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「真実」なんてどうでもいいものかもしれない 僧侶が読み解く『宮松と山下』

「仏教と関わりがある映画」や「深読みすれば仏教的な映画」などを〝仏教シネマ〟と称して取り上げていくコラムです。気軽にお読みください。

第102回「宮松と山下」

関友太郎・平瀬謙太朗・佐藤雅彦共同監督
2022年日本作品

  俳優・香川照之といえば印象が強いのは「半沢直樹」での暑苦しい過剰な演技かもしれません。しかし多くの映画で彼は、無言かつ無表情のままに複雑感情を漏らし出す技を見せます。その真骨頂がこの作品。

  香川照之が扮する宮松は映画俳優です。といっても務めるのはエキストラなどの端役ばかり。同じ作品の中で何回も殺されたりもしています。名前も付かない人物を淡々と演じながら、台本を大切にファイルする毎日です。

 ある日、見知らぬ男が宮松をたずねて来ます。男は宮松を見るなり懐かしげに「山下だよな? 谷だよ、一緒にタクシーの運転手をやっていた」。宮松は、自分の本名が山下だったと知らされます。実は山下は過去の記憶を喪失していたのです。山下は記憶が戻らないままに、現在は妹夫婦が住んでいる実家に戻るのでしたが……。

 山下は役者業の傍らロープウェイの保守点検の仕事もしています。同僚からなぜそれをしているのかを問われた山下は「生活のため」とした後にこう続けます。「宙に浮いている感じは嫌いじゃない」。

 そのセリフは作品全体のテーマとも重なっているようです。断りなく挿入される撮影現場や、山下(宮松)の無言の表情により、観客はしばしば宙ぶらりんにさせられます。「彼の真意はどこにあるのか」「本当のところはどうなのか」と。

  それを探ることの楽しみを認めた上で、私はこう思うのです。「本当」なんてどうでもいいのではないかと。大仰な「本当」や「真実」などは脇において、今を大事に大切に丁寧に受け止め続けること。それは仏教が導く生き方と重なると私は思っています。
 
松本智量(まつもと ちりょう)
1960年、東京生まれ。龍谷大学文学部卒業。浄土真宗本願寺派延立寺住職、本願寺派布教使。自死・自殺に向き合う僧侶の会事務局長。認定NPO法人アーユス仏教国際協力ネットワーク理事長。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。