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満たされない想いとの向き合い方 僧侶が読み解くドラマ『アンメット』

「仏教と関わりがある映画」や「深読みすれば仏教的な動画」などを〝仏教シネマ〟と称して取り上げていくコラムです。気軽にお読みください。

第103回「アンメット―ある脳外科医の日記―」



  今年4月から全11話で放送されたテレビドラマ。現在はNetflix他で配信中です。
 
 主人公の川内ミヤビ(杉咲花)は、優秀な脳外科医として活躍していました。しかし事故により重い記憶障害を負います。事故以前2年間の記憶を失ってしまうとともに、日々の記憶も翌日には消えてしまうのです。

 「私には今日しかない。だからせめて、今日できることをやろう」

 ミヤビは、その日に起きたことを詳細に日記へ残し、朝目覚めたらまず日記を読み返して、仕事に臨んでいます。ミヤビが抱えている欠損は困難ではありますが一方で、やはりそれぞれの欠損に苦しむ患者たちとの接点となりえていました。

 ミヤビと、同僚の脳外科医・三瓶(若葉竜也)との間にこんな会話が交わされます。

 灯された1本の蝋燭を前にして、三瓶は、自分の過去の辛い経験を話しながら、自分はアンメット(満たされない)と嘆きます。手元の紙筒を自分に見立て、蝋燭の周りのどこに置いても紙筒の後ろには新しい影が出来ると言うのです。影を作ることに悩む三瓶。隣でそれを聞いていたミヤビは、紙筒を取って、その中で蝋燭が光るように被せ立たせました。行灯のように光り立つ紙筒。

「こうすると、影が消えます。ねっ」

 親鸞聖人のご和讃にこんな一節があります。

「光雲無碍如虚空」「光の雲のごとくして、碍り無きこと虚空のごとし」。雲は光を遮る邪魔者です。では、光を届けるために雲はどかすのか。散らすのか。いえ、雲を丸ごと光にしてしまえばいい。光となった雲は邪魔者でなくなるどころか、虚空(=真実・さとり)と等しい、というこのご和讃。拝読するときにはいつも、杉咲花さんの笑顔が浮かんでくる私です。
 
 
松本智量(まつもと ちりょう)

1960年、東京生まれ。龍谷大学文学部卒業。浄土真宗本願寺派延立寺住職、本願寺派布教使。自死・自殺に向き合う僧侶の会事務局長。認定NPO法人アーユス仏教国際協力ネットワーク理事長。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。


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