見出し画像

カズくんの玉子焼き

「助けて!身体が痛い!」
それは十年余り前。風薫る季節のことだ。互いに離婚歴のある彼と私がお付き合いを始めて三ヶ月経った頃の事だった。

私は彼を「カズくん」と呼び、彼は私を「美穂ちゃん」と呼び合った。

「カズくん、助けて!」
身体の異変を感じた私は泣きそうな声で電話をした。カズくんは、すぐさま駆けつけてくれた。

「美穂ちゃん、美穂ちゃん、どうした?」
彼は私にベッドで休むようにと言う。あいにくにも連休で病院は、やっていない。

「美穂ちゃん、ご飯は食べたか?」
私は首を横に振った。
彼は「何はともあれ、栄養をつけなきゃ」と私の家の冷蔵庫を開けてガサガサと材料を物色し始めた。そうして、まな板やらフライパンを取り出して「すぐ食事を作るからな、待ってろ」

私は食事が出来上がるのを待つことになったが、彼が台所仕事をするなどとは、それまで知らなかった。ヨロヨロと台所を伺いに行って尋ねてみる。
「ねえ、カズくんはお料理する人だっけ?」

「生まれて初めての料理だ。いいからベッドに戻れ」私は彼に抱えられるように再びベッドに横たわった。「いいか、具合の悪いときは、まず栄養だ、食事だ」とカズくんは言う。

それから、結構に時間が経った。台所はどうなっているのだろう?

痛む身体を必死で我慢しながら、カズくんの台所仕事が気になりつつも、安堵感に包まれて少しの間うたた寝をした。
 
「美穂ちゃん、出来たよ、食事だよ」
我に返り目覚めるとテーブルに並べられたのは玉子焼きと、キャベツと、おにぎりに味噌汁。

「わあーっ!」それは、いろんな意味のこもった私の「わあーっ!」だった。玉子焼きにはワカメが入っていた。ワカメ入り玉子焼きを私はそれまで見たこともない。「どうだ?初めて玉子焼きというものを作ってみたよ」とカズくんは言った。確かに栄養はありそうだけどワカメ入り玉子焼き…痛みもいっとき忘れるくらいに笑ってしまった。キャベツは、どう見ても、ざく切りしただけの生野菜サラダだったが、カズくんは「千切りだ」と言う。おにぎりは海苔でぐるぐる巻きにされたご飯のかたまりだった。
おそるおそる食べ始めると、玉子焼きが思いのほか美味しい。キャベツのざく切りサラダも、それはそれで悪くはなかった。真っ黒な海苔で覆われたおにぎりは、しょっぱくて食が進んだ。

それにしても、可笑しかった。「ねえ、なんでワカメを玉子焼きに入れようと思ったの?」「栄養あるだろうと思ったのさ」

でも予想以上に美味しかったのでお皿に並んだ分の玉子焼きの五切れを完食した。

なんだか、嬉しくて、涙が出て来た。私のために生まれて初めての台所仕事をいとわなかった彼がありがたかった。家庭を失い、独りになった私に、しかも体調を崩した時に「まずは栄養を」と駆けつけてくれたことが嬉しかった。

身体の異変は連休が明けて病院へ行ったら「緊急手術を」と告げられた。しかし手術をしても病は治ることはなく、今に至る。病ゆえに現在は歩くのもおぼつかなくなった。
 
あれから幾つもの季節が巡って、互いが互いの人生のパートナーとして指輪を交換して現在は一緒に暮らしている。

発症時から更に病は悪化している私。
一方、いまや、すっかり台所仕事もこなすようになったカズくんの玉子焼きの腕前があがっているのは言うまでもない。

ワカメ入り玉子焼き
ざく切り野菜サラダ
真っ黒な海苔おにぎり

【上記の写真は当時のもの】

いいなと思ったら応援しよう!