クリエイターが長い文章を読んでもらうために意識すべき3つのこと
昨日こんな文章書いたんです。
で、何人かから「読ませてもらったよー」とメッセージをいただいたんですが、その中で一人「普段あんまり長い文章読まないけど、スルッと読めたよ」的なことを言ってくれました。確認したら6886字、確かに長い。僕の文章って、割とこのくらいの文字数で書くことが多いので、自分では長い文章書いてる意識はなかったんですが、そういえば振り返ってみると、結構な回数で「長いけど最後までスルッと読めた」的な感想を言われがちなことに気づきました。
で、この文章の含意を逆に考えると、「一般的には長い文章は読まれづらい」ですよね。そりゃそうだ、僕もあんまり長いネット記事は読みません。何せ目が痛くなりますしね。
とはいえ、140字のTwitterみたいな量では、本当に伝えたいことがある時に全然足りない。だからよく「どうやったらnote読んでもらえますか?」みたいな質問も受けます。学生の文章も添削しますしね。ですが、みんな書きたいものや書く内容は持っていても、「どう書くか」のところまで意識して「長い文章を構成する」ってのは、考えたことがないみたいで、実際に読んでみると息切れするような感じの文章も多い。
そう考えると、「長い文章を構成する」ってのは、それ自体、何か独特のスキルというか心構えが必要な行為なんだろうし、また褒め言葉として僕が「長い文章だけど面白く読めたよ」的なことを言ってもらいがちな理由なんだろうなと思うわけです
てことで、今日は長い文章を書きがちな僕が、その長さにも関わらず読んでもらえるコツを、さらっと書いてみようかなと。結論は以下の3点になります。
簡単なことです、実に簡単。後の文章なんて読まなくても大丈夫なほどですが、ちょっと詳細書いておきましょうか。
(1)文章のリズムを大切にする
言葉とは記号です。記号とは抽象です。だから、言語で世界を理解している人間は、常に記号の示す抽象の世界、一言で言えば夢に生きてると言っても過言ではないです。突然冒頭から飛ばし気味ですんません、でもね、これほんと。この世界そのものを僕らは直接把握することはできなくて、全てを言葉という記号を通じた世界、すなわち頭の中に造られた「認知」の世界を生きてるわけです。
だからこそ、言葉の作るリズムという、物理に響かせる「体感」がめっちゃ重要。記号でしかない抽象概念の塊の文章を、読み手の身体に届けるためには、文章がお経になっちゃいけない。
いや、待て、この比喩は間違ってます。実はお経はすごくよく考えられてる。1000年も前からやってるから今の僕らの体感リズムに合わないだけで、つぶさに観測すると、お経はとてもリズムがいい。大事なことなので脱線しましょう、お経について。
僕の実家がお世話になってるお寺の住職、お経の区切りで打ってくる木魚のリズムが絶妙なんですわ。「なんみょーほれーんげーきょー」の後に、「ぽくっ、ぽくっ、ぽくぽくぽくぽく」と、気持ちよく2分音符&4分音符でリズムが入ってくる。この最初のところのリズムが気持ちいいことに気づいてからは、そこで刻まれるリズムに体が反応してしまって、笑いを堪えるのに必死になっちゃって、そう、結果、
「クソ長いお経でも聞いていられる」
これ大事。超大事。言葉は記号で抽象だから、リズムが単調だと身体を素通りする。それじゃダメ、ダメ。ゼッタイ。言葉のリズムが一本調子にならないために短くしたり長くしたり、時には擬音入れたっていい。読み手の体にリズムが伝わるように。それはいわば、あなたの言葉の息づかいのようなもので、記号が抽象を超え出て物理へと変換される、たった一つの手段なんです。その手段を通じて、読み手の意識を、文字通りの「夢に落ちちゃう」感覚から救い出して、スッキリ意識明瞭な状態へと保ってあげる。
これこそ、リズムの重要さ。じゃあ具体的にどうやんの?って話ですが、そりゃもう、各人全員リズムが違うんだから、自分の言葉と身体と相談しましょうよ。でも基本は、一本調子はダメ。自分の文章が長いのばっかり続いてきたなと思ったら、ちょっとブレイク。そう、ヒップホップの合いの手みたいに、yo, yo。Eminemだって言ってます「人生にチャンスは一度しかない、ワンショットだ」。くぅううう、かっこいい!
言葉の王様エミネムだって、その気合いで言葉を、ライムを、引っ張り出して僕らに打ち出してるわけです。ヒップホップはまさに好例、彼らは記号をリズムに変換して、言葉を物理的なものへとして届けていくわけです。これが一つ目の大事なこと。
(2)ハイコンテクストとローコンテクストを使い分ける
長い文章を書く人が陥りがちな一番の罠って何かわかりますか?文章がね、ハイコンテクスト張り付きになっちゃうんです。
ハイコンテクストってなんやねん?ってことですが、いっぱいコンテクストが入ってる文章です。実はこれ、僕もやりがち。例えばさっき僕も上の段落でやってるんですが、
ここに「ダメ。ゼッタイ。」って入れてますよね。これ、薬物禁止の文脈でよく使われる、今ではインターネットミームの一つと言えますが、こういうやつです。意味なんてないんです、言葉に分厚さを与えるための身振りで、ほとんど無意識でやっちゃう。他にも僕はこの前の文章では、唐突に「違う、違う、そうじゃない」って書きましたが、これはもちろん鈴木雅之の名曲ですよね。
こんな感じで、文章の意味が複数化して、意味のレイヤーが多層的に積み重なってる状態を「ハイコンテクスト」と言います。
長い文章を書く人は、基本的に自分の文章にいろんな参照軸を作りがちで、自然といろんなコンテクストを引き込んじゃう。これやりすぎるとあきません、だんだんとレイヤーが絡まりすぎちゃう。読んでる側、特にそのコンテクストをきっちり読もうなんて思っちゃう真面目な人たちは、その内包されたコンテクストにずっと引っ張られて、最後の方はしんどくなっちゃう。
だから、ローコンテクストもうまく使わなきゃいけない。これも上の例だけど、
yo,yoはもちろん擬音。これ自体、ヒップホップという文脈を引き込むハイコンテクスト的な機能をしてるんだけど、でもyoというあの身体的な響きは、脆弱な記号の弱さをぶち抜いて、僕らの身体にダイレクトにyeah, yeahと反応させる直接性があるわけです。
あるいはもっとわかりやすく「くぅううう、かっこいい!」こういうの。「くぅううう、かっこいい!」以外の何物も指し示さない、心の叫びみたいな一言。こういうの、大事なんですわ。言葉がコンテクストのジャングルみたいになる前に、人は叫ばねまならぬのですよ。ジャングルへようこそ。
逆もまた然りね。ローコンテクストばっかりやってると、それはそれで疲れるわけです。子どもの作文って素敵なもんですが、子どもの作文をずーーーっと読んでると、あまりのまっすぐな文章に、多分途中から虚無を見てる気分になるはずです。それは記号が記号としての姿をモロに表すからです。
人間ってのは本来ハイコンテクストに作られてるんです。生きてたら生きる分だけ、みんなあれやこれやの知識を引き受けて、僕らの脳みそはいわば「記号のミルフィーユ」みたいになってる。だから長い文章を書こうとすると、自然とハイコンテクストになるんですよ、人間ってのは。
だけど子どもたちはそんな知識も経験もまだない上に、言葉をすごくストレートに記号的に使うもんだから、めっちゃローコンテクストになりがちです。で、そういう文章はやっぱしんどいので、ハイ&ローをうまーーーく文章の中に引き入れてください。魅力的になるはず。
(3)愛を持つ
最後に一番大事なこと書きますね。愛です。もちろん自分への愛も大事だけど、もっと大事なのは、書いている対象への愛情とか愛着とか、なんかそういうもんです。それがないと、長い文章は維持できない。
その典型例にして天才例を見ましょか。岸田奈美ですね。彼女はこの一番大事な3の大天才なんですわ。それはもう、彼女が一躍文壇にまで躍り出ることになったあの伝説の文章を読めば、一目瞭然です。
岸田奈美は、1も2も素晴らしくすごいんですが、何せ対象への愛情がすごい。センテンス単位で見るとちょっとやべえこともたまに言ってますが、舌禍を起こして炎上するようなことも見たことがないし、これからも多分そういうことは起きないだろうと思います。それって異常なことです、こんだけ長文を、しかもあのテンションで書きながら、しかも割とセンシティブな話題を書きながら、それでも燃えずにみんなから愛されるのは、何よりも岸田奈美が対象を愛しているから。
それは彼女が最初に出した本のタイトルを見ればよくわかりますわ。
「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」。天才か。
家族を愛するのは、それが「家族だから」だったという理由があったから愛したわけではなく、先に「愛する」という行為があって、それがたまたま対象が「家族」だった。そのコロンブスの卵のような愛情の転換とそのことの気づきこそが、彼女を唯一無二の作家に仕立て上げた原動力なんですね。対象をめっちゃ愛しているのわかってたら、長文読んでてもこっちも気持ちよくなりますやんか。単純な話でっせ。
一方、愛と同じくらい長文を維持できるやばいエネルギーってあるんです。何か知ってます?そう、愛の裏返し。憎悪。これ、ちゃんと意識した方がいい。
めちゃくちゃな長文を書き殴ってる時、自分の内側に憎悪がないかどうか、それには細心の注意を払ってください。憎悪は、愛と同じく長文を維持するエネルギー、そして長文を読んでもらうための起爆剤としても機能します。だってそうですよね、みなさんご存知の通り、ヘイトは簡単に人を寄せ付けるから。SNS空間はヘイトの集積所みたいになってますやんか。フェイクニュースの核心にあるのも、ヘイトだからこそ、こんなに分けわからん速度で拡散するわけです。
でもこれ、諸刃の剣ね。憎悪が核心にある文章を読まされると、悪い酒に当たった時みたいに魂が酩酊します。最初はただの酔っ払いだと思ってたら、どんどんしんどい気持ちになる。そしていつか、あなたの核に、筆者の憎悪の一部が転化する。それはいわば、記号を媒介した魂の感染みたいなもんです。あるいは呪いと言ってもいい。こうなったらもう、ヘイトは魑魅魍魎と同じで、人を呪います。京極夏彦に憑き物落としをやってもらう以外、打つ手がなくなってしまう。
言葉のリズムが作り出す身体の快楽と、対象への愛情が作り出すポジティブなフィードバックを反転させるように、ただの言葉が呪いとなってあなたの心と体を縛る。そのような文章を読者として目にしたら、気を付けてください。そっと距離をとりましょう。それは劇物です、あなたの魂を粉砕する。あるいは、そのような文章をもし書きそうになったら、注意してください。文章は簡単にあなたのソウルジェムを濁らすことができるんです。あ、これラストに来ましたよ。ほら、ハイコンテクスト。「魔法少女まどか☆マギカ」ですね。こんな説明は無粋なんですが、今日はまあそういう文章なんで許してください。
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てことで、「長い文章をどうやって書くのか」っていう話でした。参考になったでしょうか。大事なのはリズム、それから愛な。覚えといてな。