見出し画像

わたし的に考えるnote継続投稿


今回は、普段と違ったテイストでの記事にしようと思います。


この記事を読んでいる方で、note投稿をする方の場合、

どういった意図で投稿を続けていますか?


この記事を読んでいる方で、note投稿をしていない方の場合、

どういった目的で記事を読んでいますか?


まぁ、いろいろあるとは思いますが、今回はタイトルにもある通り、「わたし的に考えるnote継続投稿」を書き残したいと思います。






2022年5月に初めて投稿をしてから、約2年。

いろんな記事を書いてきました。

よく読まれるものもあれば、そうでないものもありました。



「なぜnoteを始めようかと思ったか」

答えは、大きく分けて2つあります。


①「その時に感じたことを言葉に残しておこうと思ったから」

印象的な日や、強く思い出として刻まれる出来事というのは記憶に残るものです。

しかし、「その時感じたこと」というのは、時間が経つと薄れていくものです。

わたしは、「感じたこと」=「感じ方」=「心の感覚」と思っています。

心の感覚を言語化するのは、とても難しいです。

だからこそ、記憶が新鮮なうちに(心の感覚が新鮮なうちに)、なるべく近しい意味を持つ言葉を探して、形にしておこうと思うのです。

振り返って、過去の記事を読み返したときに、

「あぁ、〇〇をやった日って、こんなことを考えてたんだな」

とか

「あー、この時って、こんな意識だったんだ」

とか、時間の経過で薄れたものを思い出すことがあります。

この行為が二つ目の答えにつながります。






②「なんだかんだ一生懸命生きていた過去の自分を裏切らないため」

それぞれの記事に、言語化した「心の感覚」が散りばめられています。

・初めてマラソン大会に出たこと

・真夏の早朝に海に向けて走ったこと

・足の怪我で、走れない日々があったこと(リハビリも)

・病気になって大会を諦めたこと

・自己ベストを更新したこと

・走って高速道路のPAに行ったこと

・コーヒーを必死に学んだこと

・ランニングシューズの紹介をしたこと

・食生活を正したこと

・体の変化(痩せた!)に喜んだこと


記事の中にそれぞれの、そのときの感覚があります。

振り返って記事を読んだときに、

「あぁ、こんなに一生懸命だったんだ」

と思い出すことで、

「じゃあ、今こんな状態はカッコ悪いよな」

「もっと頑張んなきゃな」


と、自分を奮い立たせることにつながります。




でも、それって「真面目な内容で、作り込んでいる記事が書けないとできなくない?」と思う方もいるかもしれません。


ちがいます!!


何気ない記事にでも、ちょっとしたつぶやきにでも、書いていた主の感覚が書かれるのです。

事実だけの内容のものでもそうです。

「今日は喫茶店に行った。ブラックコーヒーを飲んだ。」

という内容だとしても、

「あぁ、この頃って喫茶店が好きだったんだよなぁ。純喫茶に行ってみて、カフェとは違う空間に驚いたもんだ。休みの日は、家の近くの純喫茶を調べては開拓したなぁ。」

「あ、今は何もしない休日を送っちゃってるなぁ。今だって興味あるものはあるのに。行動力があった時期もあったんだから、また開拓でもするかな。」

みたいな思考になるかもしれません。


いかなる内容であれ、過去を自分の言葉で書き残すことで、

過去が現在の自分に気づかせてくれるものがあるのです。






以上2点が、「わたしがnote投稿を継続する答え」です。


人間、いつか死にます。

この世に何を残そうとも、自分が死ぬ時には全て手放すことになるんです。

持っていけるのは、自分の内側にある感覚だけ。

地位や名誉、収入、財産… これらは、自分の外側にあります。
自分の外側にあるものは、、自分を修飾はすれど、自分自身を示すものにはなりません。


死ぬ間際、

「自分はどんな人間だったのか」と考えた時、

「自分の人生はどうだったのか」と思い返した時、

何が浮かぶのか。何を思うのか。

おそらくわたしは、自分の内面を見つめることになると思うのです。



その時に、

「過去から学び、より良く生きられるよう試行錯誤しながらも奮闘した」


という

「自分の内面に向かい合い続けてきた達成感」


が、最初に出てくるかどうか。

これが自分が思う「後悔なく生きること」だと思っています。



人間、歳を重ねると、自分に嘘をつくことが上手くなります。

苦手から逃げる言い訳も上手くなります。

守備範囲の狭い「できること」を自身のプライドとし、自分以下の他人を見ては安堵し、得意気になって、マウントを取ります。

一方、自分より上の他人に出会ってしまったら「あいつと自分は違う」と他責にし、自身を正当化します。

よくありますよね、こういうの。

こんなカッコ悪い生き方を、死ぬ間際に見つめたくないですよね。






なんだか壮大な内容になっちゃいましたが、「そのときの心の感覚を書き残す」のと、「たびたび読み返す」のは、いずれ自分のプラスとして返ってくると思います。

あと、継続する秘訣は「質」より「勢い」です。

いくら主観的に「大作だ」というものを書いても、継続できなければ意味がありません。

また、「他人に読んでもらえるかどうか」を第一にするのも危険です。

自らのモチベーションを他人の行動に依存させることになるので、予想できないギャンブルに飛び込むようなものです。

「スキ」が一つでもつけば儲けものだ、くらいが良いでしょう。



ということで、「わたし的に考えるnote継続投稿」でした。

では、みなさん、良きnoteライフを。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?