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『子供は大人よりよっぽどタフだ』という裏切り


夫婦間の喧嘩が絶えないギスギスとした家庭なのに、子供は空気も読まずバカなことを言って笑っている。

『だから』、子供は大人よりよっぽどタフだ。

妻がいつもピリピリとしていて、父親である自分は帰りたくないような家だけれど、子供は妻と仲良くしているようだ。

『だから』、子供は大人よりよっぽどタフだ。

かっとすると兄弟相手に手が出る子供がいるが、他の子供はたまに手を出されても結局は仲良く一緒に遊んでいるようだ。

『だから』、子供は大人よりよっぽどタフだ。

確かに、大人がくよくよと思い悩んでいる時に、子供は呑気に笑っていると感じることもありますよね。

さっきまで泣いていたのに、もう笑っている。子供はくよくよしないから、大人よりもタフな生き物だ。

そんなふうに思っている大人は少なくはないけれど、複雑性PTSDの治療を始めた今、声を大にして言いたい。

大の大人が精神的にまいってしまうような環境なら、無力な子供は多分その1000倍つらい思いをしている。

子供が平気なように見えるのは、平気なふりをしなければ生き延びられないと子供の体が判断しているからだ。

子供というのは、庇護者がいないと生きられないので、庇護者を失うかもしれないという危険に晒されると自分のニーズを全て抑圧し、必要であれば解離し、庇護者の確保に全力を注ぎます

本来なら子供はまだ一人で生きられないので、沢山大人の助けを必要としています。

衣食住だけではなく、感情的、精神的な面でも未成熟な子供は、本来ならば沢山泣いて、沢山怒って、沢山大人に迷惑をかける存在です。

『手のかからない良い子』は同時に、『手のかからない良い子』でいなければ庇護者を失ってしまうかもしれない、と感じている子供かもしれません。

『タフな子供』はタフでいないと大人に面倒をかけると怯えている子供かもしれません。

大人には『自分が子供を捨てるわけがない』ことが明確であっても、子供というのは『無条件の愛情』つまり『相手が聞きたくない本音を言っても、自分が悪いことをしてしまっても変わらず愛されるだろう』という確信がないと、無意識的に『本当の自分を出してしまったら庇護者を失ってしまうかもしれない』という子供にとっては死の恐怖に等しいものに襲われます。

しかしそんな恐怖を感じることは危険だと体が判断するため、怖いとか寂しいという気持ちは抑圧され、代わりに多種多様な手段で親との愛着を維持しようとします。

なので無意識のうちに、『親は面倒ごとを嫌がるから嫌そうなそぶりをしてはいけない』と言い聞かせ、平気なふりをしたり、親が喧嘩をしていると冗談を言って場を和ませて両親の離婚を回避しようとしたりします。

これらは全て、子供が大人よりもタフだからではなく、子供が大人よりも弱く、庇護者を必要としているからです。

なので大人が、『自分は嫌だけど、子供はタフだからほおっておいても大丈夫』と言うのは、本来自分で自分を守れない子供を守る義務のあった大人からの特大級の裏切りなのです。

子供は自分よりも強い、本来自分を守ってくれるべき存在だった大人を守るために自分自身を犠牲にしている。

はたからは呑気に笑っているような子供たちが、どれだけの生きづらさを抱えているのか、本人も幼少期から抑圧、解離していたためわからないことが多いです。

子供にとっては、目先の危険より、庇護者を失うかもしれない、ということが一番の恐怖であり、庇護者との愛着のためにどれだけの痛みをなかったことにしているのか、私は複雑性PTSDの治療を始めるまで全く無知でした。

幼少期を笑って生き延びた『タフな』子供たちが、大人になってから自分でも理解できない生きづらさに悩まされ、自分の人生の生き方がわからないと苦しむ。

幼少期も恵まれたものだったのに、どうしてかわからないけれど生きづらい。

そんな人たちが今沢山いると感じます。

いつも読んでくださってありがとうございます。


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