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末近浩太「中東政治入門」

自分の政治音痴・安全保障音痴を少しはなんとかしようと、今年に入ってから入門書を読み始めている。この上半期は、アメリカ、中国をそれぞれ一冊づつ、そして中東である。

この本は、読んでよかったとつくづく思う。2020年9月発行なので、2019年までの内容がカバーされている。そのときどきでニュースになる紛争や内戦、難民、エネルギーなどの様々な問題が、点と点がつながるように歴史と地域の拡がりの中でとらえられるようになる。

本書では、19世紀後半から20世紀初頭のオスマン・トルコの崩壊以降の近世の中東を扱っている。オスマントルコ帝国の崩壊に端を発する現状の中東の問題が、社会科学と地域研究の両方の視点から解説されている。すなわち、主にヨーロッパ諸国との歴史的関係によって生ずる国家の成り立ちやありようの地域差、政治体制による違いや紛争や内戦について論じ、石油資源を代表とする資源の地域差や経済格差、さらには宗教と民族の視点が提示され、解説され、複雑な中東の問題を考える視座を与えてくれる。目次を引用してみよう。

第一章「国家ーなぜ中東諸国は生まれたのか」
第二章「独裁ーなぜ民主化が進まないのか」
第三章「紛争ーなぜ戦争や内戦が起こるのか」
第四章「石油ーなぜ経済発展がうまくいかないのか」
第五章「宗教ーなぜ世俗化が進まないのか」
終章「国際政治のなかの中東政治」

私がこれまで気が付かずにいたこと、目を向けずにいたことがわかり、目からうろこが何枚も落ちるような気がした。多くの人に読んでほしい本だと思った。

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まず、基本的なところだが「中東」の範囲だ。一般的に、西はモロッコから東はイランまで、北はトルコ、南はアフリカ大陸のスーダンまでを指す。しかし、ときには、北アフリカのモロッコやアルジェリアやチュニジアが除かれて縮小することもあるし、本書によればパキスタンやアフガニスタンを加えて拡大する場合もあるという。そのときどきに発生する中東の問題によって、関心の的となる地域が変わり、それにかかわる国や地域を中東と考えることが多く、中東の指す範囲は私にとってはあいまいだった。

それは無理のないことかもしれない。中東というのは他称である。本書に次のように書かれている。

この曖昧さは、中東がそれ自身を形成する内的論理が希薄な地域であることに起因する。つまり、この地域に住む人びとが自ら「中東人」、あるいは、「中東出身者」であるというアイデンティティを持つことが皆無だということである。

「中東」という地域はヨーロッパから見たときの見え方で、広く考えると、ヨーロッパから見てインドや中国との通商貿易を考えたときの、海運・陸運の壁なのだと気づく。イギリスやフランスから見ると、アフリカ大陸をぐるりと回りインド洋に至る海路、スエズ運河から紅海へ抜けてインド洋に至る海路、そして中央アジアを抜ける陸路である。また、ロシアから見ると、黒海から地中海に出る道として、非常に重要な地域でもある。そのようなヨーロッパ諸国、とくにイギリス・フランス・ロシアを中心とした国際的な力関係が必然的にもつれる地域なのだ。

そのように考えてみると、逆に、それぞれの国家にとってみれば、権力の実施能力をどう確保するのか、それぞれの権力の正統性をどう確保するのか、という点が、大きな問題であることに気づかされる。

さて、その地域は15世紀から17世紀、スレイマン1世のときに最盛期を迎えたオスマン・トルコが支配した地域であった。そして、注意すべき点としては、イランは16世紀初頭からのサファイビー朝以降、トルコの支配を受けず、独立してきた点だ。イランは様々な点で、他の中東諸国とは異なる。これまで私もよく知っていなかったのだが、実は、ペルシャ語は、表記はアラビア語に近いが、実はアラビア語と異なる。

参考記事:

あまりに無知だったと言わざるを得ない。

また、イスラーム教のなかでも、イランで多数派を占めるシーア派と、サウジアラビアを中心とした多数派のスンニー派とは大きく異なる。どのくらい、どのように異なるか、ということに関しては、井筒俊彦「イスラーム文化・その根底にあるもの」を読んでさらに目から何枚もウロコが落ちた思いだったが、これに関しては別の機会に譲る。

さて、1923年に建国された現在のトルコは、オスマン・トルコからいわば分離独立したとも言えるくらい姿を変えた。イスラーム国家であることをやめたのだ。カリフを廃止し、アラビア文字を廃止しラテン文字に変革し、政教分離を実施、おおざっぱに言えば、トルコ人による民族国家となりヨーロッパ流の近代国家を目指したのだ。

エジプトやチュニジアは、早くからオスマン・トルコからの独立自治を目指し、分離独立をしヨーロッパ列強とときに手を結び、国力の増強を進めようとしたが、経済と政治の基盤の脆弱性からヨーロッパの政策に翻弄されることになる。

また、シリア、レバノン(*1)はフランスが勢力圏として納め、ヨルダン、パレスチナ、イラクはイギリスが納めることで、西洋列強の植民地主義支配によって創出された。イエメンなど、海運上の要衝が、イギリスをはじめとするヨーロッパ諸国の思惑によって翻弄されたのも今に至る問題の根源とも言えるのではないだろうか。

そして中でもヨーロッパ諸国の思惑がつまった人工性の高い国家としては、ユダヤ人国家として作られたイスラエルである。

また、その中にさらに大きな問題として提示するのが、クルド人やパレスチナ人など、独自の言語や文化を持ち、宗教の共同体にも収まらないうえに、現状の国家の枠組みにも収まらない人達である。

考えてみれば、「宗教」という概念も、イデオロギーも、国家・とくに民族国家という枠組みも、西欧の生んだものといえるのではないだろうか。「多様性」にしても、もう一度考え直してみれば同じではないだろうか。自分たちの考える「多様性」の範囲でしかないことに気が付かされることが多いだろう。そして、私達は、そのような色眼鏡を通して世界を見て、その枠に収まりきらないものを異教徒として排除し「あちらがわで起こっている諍い」としているのではないだろうか。

「アラブの春」のSNSでの熱狂、そして、それぞれの国におけるあまりに異なるその後の経緯、そして、それらに対する無関心、といったことの背後にある私達の欺瞞に気が付かされるのだ。

この本を読んで、改めてオスマン・トルコの歴史を振り返ってみた。高校のころに習ったはずだが、ほとんど覚えていない。また、7世紀ごろのイスラーム教についてや、それより以前のメソポタミア文明についてもよく知る必要があるな、とも感じ、高校時代の教科書を引っ張り出してきて眺めていた。

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このようにして、この200-500年ほどの歴史や、現在の地域的な紛争や問題、国家や宗教といった概念の変遷を考えたときに、私達は、時代の節目にいる、とかいうわけでなく、2度の大戦と冷戦を乗り越え、平和と多様性と福祉を認め、テクノロジーと科学による一番いい時代を実現しつつある、ということではなく、まだまだ人類の幼く未熟な時代から少しづつ変革していくその大きなうねりの中のほんの一コマの中にいる(*2)だけなのだろう、と思った。

多くの人に手にとって欲しい本だと思う。

あとがきに、ずばり私のためのメッセージともいえる一文があったので引用しておこう。

入門書とは、「一冊でわかる」といった類いのものではなく、文字通り門を入った向こう側に広がる知の世界へと読書を誘うための本である。言い換えれば、読者にとって「終わり」ではなく、「始まり」となる本のことである。

肝に銘じて、すぐにわかってしまった気にならず、深めていきたいと思う。


■注

(*1)カルロス・ゴーン元日産CEOの逃亡先がレバノンだったが、本人の出自、フランスとレバノンの歴史的な関係から、なるほど、というところであろう。

そういえば、レバノンの歌姫といえば、まずフェイルーズだが、最近で言うなら、アラブの八代亜紀と一部で言われているナンシー・アジラムが私の推しである。ついこの間、新作のアルバム Nancy 10 をリリースしていたが、なかでもゆったりとした切ないバラード、Baddi Hada Hebbou が気に入っている。


(*2)こう書くと、自分たちが大きなうねりの中にいるように思うかもしれない。いや、まだまだ小さなうねりの中にいるのかもしれない。それは数百年後、あるいは千年後からみて初めてわかることなのかもしれない。あるいは、百万年後には誰も顧みることのないことかもしれない。

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