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2020年代に表現するということ(あるいはマイケル・スタイプの電話帳)

1. マイケル・スタイプの電話帳

昨日こんなツイートをふと書きつけました。

伝説として知っているだけで、本当にマイケル・スタイプが言ったのかどうかわかりません。インタビューだったか対談だったか、そんな中で言った言葉らしいのですが、googleで調べてみても出典を見つけることはできませんでした。まあでも、マイケル・スタイプなら確かに電話帳読んだだけでも人を泣かせることができるかもしれないと思わせる声をしているのは確かです。

今聞いても全然古く聞こえない。これもう30年近い前の曲なのに。電話帳で泣かせると豪語するだけはあります。いやまあ、出典不明なので言ってないかもだけど、言ってても全然不思議ではない声です。

話を戻しましょう。今日はREMの曲の話をしたいわけじゃないんです。一番最初に書いた「電話帳を読んだだけで人を泣かせる」とはどういうことなのか、それをこの1ヶ月くらい考え続けていたんです。そして多分これは、2020年代にクリエイターと呼ばれる人々の多くがどこかで通らなきゃいけない設問なんだろうなという気がしています。

2. 表現における「目新しさ」の終焉

そんなふうに考えを進められたきっかけは、先日出演させてもらった、ミラクルフォトフェスティバルというオンラインの写真イベントでの、澤村洋平さんとの対談でした。その中で、「これからの写真ってどうなると思う?」みたいな話題になって、洋平さんと僕は、それぞれに撮るジャンルや手法が違うのに、同じようなことを考えていたことが分かりました。一言で言うと、SNSが作品発表の場の一つになって数年、今からの写真家は「何か新しい被写体」で表現することは、すごく難しいだろうと言うことなんです。

その時に例として挙げたのが、清水寺の紅葉の写真でした。この写真。

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みなさんどこかで目にしたことがある写真だろうと思います。いわゆる「定番構図」で撮影した写真で、清水といえばこれ!と言う写真。今この写真をSNSで出したところで、おそらくその写真はあまり多くの人を惹きつける結果にはならないでしょう。理由は簡単で、みんなもうこの構図から見る清水寺の写真を人生で500回は見せられているから、飽き飽きしているんです。

でも8年ほど前は全く違いました。この写真を例えば500pxだとかFlickrなどで出そうものなら、大勢の外国人たちがfantasticとかawesomeとか言いながら、感動のコメントを残してくれました。その時代には、まだ「風景写真の定番」は出尽くしておらず、清水寺のような超メジャースポットでさえ、ベストのタイミングでの紅葉写真を見たことがない人が大勢いたような時代でした。今ほどTwitterは普及していなかったし、インスタグラムもまだ始まったばかりでしたから、写真にふれる機会自体が今と違って格段に少なかったんですね。だからこそ、2010年代の前半は、単純に撮影場所の「目新しさ」だけでも表現として成立し得た、ある意味幸福な時代だったと言えます。

ところがSNSが普及し、新しい撮影スポットは次の日には同じ構図で山ほど似たような写真が撮られるような時代になって、「目新しさ」を武器に戦うことは不可能になりました。もちろん、まだまだ発見されていないスポットや、定番の場所でも違った構図や撮影スポットが発見されることはこれからも永遠に無くなることはないでしょう。例えば今例に挙げた清水寺でさえ、今年、とある場所から撮影される「新たな構図」が見つかって、風景界隈では少し話題になりました。これがそれ。

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でもこの場所も、もう来年には「ああ、知ってる知ってる」という場所になっているでしょう。風景写真のSNSにおける消費の速さは、他のジャンルに比べて圧倒的に早いのは、「目新しさ」がまだ表現の一端として機能している数少ない領域だからなんですが、それももう他の表現領域と同じで、消えゆくことが運命づけられた特性になります。理由は単純で、地球の物理的な空間は有限で、その有限な場所にある「目新しい場所」は、早晩どこかの時点で完全に消費し尽くされることが予見されうるからです。かつてアメリカからフロンティアが消滅した時以上のスピードで、僕らは「目新しさ」を貪欲に飲み尽くすことでしょう。

その臨界点が来る前に、僕らが考えなくてはいけないのが、記事の冒頭に書いたことです。そう、「電話帳を読んだだけで人を泣かせることができるかどうか」と言う問い。

3.電話帳とデレク・ハートフィールドに託されているもの

もちろん「電話帳」は比喩に過ぎないのですが、その意味していることの深みは、30年前よりも今の方がより切迫したものとして僕らに響きます。つまり、2020年代の表現者たち、クリエイターたちは、「表現するものがなんであるか=what」と言う「目新しさ」の部分においては、もはや表現自体が成り立たなくなっていくことが予見されます。その代わりに、「どのように表現するのか=how」という部分で、自らの表現を成立させなくてはいけなくなる。それこそがつまり、マイケル・スタイプの電話帳なんです。2020年代が進むに連れ、クリエイターたちは、対象が電話帳であっても表現を成り立たせなければならない、そんな時代になるんじゃないか。僕らは表現の領域にいる限り、「電話帳のテーゼ」に捉えられる事になる、そんな風に思うんです。

実はでも、この「電話帳のテーゼ」は、そもそもあらゆる表現領域における根源的な問いでした。村上春樹はデビュー作の『風の歌を聴け』の中で、架空の作家デレク・ハートフィールドについて、こんなことを書いています。

文章は読み辛く、ストーリーは出鱈目であり、テーマは稚拙だった。しかしそれにもかかわらず、彼は文章を武器として闘うことができる数少ない非凡な作家の一人でもあった。

デレク・ハートフィールドと言う作家、しかも存在しない架空の作家に委託して書かれているのは、村上春樹自身の若き日の自負、ないしは野心のようなものだったろうと思っています。つまり、どんなにストーリが出鱈目であろうと、稚拙であろうと、作家にとって大事なのは「文章」であると言うことです。「何を書くか(ストーリーやプロット)」が問題なのではなく、「どのように書く(文章表現)」こそが、作家がその全てを賭ける場所なのだと。それはマイケル・スタイプが、電話帳を読み上げる「声」だけで人を感動させることができると自負したのと、おそらくは同じことだったのでしょう。

4.まとめ

とはいえ、こんなことを本気で考えていたのは、おそらく『風の歌を聴け』を村上春樹が書いた1979年では作家を含めた表現者だけだったろうし、1991年のLosing My Religionを歌ったマイケル・スタイプの時代に至ってもなお、やはり歌手を含めた表現者たちだけだったでしょう。これまで表現という手段が、ほんの一部の表現者たちのみに与えられていると誤解されていた時代においては、そもそも「何を表現するか」という問いを持つことさえ、多くの一般人には覚束なかったのです。ましてや「どのように表現するか」なんていう発想は、生まれるはずもありません。

その状況にSNSが風穴を開けてしまいました。誰もが表現をすることが可能になり、そしてあっという間に「何を表現するか」が消費される場所がSNSという空間の特性です。そんな場所に日々身を浸していると、過去のどの時代においても一般人には見えなかっただろう「表現者の直面する問」が身近に来ていることを感じることができます。

それこそが「マイケル・スタイプの電話帳」だった、というのが、この1ヶ月くらいにずっと考えていたことでした。

もうあと数日で2021年が来ます。僕はまだ2010年代を引きずっているし、それはおそらく多くのクリエイターたちがそうだろうと思います。「何を表現するのか」という、「目新しさ=what」への渇望。でも20年代が進むにつれ、僕らは「どのように表現するのか=how」に徐々にシフトしていくはずです。

そして2030年代が明ける頃、大半のwhatが終焉を告げ、永遠のhowが問われ続ける、そのような時代になるのではないか。その時代はある意味では表現の天国かもしれません。あらゆる表現手法が許され、試され、「世界をどのように見るか」という視点が、各表現者ごとに多様に問われる時代

でももしかしたら、かつて誰かが予見したように、わずかな差異が永劫に分割され、再び一般人には表現することさえ難しい、表現の地獄の時代になるのかもしれません。それはまだ10年代を引きずる僕には見えていませんが、なんにせよ、少しずつシフトはしていかねばならないということだけはわかっています。

5.少しだけ展望、「物語る世界」

そして、このことこそが、昨今多くのフィールドにおいて「物語」がキーワードになりつつあることに結びついていると考えています。多くの書籍で、ジャンルを問わず、「物語思考」というべきものが現れているように感じます。

村上春樹がデレク・ハートフィールドに託して言ったこと、あるいはマイケル・スタイプが電話帳で言いたかったことは、何十年かの時を経て、今より強く響くのです。僕らがストーリーを語る時、もはやそのストーリーが「何を語るか」は問題ではなく、「どのように語るか」こそが問題になる。その問題意識こそが、20年代以降のさまざまなジャンルにおける、表現の原動力のひとつになるだろうというのが、僕個人が最近考えている今後の展望だったりします。

いつかこのことについては、どこかでまた書きたいのですけど、それはもう少し考えや展開が出てきたらで。今日はこの辺りで。

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別所隆弘
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