見出し画像

エマニュエル・トッド『西洋の敗北』覚書き part 1

エマニュエル・トッドの『西洋の敗北』を読み始める。本のタイトルはシュペングラーの『西洋の没落』をもじっているのだろうか。『西洋の没落』のフランス語のタイトルが「Le déclin de l'occident」。『西洋の敗北』の原題が「La défait de l'occident」なので、語感は近い。

フランス語の原書は今年の一月にガリマールから出版されている。今月、ようやく日本語版が出版された。フランスの歴史人口学者にして家族人類学者であるトッドによる、ロシアとウクライナの戦争に関する論考。大変刺激的な議論が展開されている。

まずは第一章まで読み終えた。以下、覚書き。トッドによれば、ロシアにおいて共産主義と農村の共同体家族の間には強い親和性が認められる。ロシアでは、結婚した後も息子たちは父親と共に同じ農地に住む。その家族形態は息子に対する父親の権威と、兄弟間の平等によって特徴づけられる。それは、長男に権威が集中する伝統的な日本の家族形態とは一線を画する。このようなロシアの父系制の原則は、これはドストエフスキーの小説などを読むと気づくことだが、三つの名前、つまり、名前、父称、家族の名字をつける習慣に象徴される。「カラマーゾフの兄弟」で展開される世界観は、おそらくこのような背景に支えられているのだろう。

ロシアの伝統的な家族形態は、たしかに農奴解放令や都市化、識字率の解消によって崩壊した。しかし、所属するものを失った個人は、例えば共産党や計画経済のなかに父権に代わるものを見出そうとした。人々を近い距離から監視するKGBは、ロシアの伝統的な家族観に近いものだったのかもしれない。

このようなロシア固有の社会的な背景を無視して、核家族をベースとしたアメリカやイギリス、フランスの価値観を中心にロシアを見ることは生産的とは言えない。ところが、ウクライナ戦争以降の西洋の報道は、「諸国家はみな同じ」というビジョンをもとに動いているように思われる。「われわれ」の世界観と相いれないロシアは愚かで不気味である、と盲目的にくくってしまっている。

とは言え歴史をさかのぼると、例えばアメリカにしても一貫して「諸国家はみな同じ」というビジョンで動いてきたわけではない。第二次世界大戦時には、敵国である日本を異なった価値観を持つ国とみなし、その心性を分析した。その一つの成果がルース・ベネディクトによる『菊と刀』である。また「封じ込め」という概念を提唱したジョージ・ケナンはロシア語を話し、ロシア文化を敬愛していた。かつてのアメリカには多様性への寛容があった。それがかげりを見せるのは、ネオコンの登場によってである。世界は多様である、という見識の消滅により、ロシアをリアリスティックに捉える見方が失われてしまった。

実際プーチンの登場以降のロシアを見てみると、自殺率や殺人率、乳児死亡率などが著しく低下している。プーチン政権下で、ロシアの生活環境は改善しているのだ。たしかに、出生率の低下という、多くの先進国を悩ます問題はロシアにも存在する。ロシアにとって、人材はますます重要な資源である。だからこそ、人口が8億を超えるNATOに太刀打ちできないロシアは、自国の主権を守るために、核による先制攻撃をその軍事ドクトリンにおいて容認した。人口減が大きなリスクになる前に、必要な行動はとらなければならない、というわけである。

このような世界において、日本が果たすべき役割は何か、ということはこれからも考え続けなければならない。引き続き、読み続けていきます。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集