筋トレ【基礎教養部】
最近感じていることと、上の本の内容を関連させて何かを語ろうと思う。ただ、本の要素は薄めで、ほとんどが私の感じていること、特に筋トレ関連の話になる予定である。
私は筋トレをするのが好きである。初めてジムに行ったのは高校3年生のときだった。運動部の雰囲気は肌に合わないが体は動かしたいという理由から、文化系の部活動に所属しながら放課後に近所のジムに通うという生活をしていた。ジムに通わなければ、運動する時間は体育の時間だけだった。それだけ現代社会においては身体活動の必要性が減少している。運動しなくても生きていける。
体を動かしたいだけならば近所をジョギングしたり、家で自重トレーニングをするだけで事足りる。しかし当時の私はそうしなかった。わざわざジムに通った。ジムを選んだ理由は覚えていない。しかしその後にボディメイクのための筋トレにハマっていったことを考えると、通い始めた当初から筋肉隆々の肉体に対する憧れが無自覚にもあったのだろう。
やっていくうちに自分の体でも種目の感覚が掴めてくるし、知識も増えてきて、楽しかった。また、初心者のうちは重量も伸びやすいし、筋肉の付きも早い。絶対的な数字の伸びと目に見える体の変化は、トレーニングを続ける上での大きなモチベーションだった。あるときを境に食生活もガラッと変わって、筋トレ中心の生活になった。私に限らずそういう人はたくさんいるだろう。筋トレには魔力がある。のめり込んでしまう。果たしてそれは良いことなのだろうか。
良いか悪いか、それは人によって異なるだろうが、今の私は(当時は気付けなかった)良いことだとは言い切れない。敢えてこういう言い方をするが、筋トレそのものやそれを続ける動機には気持ち悪い部分があることは確かである。では私は筋トレのどこに気持ち悪さを感じているのか。
まず、筋トレは自然ではない。トレーニングにおける身体動作は、日常生活の中で必然的に発生するものではない。わざわざジムに行って、ウェイトをわざわざ積んで、その種目でしか再現されない動作を繰り返す。もちろんそうすることが筋肉の成長を促し、健康的な生活を過ごすことにつながることもまた確かである。だけど筋トレやってる人ってそういう目的でやっているとは限らないよね。まあそもそも健康的な生活って何だよっていう話でもある。ジムに行って運動してるやつが、そうでない人に対して執拗にジム勧誘するのも嫌だし、運動している方が「上」でしていない方が「下」という考えも嫌だ。ただ私は運動したほうが絶対にいいと思っている。何なんだこの感じは。
一つ言えるのは、運動=ジムではないということ。運動不足の人に対して運動したほうがいいですよとは言える。ジムは選択肢の一つとして提案するかもしれないけど、散歩するとか自転車でライドするとか、そういうのと横並びであくまで提案するに留めると思う。ただこれまでにジムを勧めてしまったこと、絶対にあるんだよな。とりあえず私が感じている気持ち悪さの原因となりそうなものを列挙してみる。以下で全てを尽くしているわけではおそらくないし、それぞれが重なっている部分もある。
①筋トレをすると見た目が変わるということがめっちゃ関係している
②筋トレは自然な身体運動ではない
③自重トレーニングはウエイトと比べると「自然」に見えるが、こっちはこっちでまた別の気持ち悪さがある
④ジム通いが社会的にブームになっているのが何か嫌だ→こっそりひっそりとやりたい?
⑤運動・筋トレに限らず人に何かを勧めるのが苦手
⑥ボディメイクではなくパワーリフティングだと気持ち悪さは薄れる
⑦目的が違えば、同じ手段の見え方が変わる可能性がある
根拠はないが、似たような問題意識を抱えている人はいるはずだと確信している。自分が抱いているこの感じの原因を全て言葉にし切ることは叶わないが、それでもこれを見てくれた人が少しでも何かを汲み取ってくれたら嬉しい。
気持ちも、運動したときの「あの感じ」も、全ては私が言葉にする前に身体感覚として生じてしまったもので、それを他人に伝えるために言葉に「翻訳」した途端に、言ってしまえば、嘘を吐くことになる。ただそれが、原因を分析することを放棄する理由にはならない。もう少し整理して考えてみる。