グルメとグルマン:安野モヨコ「くいいじ」
私は、note の自分のプロフィール(140文字以内)に「自称グルメにしてグルマン」と書いていたが「くいいじがはっている」となおしてみた。「自称」 すなわち「なんちゃって」とつけているところがポイントだったのだが、そこを読み取らない人も多そうだとも思ったのだ。いちゃもんつけられてもいちいち説明するのも面倒だ。
グルマン (gourmand) というのは、「たくさん飲み食いすることが好きな人」「健啖家」「単なる大食漢」ということで、グルメ (gourmet) つまりは「美食家」「食通」ほど日本語としてはポピュラーな単語ではないかもしれないが、グルメとグルマンと並べると語呂もよいので「自称グルメにしてグルマン」は気に入っていた。
「くいいじがはっている」と修正してみたものの、「くいいじ」とひらがなでならべるとよめないひともおおそうだ。かといって、「食い意地」とするとほんとに食べ物に意地汚い感じにも見える。たしかに現実そうかもしれないが、実際にそう書いてみるとイマイチ、「いや、やっぱり私はこの語感よりか少しはスマートな自分であるはずだ」「実際はそうでなくっても、もう少しスマートな私だと、読む人には受け取ってほしい」と思ってしまい、やっぱりやめにした。
かといって「グルマン」と一言書いても多くの人は「グラマン」とか「ゲルマン」かと間違えて「???」と思うことだろう。
というくらいに、自分が書く文章には私なりにいろいろ気をつかっているつもりだ。だから、そういう感覚を味わうことのできる文章が好きだし、それに加えてグルメでグルマンな本は好んで読む。
安野モヨコの漫画は好きでよく読んでいた。雨がしとしとふる4月も末になる日曜日の今日は、ビールとワインを飲みながら安野モヨコのエッセイ「くいいじ」を読みふけっていた。
この本のなかの「空豆」が note の記事で公開されていて、それを読んで昨日 Amazon で購入したのだ。
写真がなく、漫画家ならではのイラストが満載なのもいい。素人っぽい絵に見えるが、そこがプロの絵だ。上に貼った note 記事をみていただくとわかると思うが、素人の絵のように親しみを感じさせ、しかし素人では絶対にこれほどうまく描けはしない、しかし、プロが描いたこれぞプロの絵という感じは微塵もみせない。見ているだけで楽しくなる。イラストに自筆のコメントがついているのだが、これがまたかわいらしい文字で、ユーモアが効いていていい。
文章もいい。リズムがいい。段落段落がそれぞれ、漫画の 1 コマ1 コマとして成立しているようだ。コマ割りがいい、というべきか、ページ右上から左下へコマの緩急を伴いながら流れていく漫画のような、そんな感覚だ。
雑誌の連載だからということもあるだろう。1節1節がつながりつつ呼応しあう部分もあって楽しい。そしてそこここに、職種は違えどモーレツ仕事人を自認する私として、「あーあるある」「そうだよね」と共感するところが見つかる。回を追うごとに徐々に内向的な雰囲気が支配していき、随筆らしさが増していくところも読みごたえがある。
こういう人の書くエッセイというのは面白い。くいいじ、というグルメにしてグルマンな記事に託して表現されていることがある。書かれていることがそれだけで面白いのはもちろんだが、そのように書くことで本当に言いたいことは奥にしまってある、その奥にしまってある心情が表現されているように思うのだ。
食いしん坊、万歳。
と書いてみたが、この行まで私の駄文を読んでしまった方で、この一言に「うん」とうなづいてしまった方で、しかも本書を未読、そんな人は迷わず即座に読んでみるといい。一気食いというか一気読みしてしまい、そのうえ何度も読み返してしまうことであろう。
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