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親鸞聖人の御歯骨が保管されている?【第14回】高栄山上宮院法得寺(栃木県野木町)

京都の西本願寺で勤められた「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」を記念して、宗祖・親鸞聖人(1173―1263)が関東の地に残された由緒を伝える「ご旧跡」を、令和の時代に昭和の香りを残すおじさん僧侶2人が巡ってみました。今回は高栄山上宮院法得寺(栃木県野木町)です。

ご旧跡紹介

 親鸞聖人は1211(建暦元)年、越後への流罪を赦免され、念仏教化のため関東に入られた。

 法得寺縁起などによると、聖人は現在の群馬県とされる佐貫荘を通り、現在の茨城県笠間市に行く途中の1214(建保二)年12月、天台宗薬王山医王寺に立ち寄られた。

 聖人らは丁寧に諸堂を参詣するあまり日が傾き、境内の経蔵にお泊まりになられた。当時の住職、潭空はその夜、聖人を論破しようと経蔵に赴くが、専修念仏の真意を聞き、たちどころに入信の念がおこった。潭空の懇願により聖人は翌1月まで滞在され、教化された。

 その医王寺こそ、その後1242(仁治三)年、浄土真宗に転宗し、寺号を改めた法得寺である。初代住職には潭空に請こわれた二十四輩第一の性信が就き、潭空は2代目を受け継いだ。性信は報寺じ(茨城県常総市=17世紀に東京都の上野に移転)を興し、いわゆる横曽根門徒を形成したほか、法得寺と号する寺を東国4カ所に建立したと伝えられる。4カ寺のうち現在も残るのは栃木県野木町の法得寺のみである。

現地ルポ

 親鸞聖人と性信房が立ち寄られた医王寺の時代から寺基は動かず、親鸞聖人がお泊まりになった経蔵も、建て直しこそされていますが場所は変わっていません。

 ご本尊は、快慶率いる仏師集団が彫ったといわれる高さ1メートルほどの大きな阿弥陀如来像。親鸞聖人の木像は御自刻(ご自身が彫ったもの)と伝えられ、また性信の等身大とされる木像も御自刻といわれます。

 また非公開ではありますが、仏舎利(お釈迦さまのお骨)と、親鸞聖人御歯骨も伝わっています。これらのお謂いわれについては後の研究を待たなければなりませんが、聖人が当時ここにいらっしゃったのは40歳を越えてから。もちろん歯科医などいない当時、歯が抜けても不思議ではないとも考えられます。

旅ある記

星 今回は大中明英・第28代住職にご登場いただきます。今回のイラストは親鸞聖人がお泊まりになったという事跡を偲び、経蔵跡にさせていただきました。
大 歴史のロマンということで言えば、ある時、参拝者が参道の石を触っているのを見て、「何をされているんですか?」と聞いたら、「親鸞聖人がいらっしゃった場所の石をなでているんです」とおっしゃいました。私は心を打たれましてね。
藤 もちろんなでることでご利益があるとかそういうことではありませんが、純粋に感じるものはありますよね。星 それと、隣接する幼稚園も含めて活気があってびっくりしました。
大 他の旧跡寺院で言われたことが印象に残っていまして、それは「旧蹟(旧跡)寺院は誇りでもあるけれど、お念仏の信仰が燃えさかる『真蹟寺院』であることが大切」というもので、常にそのことを考えています。
星 親戚のようなお寺、いいですね。
藤 星さん、無理しなくてもいいよ。でもたしかに仏教用語って難しいかも知れないね。
(藤本真教・星顕雄)

公共交通機関でレッツアクセス!
329-0104栃木県下都賀郡野木町大字佐川野468-1
電話0280-55-0808
築地→(東京メトロ日比谷線・北千住方面・180円)→上野→(JR宇都宮線・1170円)→野木→(タクシーで10分)→法得寺

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。