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ひつような小説
逢坂冬馬の小説『歌われなかった海賊へ』読みおわえてすぐナチス時代をとりあつかった映画しらべて、スティーヴン・スピルバーグ監督「シンドラーのリスト」見る。
ドイツ人実業家・シンドラーが金儲けのために賃金のやっすいユダヤ人を大量雇用した工場が、やがてユダヤ人のいのちを保護するための場になり、保護に力をそそいだために一文なしになる。シンドラーが「実業家」という進歩を捨てて「人間」へと回帰していく一連があざやか。
終戦どき、いのちを救われた工場勤務のひとびとはシンドラーに金歯でつくった指輪を贈る。金歯は、身体の一部であることによってようやっと所有できた財産。ほかはぜんぶ奪われた。
そこに彫られた文字、
1つの生命を救う者が世界を救える
ユダヤの聖書・タルムードの言葉。誰かのために立ちどまれるのが、人間だとおもう。本能ではなく理性で動けるひと。
わたし立ちどまることがだいじだと知っているのに、iphoneを次から次へとスクロールして、ゆかいでわかりやすい動画へと駆けていってしまう。
『歌われなかった海賊へ』を読んでこうして立ちどまれてうれしい。
うつくしい小説、泣ける小説、小説のよさをあらわすことばにはいろいろあるけど、『歌われなかった海賊へ』はひつような小説だとおもう。人間でなくならないように。
ただ、誰かがいつか読んでくれればいいのだ。文化としての彼らは、その読み手がいる限りは、途絶えることがないと信じている。