好きなんだろう

昨日も書いたように、移動自体が目的になるような旅があれば面白いと思うのだけれど、その駅自体が楽しみで電車に乗るってのもの悪くない。その一つが日立駅だった。妹島和世による設計で、建築好きにも海好きにもたまらないであろうこの駅には、全面オーシャンビューのカフェもある。 僕は茨城へ行くついでに、足を伸ばして、日立駅まで行ったのだけど、疲れ果てていたことと帰りの電車が1時間に1本くらいしかなかったので、改札を出て、景色を眺めて、そのまま電車に戻った。往復数千円をかけて、この景色を数

空を見上げてリセットをする。

いつの写真だか正確には思い出せないが、どこからか羽田空港へ向かう機内からの写真である。自由なタイミングでトイレに行きたいので、海外便では基本的に通路側を取るのだが、時間の短い国内便、特に朝夕の時間帯だと、空を見るために絶対に窓際の席を取ることにしている。ぼくは空が好きなのだ。 仕事柄原稿を書くことが多いので、どこかの場所にこもってパソコンとにらめっこしている時間が日中のほとんど。だが、集中力が持たない。だから、頻繁にカフェを出て、ひたすら歩く。空を見上げる。何も考えずに歩い

或る土曜日の決意表明

ソウルから帰国し、品川駅でJR線に乗り換える。夜の10時過ぎ、突然の満員電車へ、無理に乗り込もうと身体をねじ込む不機嫌なサラリーマン。車内から若い女性の小さな悲鳴が聞こえた。ぼくはすぐにイヤフォンで耳を塞ぐ。 いつから東京はこんなに息苦しくなってしまったのだろうか。普通に街を歩くだけでも苦しくて堪らない時がある。生きている心地があまりにしない。都市に生かされているという気さえする。もしかすると、もっと昔から東京はこうだったのかもしれない。 東京という街が悪いのではない。時