2024年3月の本たち
『新編 日本の面影』/ラフカディオ・ハーン
2月に松江〜出雲を訪れた際に、小泉八雲記念館に立ち寄ったことがきっかけ。
恥ずかしながらそれまでは「怪談の人」というイメージしかなかったのだけど、生い立ちから来日までの変遷、日本に帰化してから亡くなるまでの生涯を学べたことで、一気に興味を惹かれてしまった。
それと、松江散策中に立ち寄った明々庵で、たまたま一緒に抹茶をいただくことになったスイス人のおばあちゃんと話をしていると、どうやら彼女は小泉八雲の映画「怪談」(1964)をスイスの映画館で観たことがきっかけで彼に興味を持ち、いつか松江に行ってみたいと思っていたとのこと。
す、すごい……。彼女のようなバイタリティと好奇心を、いくつになっても保ち続けていたいなと、なんだか背筋が伸びた。
さて、そろそろ本書の内容へ。
生涯を通して故郷から遠く離れた辺境の地を彷徨いながら、ついにはその辺境の地に自分の故郷を見つけたこと。世界のどこにいても、異文化に対する敬意のまなざしを持ち続けていたこと。「怪談」は彼が扱った一部のモチーフでしかなく、そのもっと奥にある日本文化の古層を見つめ、愛し続けていたこと。
小泉八雲の目に映る130年以上前の日本の風景は、現代を生きるわたしにとっては幻想的なまでに美しく、その神聖さに対して抱くのは、ノスタルジーというより畏怖の方が近い。
草履のこすれる音、橋の上を軽快に転がりゆく下駄の音、日の出を拝む柏手の音。
いまではもう耳にすることのない音の数々が、当時の暮らしに対する想像力をより一層かき立ててくれると同時に、文化が移りゆくときに、こうした音も街から消えていくのだと思った。
『「つながり」の精神病理』/中井久夫
自分の中で起きていること、自分のまわりで起きていることを少しでも理解したくて、精神科医や心理学者といった心を扱う人たちが書く本が、昔からずっと好きだった。何人か好きな先生がいる中で、中井先生はそのうちのひとり。
たとえ健康な状態であっても、私たちの心は休まることなく天気のように変化していて、ザッと急に雨が降ったり、ぐずぐずした曇り空が続いたり、ときには嵐に見舞われたかと思えば、台風一過の翌日みたいな晴れの日もある。
こんなふうに時々刻々と変化していく心の、いったいどれが自分の通常モードなのだろう?と考えては、ドツボにはまっていた時期もあったなあと。
晴れの日には晴れの日の楽しみ方があり、雨の日もそんなに悪いもんではなく、嵐の日には嵐の日の過ごし方がある。
天気と同じく、現在の状態が一生つづくことはない。
自然の摂理のようにシンプルな法則だけど、このことに気付いてからは本当に過ごしやすくなったという実感がある。
「あ、いま嵐が来てるな」「きょうはずっと雨みたい」とか、自分の心の状態を客観的に見てあげて、その日にあった過ごし方を選ぶ。
雨が降ってたら傘をさす、みたいに天気相手に無意識にできていることを、毎日、自分の心にもしてあげるのだ。
『他者といる技法』/奥村隆
思いやりをもった人間でありたいと思いながらも、かげぐちを言ってしまうこと。
もっとわかってほしいと思って苦しくなり、相手をわかってあげられないことにまた苦しむこと。時には、わかってほしくないと思っていること。
ちゃんとした人でいようと他者のまなざしにふるまいをコントロールされながらも、自分のまなざしがまた他の誰かをコントロールしているかもしれないこと。
「わかりあおう」とするがために、少し急ぎすぎてしまうこと。
他者と生きていく中で、誰もが一度ならず身に覚えのあることばかりではないだろうか。
「他者とわかりあえる」「理解できる」ことの美点だけがフォーカスされることも多い中で、「他者とわかりあう」ことの苦しさについても丁寧に拾い上げ、その意味を問い直していく。
他者といることのすばらしさと、苦しみ。
この両方を内包する社会を、できるだけ透明に、まっすぐ描き出した一冊。
特に興味深かったのは、第1章:思いやりとかげぐちの体系としての社会、第3章:外国人は「どのような人」なのか、第4章:リスペクタビリティの病、第6章:理解の過小・理解の過剰、のところ。
『オールアラウンドユー』/木下龍也
現代短歌の申し子こと、木下龍也さんの3冊目の歌集。
まるで手帳のような、手の込んだ製本にもちょっとにやけてしまう。栞紐が2本なのもかわいいポイント。
文字面だけで読んでいると、短歌の形からはみ出しているように見える歌が多く、つい一つひとつ声に出してリズムを確かめたくなってしまう不思議な魅力がある。(もちろん、きちんと31字に収まっている)
問いかけ、気づき、慰め、祈り、告白……etc.
生きることのさみしさを、鮮度の高いうちに捉えて、さまざまな形の輪郭を与えることで、その言葉を探している人たちに届けることができる。
私もまた、しばらく忘れられなさそうな言葉を受け取った人のうちのひとりだ。
『トラウマ』/宮地尚子
精神科医でトラウマ研究の第一人者である、宮地尚子先生の著作。
「トラウマ」という現象を、精神医学、心理学の観点のみにとどまらず、広く社会や文化に開かれたものとして扱いながら説明を行う。
トラウマは非常に個人的な体験であり、自分以外の誰かに体験してもらうことは難しい。
自分の言葉でそれを話せるようになるまでの道のりも遠くて長く、なんとかその闘いに勝つことができ、自己尊重感を取り戻すことができるまでに至った人々の陰には、無数の立ち直れぬままの人々がいる。
トラウマを抱える人たちは、「自分とは関係のない」傷ついた人たちだろうか?
トラウマを社会に開いて考えていくとき、その「被害」だけに焦点を当てるのでは不十分なのだと気付かされる。
自分が加害に加担してしまっている可能性はないか、加害の正当化はどのようにして起きているのか。
そして、傷を抱えた人たちが回復しやすいような社会はどんな場所なのか。
自分事として引き受けながら、ゆっくりでも考え続けていきたい。