「40メートルくらい」の好きを考える
長男が微熱で保育園を休むことになり、次男ひとり預けに登園したときのこと。
雨が降っていたので歩いて向かったのだが、ここぞとばかりに甘えてくる。まず第一に靴を履くのを拒否してきた。
ーー仕方なく抱っこで、歩いて登園。
左手に次男。右手に保育園バックと傘。
近いとはいえ、なかなかの筋トレである。
せっせと歩いていると、おもむろに耳元で呟いてきた。
「パパ、好きー。」
無理を聞いてもらっているという自覚は、一応なんとか持ち合わせているらしい。
普段言わないのにこういうところで言うのが何とも次男らしい。
「どれくらい?」
折角なので聞いてみた。
この移動中、私の身体で空きがあるのは頭と口くらいなものである。
少し悩んで出てきた答えが、これだった。
「40メートルくらい!」
■数値化することで、見えてくるもの
少し意外すぎるこの40メートルという数字。
生き物図鑑で見た大型動物の影響なのか、どこで覚えたのかはわからない。
ちょうど、ウルトラマンの身長くらいでもあって、なんだか大きそうではあるので、たぶん好意的には受け取ってよいのだろう。
注目すべきポイントは、好きの度合いは数値化できるという部分にある。
ーー「たくさん好き」でも「いっぱい好き」でもなく、あくまで「40メートル分」の好き。
数値化することで、ぼんやりしているものに客観性を持たせることができる。
早い/遅い、多い/少ない、大きい/小さいを、具体的にどれくらい?という形で解決してくれるのが数字だというわけである。
■数字は苦手なので、の嘘
こう考えていくと、時たま出会う「数字は苦手なので…」いう方に対する理解の助けにもなる。
「数字は苦手」という方は、別に算数や計算等の数字が苦手なのではなく、単純に客観性を持たせた議論が苦手だということである。
税理士という立場からの経験上、うまく行っている経営者は、この部分がシンプルかつきちんとしているという実感がある。
それは足し算引き算が正確だとか、掛け算が早いとかそんな単純な話ではない。
各議論を掘り下げていった結果、それを客観的に説明する「手段」として、数字を上手く使っているということである。
■数字はあくまで「手段であって、目的ではない
「今期の当社の売上目標1億円」等と言った数字の使い方はよくされるが、これは典型的な「目的」の方の使い方になる。
それはそれで良いのだが、そもそも何故1億円が目標になりえるのかについての議論なく、これを掲げるのは、間違った使い方だということである。
仮に売上目標1億円が必要だとして、必ずその上に達成すべきビジョンや理念があるはずである。
それを無視して議論しても、誰かも説得や共感は得られないだろう。
議論を掘り上げる必要があるのは、説得したり共感を生むべき相手がいるからに他ならないわけで、この目的と手段の位置関係を間違えてはいけないように思う。
売上を出すことは当然ながら、会社経営のすべてに繋がるとても重要なことである。
ただし、目標売上を達成したとしても、達成出来ないものがあるとしたら、それは本末転倒だということである。
■「頑張る」の一言をどこまで掘り下げられていますか?
この数字における目的と手段の違いは、職業柄、日々意識している部分でもある。
単に数字を報告して、「頑張ります」の一言を言わせて帰すのは、打合せとして失敗だと感じている。
打合せでの課題の掘り下げ作業は、感覚論だけでは絶対に深くは掘れないわけで、その土壌専用のスコップが必要になる。
その役割を果たすのが、数字であり、会社経営においてその役割を果たすのが、会計である。
ーー「頑張る」という一言を、それだけに留めず、納得いくまで掘り下げられているか?
それこそが打合せの本質だと考えている。
■おわりに
話を、甘えん坊の次男に戻そう。
ちなみにその日、味をしめたのか、帰りも靴を拒否され、再び抱っこマンで帰ることになった。
雨が止んでいて傘が要らなかったのだけが助けであった。
それこそ40メートルの件を掘り下げて議論したかったので、帰り道色々と聞いてみたが、残念ながらそこはまだ3歳児。
それ以上何も掘れず、早速反省すべき実りのない打合せの時間となってしまった。
ちなみに家に帰って、「パパのことどれくらい好き?」と長男にも同じ質問をしてみた。
すると、「ザリガニ1個分」という何とも生臭い答えが帰ってきた。
これはきっと、いや間違いなく微熱によるものだと私は今、信じている。
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