2025年1月3日(金)曇り
1月3日、昨晩は、「やらなければならない」という強迫観念が現れていて、身体全体に力が入っている状態でした。
寝る前に、ストレッチを行い、身体をほぐして、血圧測定を行ったところ、高い方は165と高すぎて、面食らいました。
血圧測定後、お薬を飲んで、ふとんに入って、精神科ナイトケアにて学んだ「マインドフル・セルフ・コンパッション」のスージングタッチと呼吸の瞑想を行い、眠りに就きました。
スージングタッチを行い、強迫観念を消すことはできたのですが、思考が止まらず、ほとんど眠ることができませんでした。頭がさえすぎてしまって、眠れない状態でした。
たいへん長い夜でしたが、横になっていても眠れないので、7:00くらいに起きました。起きたときは、少し眠いのですが、頭がさえている状態でした。
起きて、朝食のカップ麵をいただきました。
朝食後、不安感が強くなり、調子が悪くなってしまったので、横になって過ごしました。ほとんど眠れなくて、こんなに調子が悪いのも初めてだと思います。
今日は、実家に帰って、家族で昼食をいただく予定になっていて、ものすごく困りました。
少し回復したので、歯磨きを行いました。げぇげぇ言いながら歯磨きを行いました。
歯磨きが終わってホッとしましたが、もっと状態が悪くなってしまって、慌てて、横になって過ごしました。
横になっていても、ほこりに目が向いてしまう状態で、困っていましたが、10:20くらいになり、家を出ないといけなかったので、調子が悪いながらも家を出て、実家に帰りました。何事もなく実家に帰ることができて、ホッとしましたが、調子は悪いままでした。
11:00を過ぎて、弟のmasaさんが実家に帰ってきたので、弟のmasaさんと一緒に、シマホ与野店近くにある「銚子丸」に出掛けて、注文したお寿司を受け取り、実家に帰りました。
弟のmasaさんとお話しながらだったので、だいぶ気持ちが楽になり、調子が回復したので、ホッとしました。
今日は、実家にて、家族で昼食をいただく日でした。
母は、ずっとうつ状態でしたが、母のお話によると、12月28日に自分でお風呂に入ってから調子がよくなって、そう状態に変わったとお話していました。母が元気になってホッとしました。
母の中学の同級生のみなさんにも、母が元気になったことを伝えました。
今日の昼食は、お寿司とお刺身とおせちです。ものすごくおいしかったですが、お寿司が余ってしまったので、弟のmasaさんと必死になってお寿司を平らげて、お腹いっぱいになり、ものすごく苦しかったです!
母が元気になったので、母から整形外科のリハビリに通いたいとのお話があり、そのお話が課題になりました。母には、認知症デイケアにもリハビリできるところがあるというお話を伝えて、母の今後について話し合うことになりました。
それと、家の近くの中華料理店「神龍美食坊」にて、北京ダックをいただくお話がまとまって、僕はホッとしました。肩の荷が下りた感じです。家族でいろいろお話で来てよかったです。
実家にて昼食後、弟のmasaさんと洗い物をして、実家を後にして、弟のmasaさんと一緒に僕の家に帰りました。
昨日、ほとんど眠れなかった原因がわからなかったのですが、僕がコロナウイルスに感染して、実家の両親や弟のmasaさんに、コロナウイルスを感染させてしまうのではないか、という不安感というか強迫観念の影響で眠れなかったことが、弟のmasaさんと僕の家に帰ってきたことで、理解することができました。今でも、ものすごい葛藤を抱えている精神状態です。
家に帰る前に、家の近くのスーパーにて買い物をして、家に帰りました。
弟のmasaさんとは、母の今後のことについて、いろいろ相談をしました。僕がコロナになってしまったこともあり、長いこと会ってお話できなかったので、母のことについて方向性を定めました。
母には、認知症デイケアに通ってもらう方が、僕らが安心できること(父はわかりません)と、母を外出に連れて行くにあたり、車いすをどうするか、介護保険で通院の介助を受けるかどうかなど、話し合わなければいけない問題が、いろいろあったので、母に提案する内容を話し合ってまとめた感じです。
話し合いとしては、密度の濃い話し合いでしたが、僕の方は、弟のmasaさんがコロナに感染するのではないかと心配になっていて、調子が悪い感じで、お腹にきてしまい下痢になっていました。弟のmasaさんといい話し合いができて、よかったです。
弟のmasaさんが帰った後、食べすぎもあり、調子が悪いこともあったので、電気を消して、ふとんに入って、横になりました。少し楽になって眠れるかな、と思いましたが、全く眠ることはできず、スージングタッチを行いながら横になっていたので、調子は回復したので、ホッとしました。
気づいたら時間は、17:00を過ぎていたので、家の近くのスーパーにて買い物をして、家に帰りました。生活備品のトイレットペーパーが無くなりそうだったので、ちょうど購入できて助かりました。
今日の夕食は、冷凍パスタです。ものすごくおいしかったです! ごちそうさまです。
夕食後、洗い物をして、のんびり過ごそうと思いましたが、調子がよくないこともあり、軽くお散歩を楽しむことにして、家を出ました。
僕は、コロナに感染したこともあって長くお休みしていましたが、横なって過ごしていたため太ってしまい、これはジョギングなども始めないとダメだなぁと感じています。
お散歩ですが、歩いていると暑くなってきますね。30分以上歩いたこともあって、気持ちも前向きに切り替わって、調子が悪かったことも回復したので、お散歩はすごいよかったです! いい気分転換になりました。
お散歩後、家に帰って、母に電話しました。母には、明日は土曜日なので、実家に帰ることを伝えていて、明日の夕食はお雑煮をお願いしました。
今年の年末年始は実家に帰ることができなかったので、母の作るお雑煮をいただくことができませんでした。母の作るお雑煮がいただきたかったので、明日の夕食はお雑煮になりました。たいへん楽しみです! 母とお話で来てよかったです。
母とお話した後、読書を楽しみました。読んだ本は、「高齢者施設がわかる本」と、似鳥昭雄会長の本「ニトリの働き方」と、レヴィストロースの本「野生の思考」と、水野敬也さんの婚活本「LOVE理論」を拝読しました。
長いお休みの日の楽しみは、やっぱり読書です!
「高齢者施設がわかる本」は、「介護付き有料老人ホームとは、こんなところ」を拝読しました。
お話のとおり、「24時間体制で介護を受けられる民間の老人ホーム」です。高額な入居一時金が必要なところも多いそうです。それと、入居条件もあるそうで、①入居時自立型 ②介護専用型 ③混合型 と、3つのタイプの有料老人ホームがあるとのお話でした。実家の両親は、お金がないので、やはり特別養護老人ホームになると、弟のmasaさんとも話し合っています。拝読できてよかったです。ありがとうございました。
似鳥昭雄会長の本「ニトリの働き方」は、「謙虚さを身につけて、自己変革を続ける」を拝読しました。似鳥昭雄会長は、お仕事で成功して傲慢な感じになるのではなく、謙虚に真摯にお仕事に取り組みなさい、とお話されていました。僕も気を付けようと思いました。お話ありがとうございました。
レヴィストロースの本「野生の思考」は、「科学とブリコラージュと美術」についてのお話を拝読しました。ものすごく難しいお話でした。引用します。
科学と器用仕事(ブリコラージュ)では構造と出来事の関係が逆対称的にあらわれるということになると、その点でもまた美術は明らかに中間的位置を占める。
事物の内的な属性と、空間的時間的コンテキストに由来する属性との綜合を行うような知識が必要なのである。
つねに図式と挿話のあいだに位置し、内的知識と外的知識、存在と変成を結合させ、また物体としては存在しない物を筆によってカンバスの上に作り出すのが画家の才能である。それは、一方一つもしくはいくつかの人工的自然的構造と、他方一つもしくはいくつかの自然的社会的出来事とのあいだの、精密にバランスのとれた綜合である。美的感動は、人間が、したがってまた潜勢的には鑑賞者が、作り出すものの中におさめられている構造の次元と出来事の次元とのこの結合から生じる。鑑賞者はこの結合の可能性を芸術作品によって発見するのである。
このように分析するといろいろなことに気づく。第一に、神話がわれわれにとって同時に抽象的関係の体系にも美的鑑賞の対象にもなるわけがわかる。なるほど、神話を生み出す創作行為は、美術作品のはじまりにある行為と対照的である。美術作品の場合、出発点は一ないし数個の事物と出来事の集合であって、美的創造は一つの共通の構造を明らかにするによってそれに全体性を付与する。神話も同じ道を辿るが、方向は逆である。神話は構造を用いて、出来事の集合の様相を呈する絶対的事物を作り出す(なぜなら神話はつねに物語であるから)。したがって美術はある集合(事物+出来事)から出発してその構造の発見に向かう。神話はある構造から出発して、それを使って一つの集合(事物+出来事)の構成を企てるのである。
ほぼ引用になってしまいましたが、ものすごく重要なお話と思いまとめました。レヴィストロースのお話や考え方が、ものすごく勉強になりました。お話を聞いて、アールブリュットについて、少し理解することができてうれしかったです! お話ありがとうございました。
水野敬也さんの婚活本「LOVE理論」は、「ファッションまぐろ理論」を拝読しました。冒頭言は「「ファッションセンスがない」を逆手にとる方法」です。お話、たいへん面白く腹を抱え嗤いながら拝読しました! 引用します。
いいか?このことは覚えておけ。ファッションに個性は必要ない。「個性」イコール「滑稽」と心得よ。
具体的に言うと、たとえばイエローとブラックのボーダーのデザインのジョルジオ・アルマーニのベストをお洒落に着こなしていたとしても「ゲゲゲの鬼太郎じゃん」と言われたらジ・エンドなのである。どれだけ格好良かろうが、その「たとえ」をされた以上、どこからどう見ても鬼太郎のちゃんちゃんこにしか見れなくなるのが人間心理であり、それ以降は、髪の毛を立てて「妖怪アンテナが!」とか、茶碗に向かって「オヤジ!」と叫ぶなどの三枚目を演じる以外の道は残されていない。
俺から言わせれば、そもそも「どの服がオシャレなのか?」とお前が判断するという発想自体が間違っている。なぜなら、服は、他人が見るものである。
この事実に気づいてから、俺は自分の好みというものをかなぐり捨てた。その代わり、必ずセンスの良い友人や女に服を選んでもらうことを自らに義務付けた。
これは恋愛においても効率的な方法だ。服を選んでもらうことを口実に女をデートにも誘えるし、ホレている女に服を選ばせれば、その女好みのファッションが出来上がる。そして服を選んでくれたお礼にプレゼントでもすれば、二人の距離は一気に縮まる。
水野敬也さんのお話、ものすごく面白く参考になるお話でした! お話ありがとうございました。婚活がんばります。
読書後、僕の尊敬する糸井重里さんのホームページ「ほぼ日」を拝読しました。
糸井重里さんのコラム「今日のダーリン」を拝読しました。糸井さんは、今の時代は、「なんでもニュースになる」とお話されていました。
それに合わせて、思想家の吉本隆明さんが色紙を書くときの言葉「ほんとうの考えと 嘘の考えを分けることができたら その実験の方法さえ決まれば」というお話をされていました。吉本隆明さんが色紙に書く言葉は、僕も大好きな宮沢賢治さんのお話「銀河鉄道の夜」に出てくる言葉です。
僕は、改めて考えさせられました。糸井さん、お話ありがとうございました。
ほぼ日にて、母の分も合わせて「ほぼ日手帳」2冊を購入しました。たいへん楽しみです!
日記を書いている現在、「やらなければならない」という強迫観念が現れていて、身体に痛みが現れています。ストレッチを行い、身体をほぐして、眠りに就きたいと思います。昨晩は、眠剤1錠でほとんど眠れなかったので、今日は眠剤2錠を飲んで、ゆっくりおやすみできることを願います。
明日は、遅起きをして、掃除洗濯を行い、夕食は実家にて、母の作ったお雑煮をいただく予定でいます。母のお雑煮が楽しみです! 明日もみなさん、よろしくお願いします。寝ます。それでは、おやすみなさい。
今日もみなさん、お付き合いありがとうございました。明日も、よろしくお願いします。