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生きづらい?なら規則正しい生活と適度な運動をすればいい、の罠

この20数年、考えてみると結構な数の自己啓発本を読んだと思います。何百冊というレベルかもしれません。

自覚がなくとも、やっぱり何かしらの生きづらさがあり、何かしらパコーン!と爽快にずれているものを直してくれるものを求めていたし、だからこそ『これをするだけで全部治る!』みたいなタイトルに馬鹿馬鹿しいと思いつつももしかしたら…という思いが捨て切らずに手に取ってしまってたのでしょうね。

いろんな本に書いてあることを試してみても、最初の数週間や数ヶ月は『これいいかも!』と思うのに段々と効果が感じられなくなり、やる気がなくなっていきました。

大体のところ、何百冊本を読んでも、メンタルにこれが効くよ!と言われていて、かつそれは本当にそう、と思えることはこんな感じです。

規則正しい生活をし、朝に外に出て日光を浴びる
週に一定量の運動をする
暴飲暴食をせず、栄養バランスの整った食事をとる


これらは確かに効きますし、この生活をきちんとしている人に対して『お前はメンタルに問題がある』と言える人は少ないと思います。

でもこれって、『これをしているからメンタルが安定している』かもしれないけど、『メンタルがある程度は安定しているからこれができる』でもあるんですよね。

マラソンを走っているから健康なのか、それとも健康だからマラソンが走れるのか、という話ですよ。両方極端な話なのはわかっているのですが、捻挫している人はマラソンを走れない。なのにマラソンが走れたら健康な証ですからがんばりましょって言われているようなものだと思うんです。

ついでに言ってしまうと、複雑性PTSDだからこそ強迫的に『完璧に健康的な生活』をこなしている人達の生きづらさを無視してしまっている。

なんの話だ、と思われるかもしれませんが、捻挫は目に見えるし理解してもらえますが、トラウマは目に見えなくて理解されない。本人ですら気が付かないことも多い。だから他の人間と同じように歩こうとしても、怪我をしていない人はさくさくと楽しんで歩ける道を同じようには歩けず、たった500m歩いただけでくたくたになってしまう。これが発達障害やトラウマを持つ人間の生きづらさではないかと思う。

最近の本はだいぶアップデートされてきたかと思うのですが、少し前の本を読むと『幼少期の虐待についての本だし、これは明らかにトラウマ関連の内容だな』と思うような本でも『規則正しい生活をして、運動をすれば全てが解決する!毎日できたことを記録していこう!』と言ったことが当たり前のように書かれていて、これを信じて頑張れば頑張るほど『どうしてこんなにつらいんだろう、どうして私にはきちんとできないんだろう』と苦しんでいった人間がどれほどいるんだろうか、とつらい気持ちになります。きちんとやろうとすればするほどきちんとできない自分が浮き彫りになりますから。

これらのアドバイスが効かないというわけではなく、私も複雑性PTSDを知るまでの人生を生き抜くためにはかなり助けられた部分もあります。運動は確かに気分を良くしますし、ヨガは特にやって良かった。フォーカシングも色々試してみていたからこそ出会ったものです。けれど自己啓発本のほとんどが目標を『より社会に適応する』、言い換えると『世間一般から見て問題がない人みたいな生活が送れる』に設定しているように思います。でもそれって、根本的な人間性というか、自己の回復という観点を欠いているのではないかと。

怪我をしている時は、休むしかない。歩いたら悪化する。けれど複雑性PTSDの人は歩かなければ死ぬと怯える環境で育ったため、休み方がわからず歩き続けてしまう。そういう意味では、複雑性PTSDの治療は、休み方を学ぶことです。怪我をしない歩き方を学ぶのは、その次です。

生きるか死ぬかの状況ならなんとか怪我の悪化を最小限に留めながら歩き続けるために自己管理をすることも必要ですが、生きるか死ぬかの状況から生き延びたらまずは怪我を治すことですよね。

私の複雑性PTSDの集まりで出会った知人でも、カウンセラーさんにこういった『毎日やることリスト』なアドバイスを受け『社会生活に適応するため』日々頑張っていた人が結構います。それ自体は悪いことではないです。でもまだその回復のステージではないのでは?と勝手ながら思うことも多々ありました。

私が複雑性PTSDの治療を始めてから1ヶ月は、それまで毎日やっていたやることリストが笑ってしまうくらい空っぽでした。知らない感情がどんどん出てきて、自分は頭がおかしくなってしまったのではないかと思いましたし、もう普通の生活には戻れないのではないかという恐怖にも襲われました。

夜中に胸の激痛で目が覚めるし、突如感情的フラッシュバックに襲われて何日もダウンするし、生活リズムは崩れに崩れ。ふとしたことで泣いてしまうくらい悲しい気持ちが続いてほとんど外にも出れない。

でもそれは、怪我をしながらずっと歩き続けていた私が、ようやく怪我に気がつけて立ち止まれた瞬間だったのだと思います。

私にはまず幼い頃の自分がつらかったこと、悲しかったことを認識し、受け止めることが必要だったからです。

私は毎日30分きちんと運動して、外でガツガツ働き、チェックリストがきちんと埋まっていた時よりも、二日もお風呂に入れず、ずっと布団の中でわんわん泣いていた時の方が、ずっと自分のケアをしていたと感じています。

病人は寝るのが仕事と言いますが、トラウマ持ちはまずはトラウマ治療が仕事、と言われるくらいトラウマに関する認識が変わってくれたらいい、と思いながら今日も細々とノートを書いています。

風邪の時、体がだるいからこそ私たちは横になって休めます。痛みがあるのは体が休む必要があると教えてくれているからです。生きづらさも、わたしたちに大切なメッセージを送ってくれている、と忘れずにいたいですね。

いつも読んでくださってありがとうございます。






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