遠くに見える、あいまいな境界線
ゴールデンウィークの北海道は我が儘だった。2年前に訪れた時には25度以上の気温で、お昼にはTシャツでも暑いくらいだった。ところが、今年は寒かった。天気がパッとしなかったし、僕らが山奥を目指したのも関係しているが、層雲峡にはまだまだ雪が積もっていて、朝の気温はなんと3度だった。
はじめて訪れた洞爺湖も肌寒かった。写真の通り、湖と空の区別がつかないような曇天で、本当はこの先に小さな中之島があるんだけれど、一切見えなかった。とにかく霧がひどくて、湖を訪れるまでの道は視界が数十メートルくらいしかなくて、街灯もほとんどない夜は本当に怖かった。
それでも、境界があいまいになってゆく世界に没入する感覚は心地よかった。やっぱり僕はあいまいな世界の方が好きだ。
翌朝の湖水は綺麗で、街の人たちは皆優しかった。数十メートル先が見えない霧の次は、何メートルでも見透かせる透明な水か。冬は真っ白、曇りの日には一面がグレーに染まる街。晴天の夏には綺麗な青色がこの街を包むのだろう。こんなところで過ごせば、誰も優しくなるんだろうなと思った。
この街は、季節によって変化を見せる空気自体が価値だった。そして、その価値を生み出す空気の条件は“透過性”なのかもしれない。僕も“透過性”を自在に操れるようになりたいなと思う。