(6) 陰の立役者は人生の大先輩(2023.10改)
夕餉の膳を揃えるに当たって、志乃は鮎を囲炉裏で焼いていた。
金森家の盆の習慣は京に似ていると思いながら、囲炉裏の灰に円形に差した串を鮎の焼き具合を見ながら回してゆく。
その後ろで姪の彩乃が、志乃の娘の美帆に紙芝居を見せている。
美帆を引き取る前、姉の幸乃と相談して彩乃を志乃の養女にしようと話していたが、こうして共同生活が始まったので今更の様になってしまった。彩乃の姉の幸も含めて一緒に暮らしてゆこうと、たおやかで清々しい感情に包まれていた。
「せんせい・・がんばって・・」
美帆が突然言い出したので、志乃は振り返る。紙芝居をめくろうとした彩乃もきょとんとした顔をしてフリーズしている。廊下を誰かが走る音がして、家の中がざわつき始めた。
「美帆ちゃん、どうしたの?先生って魔法のおじさんのこと?」
彩乃が美帆に尋ねるが、美帆はサッシの方を見て、何やら考えているように見えた。
「誰でもいいから、これを中学校の電算室に持っていって!」幸が叫んでいる。
直ぐにドドドっと廊下を走る音がして、誰かが外へ飛び出してゆく音がした。
彩乃が立ち上がって、囲炉裏の状況を見てから言った。「叔母さんはそれが焼けてから来て。私、美帆ちゃんを連れて中学校を見てくる」
「そうだね。中途半端にはできないし・・終わらせてから私も行くよ。美帆をお願いね」
「うん、分かった」
美帆が状況を察しているような態度をして、顔を見もしないで彩乃と手を繋ぎ、部屋から出ていった。
志乃は目の前の鮎の塩焼きに集中する。職人は食材に意識を向ける、しかし、「家に居ないのはあの人だけ」そう思うと心はどうしても乱れる。
「完璧で完全なものは、この世には無い」
完璧・完全に近い存在は「初物」「新製品」そして「新兵器」ではないかとサミアは考えていた。
「今までとは異なり、明らかに違うもの」「従来品の限界点を上回るもの」そんな新たな産物と相対した相手や、既存の商品・製品は霞んでしまい、あっけなく敗れてしまう。基準や限界点、そして性能そのものが異なれば、相手は困惑し、絶望しながら敗退してゆくしかない。
僅かな差をアドバンテージと位置づけ、新製品や新しいソリューションを世に出し続けて、市場でのシェアを奪ってゆくのがサミアの狙いだった。
AIを様々な製品やソリューションに組み込む事で、従来品、従来製品を上回る「モノ」を次々と世界に送り込もうとサミアは考えた。自社のAIを成長させる手段としても使える。
そのバリエーションとラインナップを広げることでプルシアンブルー社を拡充させる。
サミア達エンジニアが開発した製品は、一人の男が全ての販売計画を立てて、世界各国へ提供される。
そんな骨格が纏まりつつある中で、セールスを担当する幹部が政治家になってしまった。
結果的には好都合となる。政治家をやらせても一流であるのが直ぐに判明したからだ。
自動車、工場用ロボット以外の製造業が壊滅的なまでに敗退、縮小したこの国をベースに据えたのは、適切な判断だった。
経済に加えて政治も三流なので、台頭しやすかった。それでも不可解なのは何故、没落の道を辿ってしまうのか、だ。
技術力、物量の絶対的な相違を前線で痛感し、「大日本帝国は負ける」と兵士たちが思い、士気を失っているのに、前線から遠く離れた将校たちが「神国日本が負けるはずがない」と信じて疑わない。
この情報能力、分析力の絶対的な欠落が何故生まれたのか?
日本列島を戦前と同じような暗雲が覆っているのを、サミアは信じられない思いで見ていた。
80年代後半は我が世の春を謳歌し、世界の頂点を目指した国が情報分析力に劣っていたがために周辺国に負け続けている。成長率は先進国で最低値で、一人あたりのGDPには韓国に抜かれ、先進国から転げ落ちようとしている。
何故日本は敗戦から学ぼうとせず、国家レベルでの過ちを民間企業も組織も繰り返すのか?サミアはモリに尋ねた事がある。彼は言った。
「教育に力を注がないので、詰め込み型の画一的な人材を排出し続ける。
大学入学と就職という2つの競争を勝ち抜けば、大手企業が数多く揃っていたので安定した生活が保証された。
バブル期までは日本にはライバルが居なかったのと、レベルが同じ様な人材が豊富に揃っていたので成長軌道には乗れた。地道に切磋琢磨する日本人気質がプラスに作用して一定規模までは成長し続ける。
しかし、周囲を見渡してトップになった時点で、信じられない作用が生じたんだ。
夢や構想は描けて語れても、具体的なプランを纒められる人材を全く育てていないので、野心ある周辺国のライバル企業の台頭を許し、敗退を重ねていった。
負けた分析を一切しないで、敵のいない恵まれた時期に経営層になった連中が、負け続ける部下の更迭と降格を繰り返すだけの組織となっちまってるんだ。
今も昔も一緒なんだよ、この国にはまともな参謀と作戦立案者が殆ど居ないんだ」
そう言っていた男は教師になっていた。どれだけの成果を上げたのか、どんな人材を排出してきたのか、それが分かったのは東京都の補選に出た際に明らかになった。
多くの卒業生と在校生、そして父兄たちが駆けつけて、モリの選挙活動を支えた。
会社員時代と同じだった。モリを慕う人々がどこからともなく集まってくるのは昔も今も変わらない。
だが、常にエースは狙われる。それでも狙われるのに慣れているのが真のエースだ。
無理難題が伸し掛かってきてもこなしてしまう。個人技の時もあれば、チームワークで乗り越える事もある。ケースバイケースだが、チームを統率する能力はずば抜けているし、チームを作り上げる能力にも長けているので、チームの総合力は常に向上してゆく。
金森知事が富山で、モリが都内で動き始めたので成長の速度も早くなった。2人が訪米して、民主党にテコ入れする動きを見せれば、面白く思わない連中が動くのは想定していた。
しかし、まさか抹殺という手段に出るとはサミアも想定していなかった。
モリを失う訳にはいかない。頭をフル回転させ、対抗策を練りながらデータセンター室に到着し、サチに一報する。我々の唯一の火砲力をモリに届けなければならない。
「これが富山でなかったら・・」とサミアの背筋が凍ったかのような寒気を帯びる。「・・ゲームは終わっていたかもしれない」
富山本社の出勤組と会話して作業分担をすると、サミア達五箇山滞在組は援護機となるドローン3機に指示を与え、攻撃をライフルに集中するプランを立てた。
哨戒活動を行うドローンが周辺情報を都度送って来る。襲撃者は4名で2名がボウガンを放っている。残りの2人はショットガンかと思っていたら、哨戒中のドローンに発砲し、撃墜させた。富山本社の部隊が送り込んだ索敵専用ドローン2機が到着し、ドローンの撃墜シーンを撮影する。AIはレミントン製ショットガンと推定し、射程外まで高度を上げながら相手4名の捕捉と分析を行なう。プロと想定するが山中での行動は不慣れ、移動速度もモリのほうが上回る。実際に双方の距離は開きつつある、これはチームには好都合だった。
在日米軍が相手なら、状況は変わっていたかもしれない。
既に重大なモレが2つ顕在化している。「富山外での対策」と「軍隊との接近戦対策」だ。
ライフル到着と同時にドローン4機が出発。サチがモリの息子と養女達とやってきた。
「まだ決めなきゃならない事がある。数分廊下で待ってて」
そう言って部屋から追い出し、ライフルの投下地点と射撃ポイントを幾つか選んでゆく。モリは逃亡を続けており、襲撃者4名は包囲網を作れずにいる。身体能力のアドバンテージはモリにあった。
サミアは感謝しながら、投下地点と射撃ポイントの情報をドローンとモリのスマホに送信した。
「廊下の子どもたちを部屋に入れて上げて」
サミアが言うと扉は開かれ、子どもたちだけでなく、大人たちも入ってくる。
老人たちは猟銃を持っていた。これはサミアが見落としていた情報だ。
「間もなくライフルがボスのもとに到着し、反撃に転じます」サミアが伝える。
「サミアさん、モリさんを狙っているのは誰なんだ?あれはプロだ。何故、狙われなきゃならんのかね?」
村長に言われて、拳を握る。養女達とその母親は泣いている。
「国です。所有する武器からして海外組織が関与している可能性があります。目的は訪米阻止、つまりボスの殺戮です。拉致する為の後方部隊は周辺におりません」
サミアが言う傍から蛍が泣き崩れる。
「ご安心下さい。我々の勝率は高く、襲撃者たちの制圧もしくは無力化まで間もなくです」
夕飯の準備で遅れて到着した、志乃と翔子は泣いている娘たちに近寄り、状況を聞き始める。
「間もなくライフル投下地点に到着します。ドローン3機による護衛活動に入ります。ゴム弾射撃のため高度を下げます!サミアさん!」
「許可します。ライフルも投下して!」
「了解、作戦開始しました。後はボスに託します。護衛ドローンの増援はどうしましょう?」
「3機のドローンの攻撃力をまずは見極めましょう」
「サミアさん、今回はうまく行くかもしれん。モリさんに銃が渡ったし、助けになるドローンが飛んでいったからの。富山以外での対策は考えているのかな?」
「申し訳ありません。至急対策いたします・・」
「銃の保持ができない以上、狩猟者を増やす必要があるな。実際に撃つのはモリさんでも、猟銃がアチコチに無ければイザというときに役に立たない」村長が指摘する。
「私に銃を教えて下さい!」志乃が突然立ち上がって言った。決意したような顔だった。
「間もなく交戦体制に入ります。ライフル投下地点まで100mを切りました。レミントン製ショットガンの射程外です。ドローンが先頭2名の足を止める攻撃に出ます。1機はボスの護衛で前線に立ちました。初弾命中!2列目の男の顔にヒット!ざまあみろ!」
「ライフル確保と同時に狙撃地点まで移動!登りなのに速い!速度落ちません」
「あんな山登りの訓練もしなければいかんのだが、どうする?」村長が志乃を見据えて言う。
「やります。先生の足手まといにならぬよう、必死に付いていきます」志乃の表情は変わらなかった。
襲撃者を仕向けた相手がただ憎かった。人のために努力して、目障りだからと殺害対象になるだなんて、どこの国の話だと憤っていた。
私は先生を守る。成人女性陣でそれだけの体力があるのも自分しかいないというのも分かっていた。
五年十年私が頑張れば、大学生や先生の息子さんたちが代わりになってくれる。その時まで頑張ろうと志乃は誓った。
「狙撃ポイント到着。相手の4座標の特定作業を開始します。風は無風、周囲が暗くなった点を除けばハンティングには絶好のコンディションです。犯人Aは雑木林から出て周囲を確認中。BからDの3名は雑木林内に留まっています」
「まだ、撃っちゃいかん!4人が林から出るまで待て。ドローンもゆっくり後退させるんだ。
射撃地点から相手までの距離はどのくらいある?」
「667mです!」
「630まで相手が近づくまで待て。必ずだぞ!」
村長は中学を卒業して予備役に付いていた。体格の大きさで選抜され、銃の扱いで抜擢されたが間もなく終戦となる。サミアは650mだと想定していたので驚く。モリの銃の腕は村長の方が断然詳しい。
「了解!」
「いいかあの銃の弾倉の弾は4発しかない。
630mの距離にある4人を弾で仕留めさせてはいかん。弾道が確実に当たる3人分のデータだけ、モリさんに送信しろ。一発は万が一の保険とする。残りの一人はもっと近づいて確実に仕留める。皆さん良いな?狙撃対象は3名、送付データも3つだ!」
「了解!」
サミアは村長の判断に感謝した。そうだ、百発百中なんてゲームの世界だけだと思い、部下たちとハモるように、大声を出した。
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13日夕刻に富山県で起きたという事件の映像と写真が、メディア各社に届いた。
ドローンが赤外線カメラで撮影したモノクロの映像は日本国内で起きた戦闘と頓には考えられない映像だったので、フェイク画像の可能性を疑った各局は届いた情報を一旦保留とし、慎重に扱う判断を下した。富山県警や富山のローカル局に問い合わせると銃撃事件があったのは間違いないようなのだが、映像との因果関係を示唆するほどの情報ではなかった。
情報が集まり始めたのは犯人グループが病院に搬送され、現場近くの警官から情報を入手したローカル局が映像と情報が一致すると判断して、その日の最終ニュースで報じたのが皮切りとなった。
日本が寝ている間に、海外では「首都の議員で、ミュージシャン、Deer Hunterの名でも知られているモリ氏が、日本の首相が刺客として送った襲撃犯を得意の射撃で撃退」と映像と共に流していた。
14日土曜日のメディアは「元自衛官による都議、襲撃事件」で一色ととなる。
杜都議が元自衛官4名に襲撃され、支援に向かったドローンがショットガンによる銃撃で落とされるシーンから始まり、犯行グループ4名が制圧され、モリ都議が電話で会話しながら犯人たちの身体検査をし、武器を一箇所に集め、犯人たちの写真を撮るまでの約5分ほどの映像が繰り返し放映された。しかも、自衛官当時の顔写真まで放映され前代未聞の事件として騒ぎになっていた。
会見で官房長官と防衛副大臣は事実関係を確認中と繰り返し、犯人グループを病院施設に収容した富山県警は、犯人達が所持していた武器を公開し、日本国内に持ち込まれたのは明らかとして、海外組織の関与の可能性まで言及していた。
海外メディアは首相の関与や指示に触れているが、国内メディアは一切触れていない。この違いに関する疑問と、そもそも何故モリが襲撃されたのか、どのメディアもまだ伝えていない。
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「終戦記念日の式典に、首相と官房長官が欠席するなどありえない!」
「しかし、首相と大統領の会話と官房長官と秘密部隊の遣り取りが海外メディアに出回っているとの情報がある。公の場にこれ以上出すのはマズイ」
新井内閣補佐官は事態が悪い方に転がってゆくので半ば他人事として聞いていた。楽しんでいたと言ってもいいかもしれない。
暗殺が失敗に終わったあとだけに始末が悪い。
成功が約束されていた計画が大失敗に終わったばかりか、実行犯4名が逮捕され、首相案件なので拒否できないと指揮官に言われたと自供しているようだ。自供も誤算だろう。
「徹底した拷問にも耐えられる」豪語していた司令官のメンツを打ち砕いた。富山県警の取り調べに屈したからだ。
新井にすれば、既に退陣が決まっているのでどうでも良い。一切関与していないので火の粉も飛んで来ない。濡衣を着せられるときの為に皆が保身用の情報を持っている。関与した連中が責を負えば良い。
しかし、明日どの顔をして陛下の前に出るのだろう。17日のまやかしの検査入院も完全に吹っ飛んだ。それどころか、逮捕というのも現実味を帯びてきている。富山県警は警視庁には従わない。県知事と県議側に完全についている。それ故に犯人の自供も取れたものと考えていいだろう。
また、そもそもの発端は大統領だが、その遣り取りの音声が何故かイギリスに存在し、BBCcは日本支局に依頼し情報の真偽を確かめるように依頼してきた。
そして政府高官に音声を確認して貰い、高官は驚いたという。この情報が公表されれば日米両国政府が転覆しかねないと青ざめた、らしい。
おそらくモリは訪米を断念するだろう。
暗殺指示を出した大統領がいる国など行きたくはない、と日本と大統領の音声データと共にぶち上げれば、民主党の勝ちだ。共和党は大統領選も上院下院も総崩れの公算が高くなる。
民主党は、政権樹立の功労者としてモリを優遇するだろう。それなりの勲章やトロフィーを提供しなければ党内から吊るし上げられてしまう。
ならばだ。
このタイミングでモリに近づき、日本政府対策のアドバイザーのようなポジションを得てもいいかもしれない。
そう決断して、新井は笑顔を出さぬように両手で顔を覆った。
(つづく)