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わたしの正義はあてにならない【英語で歎異抄】

鎌倉時代の書物ながら、現代にも通じる教えが記された『歎異抄』。親鸞聖人のお言葉を収めたものですが、その内容はときに難解だと評されることも多いです。本連載では、全十八条の中からその一節を抜粋し、英語と日本語で解説します。英語版『歎異抄』に触れる事で、仏教・浄土真宗をよりさまざまな角度から見ることができ、新たな気づきが見つかるはずです。

『歎異抄』後序
A Record in Lame Lament of Divergences, Postscript

【英語訳】
 I know nothing at all of good or evil...with a foolish being full of blind passions, in this fleeting world—this burning house—all matters without exception are empty and false, totally without truth and sincerity. The nembutsu alone is true and real.(Collected Works of Shinran, p.679)
 
【日本語】
聖人の仰せには、「善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり。(中略)煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」とこそ、仰せは候ひしか。(『註釈版聖典』853~854頁)
 
【現代語訳】
親鸞聖人は、「何が善であり何が悪であるのか、そのどちらもわたしはまったく知らない。(中略)わたしどもはあらゆる煩悩をそなえた凡夫であり、この世は燃えさかる家のようにたちまちに移り変る世界であって、すべてはむなしくいつわりで、真実といえるものは何一つない。その中にあって、ただ念仏だけが、真実なのである」と仰せになりました。(『現代語版聖典〈歎異抄〉』50頁)

今回の英単語

good or evil: 善悪
a foolish being: 凡夫
blind passions: 煩悩 

私の正義はあてにならない


  キリスト教から浄土真宗へ改宗なされたアメリカ人の方に、「なぜ浄土真宗を信仰されるようになったのですか?」とたずねましたら、次のようなお返事でした。

 「世間では、何が善で何が悪か、みんなそれぞれ持論を展開し主張し合っている。それはときに大きな対立や分断を生み、最悪の場合、戦争にも発展する恐ろしいことなんだ。しかし、親鸞聖人は、自分は善悪がわからないという立場だ。世間に真実はなく、念仏のみが真実である、と。この『歎異抄』の言葉に出遇ってから、わたしは一気に親鸞聖人のファンになったんだよ」

 この方は、いまは浄土真宗の僧侶となられ、アメリカのお寺で、日々ご法務をされています。

 親鸞聖人は、『歎異抄』の総結(後序)にて、自分自身は何が善で何が悪か、まったく分からないと仰います。それは決して無責任な発言ではありません。親鸞聖人は、9歳で天台宗の僧侶となり、比叡山にて約20年間厳しい学問・修行をなされ、比叡山下山後も、法然聖人から聞いた念仏の教えに出遇い、真実とは何か、善悪とは何か突き詰められた方でありました。

  そのうえで、私の都合で決める善悪や正義は一切あてにならず、分別を超えた真実の境地から南無阿弥陀仏となって私たちに至り届いている「念仏のみぞまこと」と教えてくださっているのです。
 
南條 了瑛(なんじょう・りょうえい)
龍谷大学大学院文学研究科博士後期課程修了、博士(文学)。専門は真宗学。現在、東京都中央区 法重寺 住職、武蔵野大学仏教文化研究所客員研究員、築地本願寺 英語法座 運営委員、東京仏教学院講師や複数の大学で非常勤講師をつとめている。本願寺派布教使、本願寺派輔教。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。

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