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翻訳という仕事

 先週の日曜日(11月10日)に東京出張から帰ってきました。
 6日には日仏学院(Institut français de Tokyo)で、対談形式の講演をやりました。対談の相手は東京創元社の私の担当編集者です。
 日仏学院は言うまでもなく、フランス政府公認かつ大使館直轄の語学学校です。何を隠そう、私もかつて学生時代にここで学びました。
 今回、私がここに呼ばれたのは、「短期集中翻訳者養成プログラム」というイベントに参加するためです。これは今年から新たに試みる企画なのだそうです。うまくいけばまた来年もということになるらしいのですが、さて……。
 対談で何を話したかというと、翻訳が商品としての本になるまでの過程を、翻訳家と編集者という二つの立場から具体的に説明していこうというものです。
 なぜこういうことをテーマにしたかというと、日仏学院は語学学校ですから、もちろん、フランス語を習びたい人——学生さんもいれば社会人もいる——が集まってくる場所です。翻訳の講座もあります。でも、その軸足は、あくまでも語学の習得に、フランス語の読解力の向上にあります。
 今回、私たちが強調し、焦点を当てたかったのは、語学的なことよりも、「商品としての本」ということでした。
 これは語学の延長線上に翻訳はないと言い換えてもいいことです。
 あるいはちょっときざにマルクスの言葉を借りて、「翻訳は商品としての本になるために命懸けの飛躍」をおこなうと言い換えてもおもしろいかもしれません。
 私が当日の対談で、受講生の前で、少し皮肉混じりに強調したのは、翻訳者の作品は翻訳原稿を完成させるまで、そのあとは編集者の手に渡って共同作業で本に仕上げていくが、出来上がった作品は、編集者のものであるということでした。
 フリーの翻訳者として出版業界で働くようになってから三十年余りの歳月が経過しましたが、翻訳書にかぎらず、本はあくまでも編集者の作品であるというのは、一般論としても成り立つのではないかという思いが強くなってきています。
 その喜びがなければ、誰も編集者になろうと思わないとまでは言わないけれど、永遠に縁の下の力持ちではつまらないじゃないですか。
 むしろ、翻訳者こそ縁の下の力持ちでいいと思っています。表紙に翻訳者の名前が明示されるのは、じつは日本くらいのものなのです。うぬぼれてはいけません。
 今回の note は、参考までに、この対談の内容を項目にして概要をお伝えしておきます。詳細はまた別の機会に展開するということで。

1)本の選定
1-1:編集者が選んで、翻訳者に翻訳を依頼する場合。
1-2:翻訳者が選んで、編集者の判断に委ねる場合(いわゆる持ち込み企画)
1-3:フランスの版元から日本の版権代理店経由で日本の出版社へと送られてきた新刊書を編集者が選び、翻訳者に翻訳を(あるいはレジュメの作成を)依頼する場合。
2)レジュメの作成
2-1:編集者にとって、どんなレジュメが理想的か(分量、内容、留意点……)
2-2:レジュメを作成する翻訳者が注意すべき点。
3)翻訳
3-1:編集者にとってどんな翻訳が理想的か?
3-2:翻訳者が目指すべき理想の翻訳とはどういうものか?
4)初稿、再校、校了
5)出版、販売

 今回はここまで。

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