美穂
他のクリエイターさんたちの心揺さぶられた記事たち。
かつて、私には一人息子がいた。 過去形なのは もう、いまは 会うこともできないから。 あの子は消息不明。 きっと 私が至らなかったからだ。 しっかりと、あの子の手を握ってさえいれば 今頃は笑い合えてたかもしれないのに。 毎晩毎晩 息子の夢を見ない日はない。 泣いても、詫びても あの子は いない……
離婚してまもなく病身となったのは今から十余年ほど前のことである。 家庭を失い、独りぼっちから始まった闘病生活の当初は暗闇しか見えなかった。 病院へ通い続けるも甲斐なく、病気は複数に増えていく一方であった。 “絶望”そんな言葉しか思い浮かばない日々で、まるで出口のないトンネルの中を這うようにして暮らした。 離婚前・病に臥す前までは歌を詠んだり、地方新聞のエッセイ欄に随筆を書いてもいた。「もう一度、筆を取ってエッセイを書きなさいな。文学の世界に戻ってみたらどうですか」と、うつ
9月から脊椎疾患の病状が悪化した。 「泣きっ面に蜂」とはよくいったもので、そんな折りに立て続けに今度は、呼吸器疾患の気管支喘息で呼吸困難となり救急に運ばれた。七転八倒の日々が続いてしまった。 大好きだったこのnoteもずっとお休みせざるを得なく、以来、日常生活に戻るのにじつに2ヶ月近くも掛かってしまった。そして、きょう、ようやく久しぶりにnoteに向かっている。 苦しみの中の間、私を支えたのは聖書の言葉であった。愛と平安と慰めに満ちた聖書の言葉たちは、これまでの波瀾万丈の
励ましていただいている脊椎の激痛が少し緩和しました。 けれども、呼吸器疾患をも患っている私は 気管支喘息の発作で呼吸困難におちいり救急で運ばれてしまいました。応急処置で点滴をしてもらいましたが入院になるかの瀬戸際にあります。 落ち着きましたら 皆さんのnoteに遊びに行きます!
秋が深くなってゆく こんな夜には はじめての恋を思いだす。 「離ればなれにならないように」 って 赤い糸で結んだお互いの小指と小指。 お揃いのキーホルダー。 いまとなっては 遠い遠いむかしのことなのに 胸の中の宝箱を開けると "きゅん" 一瞬であのころに引き寄せられて せつなく高鳴る鼓動。 どうしているかな。 もう わたしのこと、忘れちゃったかな。 アドレスもナンバーも わからないけれど 星に願うよ、あなたのこと。 この空の下 どうか しあわせに暮らしていますように。
十年余り前の手術後から闘病生活を余儀なくされている私である。 しかしながら、心すこやかに生きてゆけたなら、と思わされている。 誤解・語弊なきように申し添えたいことだが『こころ、すこやかに』というのは「心が病んでしまってはいけない」という意味では決してない。身体疾患と同様に、精神疾患が軽んじられてはならない。 人生百年時代といわれて久しいものの、心身共に100%健全は人など、ごく一部かもしれないのが現実の社会だ。現に身体疾患を持つ私は、体の病だけではなく”パニック障害”と
十年来、患っている病ゆえの痛みが、ここしばらくの間ずっと激しかったため、今週は大学病院に行って来ました。 病状は悪化していました。処置はしていただきましたが、結果むなしく痛みは緩和されないままに帰宅。なんと無念であったことか! 私だけではなく、ドクターもナースも、とても残念な顔をしておられたので 医療チームの方々にも申し訳ない思いになりました。 noteのプロフィール欄に記載しているように、現在は頸椎と脊椎と腎臓と呼吸器など複数の病を抱えています。腎臓は当初は悪いところ
「助けて!身体が痛い!」 それは十年余り前。風薫る季節のことだ。互いに離婚歴のある彼と私がお付き合いを始めて三ヶ月経った頃の事だった。 私は彼を「カズくん」と呼び、彼は私を「美穂ちゃん」と呼び合った。 「カズくん、助けて!」 身体の異変を感じた私は泣きそうな声で電話をした。カズくんは、すぐさま駆けつけてくれた。 「美穂ちゃん、美穂ちゃん、どうした?」 彼は私にベッドで休むようにと言う。あいにくにも連休で病院は、やっていない。 「美穂ちゃん、ご飯は食べたか?」 私は首を
先月9月15日放送の『情熱大陸』というテレビ番組の内容に胸を打たれた。 番組はアフリカのケニアで現地の障害児ケアをしているクリスチャンの日本人小児科医の公文和子医師(55歳)の活動紹介だった。 いったい何に感動と共感したのかというと、私自身が目指していた活動と近かったからであったのだ。かつては私は「将来は宣教師として開発途上国に居住して奉仕・福祉活動をしたい」という願いを持っていた。 その気持ちは決して病める人や生活困窮者への同情心ではない。「互いに助け合うこと」というス
病ゆえの痛みの中にありますが、 負けずに闘うために、 明日以降はまた通常のnote記事投稿をしていきたいと思います。 皆様からの励ましに 心から感謝しております。 なおも この状況を 頑張ります☺ 10月2日(水)夜。
私の脊椎の痛みのために たくさんの励ましのお声を感謝しています。 激痛は変わらず …涙ながらに 今、このnoteを綴っています。 大学病院側としては 早くても10日後の処置になるとのこと。それまで身体と気持ちも 持ちこたえられますように。 まずは皆様に報告致します。
闘病中である脊椎疾患の痛みが激しく、苦しんでいます。 昨夜などは 一睡も出来ない激痛で今に至ります。 闘病の苦しみ……皆様からの応援と祈りを、よろしくお願い致します。 9月25日(水)13:36
闘病中で、いまや、すっかり体力もなくなり、故郷の田舎町へと帰れなくなってから歳月が経った。けれども、私が故郷へと帰らない理由は『病』という理由だけではなかった。親(母)との確執があったからなのだ。 親から愛された記憶がない。親身になってもらったこともない。 私が離婚という決断をしなければならない状況に置かれたときも、母は相談にすら、のってくれはしなかった。その後、ついに離婚に至ったとき、私としては故郷に帰って住まいを構え直したかったのだけれど、母がそれに頷かなかった。「田
〈お久しぶりです〉 noteお休み中でいますが 皆様の励ましに支えられて 元気です。 少しずつの ゆっくりペースには なりますが 皆様の投稿にも また遊びに行かせてくださいね。 仲良く楽しく noteを再開できたら…と 願っているところです。
ときどき、本棚から絵本を取り出して眺める。 最近は「大人のための絵本」が流行りのようだが私が読むのは4歳~5歳が対象の、あくまでも子供用の絵本だ。 絵本が好きだ。 大人になると忘れてしまいがちな事々を思い出させてくれるから。 先日に読んだ絵本は、ふたりのクマさんが出て来るものだった。(クマなのだが、ここはあえて擬人化することにする) 物語は、ある出来事をキッカケに、ふたりのクマさんに次々と悲劇が降りかかってくるといったもの。 片方のクマさんは、ツラさに遭うたびに「どう