「難病になって何を学んだんですか....?」(4)
(写真は2016年8月第1回目入院の最終日の病院食)
初めての入院生活も1ヶ月
突然「紫斑病性腎炎」という腎臓病の難病を発症して入院。急速進行性の炎症を止めるため、ステロイド剤を投与していました。初めての入院生活にも徐々に慣れてきていました。
入院したばかりの頃は、「ガッシリした体格ですね。格闘技か何かしていたのですか?」と看護師さんに尋ねられることもあった身体は、1ヶ月の間に痩せ細り、30kg近く体重も軽くなっていました。
激痛をもたらしていた「紫斑病」自体は治まり、腎臓に激しい炎症が起きているのにもかかわらず、全く痛みを感じない入院生活でした。尿検査を行うと血尿、蛋白尿の数値は非常に悪く、「腎炎」は一向に良くなりませんでした。
「しばらく様子を見ましょう」と言われ、見通しが立たないまま入院生活を送っていました。1,2週間で退院できると思って、入院時一ヶ月先の仕事のスケジュールはそのままにしておいたのですが、それらもキャンセルし、休職状態になりました。
ハイパフォーマンス・コンサルタントの髙澤健(たかざわたけし)です。
難病を発症して何を学んだかと尋ねられることが少なくありません。
これを読んでくださっているあなたの成長のために何らかの刺激になればと願ってしばらくシリーズで書きたいと思います。
「いつ退院すんの?」
4人部屋の同室の初老の患者さんが、突然話しかけてきました。
患者さん:「あんちゃん、若いけど、ここで何してんの?」
私:「腎臓病の難病で入院してます。」
患者さん:「へ〜、俺はさ、リンパ腫の治療なんだけど、今日退院するんだよ。」
私:「おめでとうございます。よかったですね。」
患者さん:「あんちゃん、いつ退院すんの?」
私:「さぁ〜。まだ良くならないんですよ。」
患者さん:「おい、自分で退院する日決めなきゃダメだよ。死ぬまでここにいるつもりか。」
私:「....」
入院も退院も自分で決められることではないので、この人は一体何を言っているのだろう。彼が退院した後の空のベッドを眺めながら、考えていました。
で、何を学んだの?
この初老の男性が残していったことばが、その時から脳裏から離れませんでした。自分で自分の病状さえわからないのに、どうやって退院する日を決められるんだろう。そもそも、退院する日なんて勝手に決められるはずがない。
そう考えている内に、あることに気がつきました。
私が自分の自律性を放棄していること
「自律性」・・・自分で自分の行ないを規制すること。
外部からの力にしばられないで、
自分の立てた規範に従って行動すること。
(精選版 日本国語大辞典)
もちろん、実際の退院は、私の自律性のみで実現することではありません。
しかし、入院生活の全てが「他律性」なわけはありません。難病の発症も含めて、どのように自分の置かれた状況に対処するのか、どのようなマインドセットを持つか、どのような態度で望むのか、これを決めることができるのは、他でもない私自身です。私が主治医や看護師さん達に、どのような態度を取るかだって「選択」できる、そこには、「自律性」があるのです。
それを私は放棄していたのでした。それに気付いたことによって、私の考え方は変わりました。それまでは、病状や治療法について医師の説明を受けているだけでしたが、自分で分からない事を自分なりに考えて質問するようになりました。病院食もただ出されたものを食べるところから、背後に働いていらっしゃる方がいることに気付き、感謝のメモを書くようになりました。
「自分で決めなきゃダメだよ!」
そう、自律性を取り戻せ!っていうメッセージだったのです。
他者や自分を責めるのでもなく、かといって不平不満を並べて被害者意識に溺れることもなく、自分の置かれた状況に主体的に関わることができるようになっていきました。
これを読んでいるあなたがどのような状況に置かれていたとしても、「自律性」を見出して向き合って頂ければと願います。
この記事を最後まで読んでくださりありがとうございます。
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