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どれくらい子どもの成長をみとることができているのだろうか?

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こんにちは、旅人先生Xです。

今日は、「子どもの成長をみとること」について書いていきます。

今回も子どもとの関わり方について考えるきっかけになると思いますので、ぜひ、目を通していってみてください。

目次は、以下の通りです。




子どもに限らず、人の成長をみとるのは難しい


人の成長をみとるというのは、とても難しいことだと思います。

理由は、「人の行動や考えをすべて把握するのは不可能だから」です。

シンプルで当たり前のことですね。

考えていることや行動していることがすべてわかったら、もしかしたら可能なのかもしれません。

ですが、すべて分かったとしても、何が成長したのかということをみとるのは難しいのかもしれないのでは?と感じてしまいます…




さて、みとることが難しい人の成長。

私の場合、そもそも、自分自身を見直すことを続けていても、難しいと感じるので、わからないことが多く含まれている自分以外の人の成長をみとるのはさらに難しいと感じています。

あなたはどうでしょうか。




みとれる成長はほんの一部なのだと思う


先ほどまでに書いたことから、人の成長をみとるのは難しいことだと私は思っています。。

ですが、だからといって、全く見とれないかと言われたら、答えはNOです。

人の成長をみとることができることは確かにあります。




そこで、忘れてはいけないのは、見とれた成長はほんの一部だということです。

子どもの成長を見とったら、「これはきっと氷山の一角のように見えていないことがきっとあるのだろうな」ということを忘れないのがとても大切なのではないかと私は考えています。

見とったことが氷山の一角だと考えることで、成長の過程やその背景にまで想いを巡らすことができるからです。




一部しか見とれないから、そこから想像をする。

それだけで、子どもにかける声は変わってきそうじゃありませんか?

実際にそうすることで、「結果だけでなく過程も見てくれた」、「別のことにも想いを巡らせてくれている」と子どもは感じる機会が増えるのではないでしょうか。

私は、結果だけでなく、過程もまた大切にできる人になっていってほしいと考え、見とったことから想像を膨らませて、子どもの成長に対して声をかけるようにしています。




一部しか見とれないのなら、それをしっかりと伝えるのが大事


先ほど、見とれるのは、成長の一部だけだということを書きました。

そこで、大切になるのは「一部しか見とれない」のだからそれをしっかりと伝えるということです。

ほんの一部しかわからないのだとしたら、それを言っても無駄じゃないかと考えてしまうことがあるかもしれません。

ですが、そもそも全部を見とることは難しいわけです。

だから、一部しかわからなくても伝えちゃって良いと私は考えています。

ほんの一部だって、分かってもらえたり、見とってもらえたりしたら、きっと相手は嬉しいのではないでしょうか。




一部しか見とれなかったり、わからなかったりしたとしても、想像を膨らませて声をかけたり、相手からそのためにどんな頑張りをしたのかを聞くきっかけを得たりすることはできるはずです。

成長をみとるということを一つのきっかけに、子どもとのコミュニケーションは良い方向に向かっていくのではないかと私は考えています。

ぜひ、一部しかわからないからといって躊躇せず、その一部を足がかりに、子どもの理解を深めていってほしいなと思います。

私自身、まだまだしっかりできていない部分が多いので、一緒に取り組んでいけたら嬉しいです。




お読みいただきありがとうございました。

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