あの秋の日の、言葉を携えて 〜沢木耕太郎『天路の旅人』
大学の卒業を間近に控えたある秋、敬愛する沢木耕太郎さんのサイン会へ行ったときのことだ。
僕の番になって、ドキドキしながら沢木さんと対面すると、その緊張を和らげてくれるかのように、独特な温かみのある声で聞かれた。
「君は、何をしている人なの……?」
そこで僕は話した。いま大学4年生であること、でも就職活動はしていないこと、卒業後の予定も決まっていないけれど、フリーランスで仕事をしていきたい気持ちがあること……。
そして、『深夜特急』を読んだのをきっかけに、海外をひとり旅している、と話すと、沢木さんはちょっと呆れたような、でも少し嬉しいような笑顔を浮かべて、こう言った。
「そんなことばかりしてるから、就職しないんだなぁ?」
本の中表紙にサインを書きながら、沢木さんは優しく続けた。
「でも、そろそろ今後の方向性を決めた方がいいんじゃない?」
サインを書き終えた沢木さんは、本を受け取った僕に、握手をしながら言った。
「まあ頑張って!」
ありがとうございます、と言って、胸を熱くして会場を出た僕は、すぐに本を広げて、沢木さんの書いてくれたサインを眺めた。
そこに、「To Hirotaka」という僕の名前と、「沢木耕太郎」の名前とともに、こんな一文が書かれていた。
「天路を歩む」
その美しい言葉は、その秋の日以来、僕の大切な心の支えになった。
つい先日、沢木さんが新しいノンフィクション『天路の旅人』を発表したとき、おっと思ったのは、そのためだったのだ。
沢木さんにとって、この『天路の旅人』という一冊は、25年もの長い歳月をかけて書き上げることができた作品だという。
描かれているのは、「西川一三」という名の、ひとりの旅人だ。
第二次大戦末期、敵国である中国の奥深くまで潜入した「密偵」こそ、その西川一三だった。彼は終戦後も、チベットからインドにまで足を延ばし、8年に及ぶ長い旅をすることになる。
その旅路をあるがままに綴った作品が、この『天路の旅人』なのだ。
ゴビ砂漠から、果てしない無人地帯を経て、チベット、そしてヒマラヤを越えて、インドへ。その長い旅路は、過酷だけれど、いや過酷だからこそ、美しい瞬間に満ちている。
ところで沢木さんは、この西川一三という人物を、なぜ書こうと思ったのか。そして、西川一三のどこに、魅せられることになったのか。
「あとがき」に、こんなことを書いている。
おそらく、そこには義侠心、救ってあげたいという気持ちがあったのではないかと思われる。
西川一三は、これだけ壮大な旅をしたにもかかわらず、世間からはほとんど知られることのない人物だった。日本に帰ってきてからは、盛岡で化粧品店の主として、1年のうち364日働き続ける人生だったという。
こんなにも素晴らしい旅人がいたことを知ってほしい。きっと、沢木さんの胸には、そんな思いがあるのではないか。かつて、カシアス内藤を『一瞬の夏』で、山野井泰史を『凍』で描いたように。
そして、自分と似たところのある旅人として、沢木さんは西川一三に魅せられたのではないか。
たとえば、初めてヒマラヤの峰に立った西川一三は、こんなことを思うのだ。
それは不思議なくらい、あの『深夜特急』の旅で、ポルトガル・サグレスの岬に辿り着いた沢木さんの感慨と、ぴたりと重なる。
そして、西川一三と、沢木耕太郎という2人の旅人に共通するのは、旅への飽くなき渇望だった。
西川一三の溢れるほどの好奇心は、「ここではないどこか」を求め続けた沢木さんの好奇心と、同じ種類のものであるように感じる。
しかも、西川一三の旅した土地は、沢木さんが『深夜特急』で旅することのできなかった、中国の奥地なのだ。
かつて沢木さんは、こんなことを書いていた。
もしかしたら、このときの「心のときめき」が、『天路の旅人』を書くエネルギーのひとつだったのかもしれない、と思ったりもする。
『深夜特急』で旅できなかった中国の奥地を、西川一三という希有な旅人を描くことで、いま旅するという……。
この『天路の旅人』という作品は、かつて『深夜特急』に夢中になって、旅への一歩を踏み出したすべての人に、いま読んでほしい一冊だ。
とくに終章で、西川一三の旅と、沢木耕太郎の旅が重なり合うシーンは、『深夜特急』のファンなら思わず心揺さぶられるはずだ。
旅の不思議と、確かな煌めき、そして旅することの素晴らしさを、まっすぐに伝えてくれる作品になっている。
きっと、「天路の旅人」という言葉は、西川一三を表すとともに、すべての旅人に通じるものでもあるのだろう。
どんな旅人であれ、地道に眼の前の道を歩み続けていれば、彼も「天路の旅人」なのかもしれない。
僕は久しぶりに、普段は大切に本棚の片隅へ置いている、沢木さんから受け取ったサイン本を開いてみた。
そこにはシンプルながら、優しく温かい筆跡で、「天路を歩む」の一文が書かれていた。
結局僕は、就職することはなく、それでもどうにかフリーランスで仕事をしながら、今日まで生きてきた。
その日々を、お守りのようにそっと支えてくれたのは、あの秋の日に沢木さんから貰った、「天路を歩む」という言葉だった。
僕もまた、ひとりの「天路の旅人」だったのかもしれない。
たぶん、西川一三のような、立派な旅人とは言えないだろう。
でも、まだ知らないどこかへの好奇心を胸に、眼の前に続く道をこれからも歩いていきたい。中国の奥地を旅した西川一三のように、あるいは、ユーラシアをバスで横断した沢木さんのように……。
そう、「天路を歩む」という言葉を携えた、ひとりの旅人として。
旅の素晴らしさを、これからも伝えていきたいと思っています。記事のシェアや、フォローもお待ちしております。スキを頂けるだけでも嬉しいです!