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ステルヌベールという作家——その2
もう少し、この作家の紹介を続けてみましょう。
ショートショートの星新一が日本語の文学のなかでとても特異な位置——ある意味では孤立したマージナルな位置といってもいいかもしれません——を占めているように、ベルギー第二の都市アントウェルペン生まれのステルヌベールもまた、フランス語文学のなかでは風変わりな作風を持つ作家として知られているといってもいいでしょう。
これから何回かにわたって引用する『あなたなしで眠るための物語』も初版は1990年ですが、その3年後に文庫化され、今も版を重ねています。
作家紹介も小出しにすることにして、さらにいくつかのコント(日本では掌編と呼ばれたり、あるいは葉篇と呼ぶ作家もいますが)を紹介しておきます。
「ところできみは本当にぼくのことを愛しているのかい?」と彼は彼女にきいた。
そのとき彼女は即答できなかった。
やがて彼女は別の男と結婚し、一児の母となり、うんざりし、離婚した。それから彼のほうを振り返った。
「ええ」と彼女は答えた。「もちろんよ」
ステルヌベールのコントには、いろんな女が登場します。浮気性の女、男をたぶらかす女、何を考えているのかわからない女……。
彼女には道徳観念というものがなく、むかしから本能的にそうなのだった。浮気性でもあったが、きわめて魅力的で、かなり興奮しやすい質だったから、当然のなりゆきだった。言うまでもなく、同じ時空にたくさんの恋人を集中させる結果になり、彼女がそれなりに巧みな嘘であしらっている男は相当な数にのぼった。
しかし、自分でついた嘘の迷路にはまりこんでしまうこともよくあったので、ついには私立探偵を雇って自分を尾行させ、翌日には、前夜自分がどんなふうに時間を使ったかを報告させていた。
あるいは、こんな女もいます。
ものぐさで、いつも無気力な彼女は、鏡に自分の顔を映して見るという好奇心を持ったことさえなかった。彼女は放棄と当てのない待機だけで生きていて、いかなる焦りもなかった。
おまけに夜は、自分の眠りさえ他人まかせにするようになった。
さらには、こんなヴァリエーションもあります。
出会ってからしばらくして、イザベルに一緒に暮さないかと尋ねると、彼女は笑みを浮かべて承諾した。そもそも彼女はたえずほほ笑んでいるのだが、そこに喜びや悲しみがあるわけではなかった。その青白い美しい顔は、明白な感情の欠如による魅力から来ているようだった。
何ヵ月か過ぎた。
ほとんど毎日のように、彼女は目覚めると抑揚のない声で、私にこう言うのだった。
「おかしいわ、私、毎晩同じ夢を見るの」
イザベルがけっして私に語ろうとしないこの夢を知ること……。この願望はやがて強迫観念となった。
ある晩、眠りかけたとき、私は目も眩むような深い虚無が開かれるのを感じ、そこにゆっくりと落ちていき、気がつくと鉛色の大きなタイルを敷き詰めた家具のない部屋にいた。イザベルがそこにいた。いつものように笑みを浮かべて。
彼女は私のほうに向かってきた。私は彼女の夢のなかにいた。そこに否応なく。
どうやら私は、夜明けに浴室のタイルの上で喉をかき切られた姿で発見されたらしい。
そうまさに、イザベルは自分の夢のなかで剃刀を使って私を殺したのだった。
ステルヌベールの文章は、ただそこにあるだけ、解説やコメントのたぐいをいっさい拒絶しているような気がします。今日はここまでにしておきます。