マガジンのカバー画像

SNS時代の表現

56
SNS時代の表現について書いた自分の文章を集めたマガジンです。
運営しているクリエイター

#表現

SNS時代における「ような系写真」の流行と、その社会的考察

例えば「アニメのような写真」という表現をSNSでご覧になった方は多いのでしょうはないでしょうか。あるいは「映画のような」「CGのような」「絵のような」「ゲームのような」写真、という表現。SNSではもしかしたらほぼ毎日のようにどこかで見かけるかもしれません。この記事ではそれらの写真を「ような系写真」として定義し、そのようなタイプの写真がなぜ今流行しているのか、その社会的な構造を素描するのが目的です。 記事の最初に、結論を書いておきます。2022年6月現在において、毎日どこかで

クリエイターが長い文章を読んでもらうために意識すべき3つのこと

昨日こんな文章書いたんです。 で、何人かから「読ませてもらったよー」とメッセージをいただいたんですが、その中で一人「普段あんまり長い文章読まないけど、スルッと読めたよ」的なことを言ってくれました。確認したら6886字、確かに長い。僕の文章って、割とこのくらいの文字数で書くことが多いので、自分では長い文章書いてる意識はなかったんですが、そういえば振り返ってみると、結構な回数で「長いけど最後までスルッと読めた」的な感想を言われがちなことに気づきました。 で、この文章の含意を逆

「正しさのない世界」を生きる覚悟

1.正しさとは2020年の秋、18歳の高校生の女の子が、ある曲をこんな風に切り出し、日本の音楽シーンに鮮烈な閃光を放ちました。 「正しさとは、愚かさとは、それが何か見せつけてやる」 もちろん皆さん、もうご存知ですね。Adoさん(@ado1024imokenp)の「うっせぇわ」の出だしです。 それから3ヶ月後、2021年が明けてすぐ、あるクリエイターが「正しい顔」をテーマにした漫画をTwitterで投稿、瞬く間に話題になりました。ヨシカズさん (@ArochamoCOM)

言葉は、思考や感情を「記すもの」ではなく、「呼び出すもの」という発想

1.言葉とは「呼び出すもの」最近noteを読んでくださった人から、何度か文章を褒められることがあったんですが、実は自己認識では逆で、子どもの頃からずっと言葉や文章に苦手意識を持ってきた人間です。でも、長い大学での研究生活を経て、少しずつ「言葉を使うとはどういうことなのか」という目処が立つようになりました。今日はそのことを書こうかなと。 わりと多くの人が、「言葉や文章は、自分の内側にある思考や感情を記すものである」と考えてらっしゃるんじゃないかと思うんですが、実はこれ、逆なん

祈りや願いとしての風景写真(あるいは「パーソナルランドスケープ」と言うテーマ)

2年ほど前から「パーソナルランドスケープ」というテーマで写真を撮りためています。英語にしているのは、その感覚を伝える適切な単語が日本語で思い浮かばなかったからで、日本語に無理矢理するならば「人間の存在を感じる風景」とでも言えばいいでしょうか。痕跡といってもいいかもしれませんし、「そこに人がいて欲しい風景」とも言えますし、「いつか人がいたかもしれない風景」という感触も包含します。この感触を説明できないので、英語に逃げているわけです。 こんなことを考え続けているのは、同い年で最

SNSでバズる写真の分析

まず最初に、今回は僕のSNSの利用スタンスを明示しておきたく思っております。それは「フリーランスのクリエイターとして、現状ではSNSは使わないではいられないし、実際に恩恵も多いけど、SNS特有の数多くの問題点には意識的であるべき」というものです。 今日はそのようなスタンスであることを改めて表明してから始めるべき話題だと思っています。というのも、今回の話は表題の通り、「SNSでバズる写真の分析」という、いかにも誤解を受けそうな内容だからです。上記スタンスであることを前提として

SNS時代における「人間のコモディティ化」

今日は最初にまとめを書きますね。SNSと表現にまつわる「ある現象」について、1月頭にこんな記事を書きました。ずいぶんたくさんの人に読んでいただきました。 この中で、「コモディティ」という言葉を取り上げました。経済用語ですが、「代替可能な製品」という感じの意味です。2020年代は、あらゆるクリエイティブや表現が、SNS上において「コモディティ化」の危機に晒され、その速度は加速化される運命にある、というようなことを書きました。これはたぶん避けるのが難しい未来だと思っています。

SNS時代における「物語」の意味

前回、前々回の記事の中で、コモディティ化するSNSにおける表現について書きました。その中で、そのような事態がさらに進展することが予見される20年代においては、物語が重要であるという結論を書きました。 最後の方で「how化できない視線として「物語」が存在する」と書いたんですが、具体的にはそれは一体どんな物語なのかは書けていませんでした。今回は、20年代のSNS空間における「物語」とはなんなのかを考察します。結論は一言でまとめられるんですが、「創発的なコミュニケーションを内包し

表現のコモディティ化と感受性の無気力化

今日の記事は前回の文章の続きの話になります。前回の文章が「SNSにおいては表現がことごとくコモディティ化してしまう」という話でした。そして記事の冒頭にあとから付記した大事なことなんですが、あの文章は「システム論」なんですね。言い方を変えると、「個人の力では逃れることができない巨大な動き」の話でした。そして今回はそのシステムに巻き込まれた我々人間に何が起こるのかということです。前回が「作り手」側の視点での話だったとすると、今回は「受け手」側の視点からの分析です。 再び最初に要

2020年代に表現するということ(あるいはマイケル・スタイプの電話帳)

1. マイケル・スタイプの電話帳昨日こんなツイートをふと書きつけました。 伝説として知っているだけで、本当にマイケル・スタイプが言ったのかどうかわかりません。インタビューだったか対談だったか、そんな中で言った言葉らしいのですが、googleで調べてみても出典を見つけることはできませんでした。まあでも、マイケル・スタイプなら確かに電話帳読んだだけでも人を泣かせることができるかもしれないと思わせる声をしているのは確かです。 今聞いても全然古く聞こえない。これもう30年近い前の