日本においての喫茶の始まり①
「季御読経」における朝廷の「引茶」
「季御読経」
奈良時代、聖武天皇が春秋二季に奈良東大寺・興福寺などの諸寺から百僧を請して、三日から四日に渡って国家の安泰を祈願させる行事である。
一条兼良の『公事根源』によると「季御読経」の際、『甘葛、厚朴、生姜などを入れた「引茶」が僧侶たちに振る舞われた』ことから「引茶」の始まりは奈良時代とされていたが、近年の研究では「季御読経」の行事が奈良時代であること、聖武天皇であったことに確証がないとわかり、喫茶の始まりは平安時代(嵯峨天皇)からとされている。
それでも、「季御読経」における「引茶」の役割は重要とされていて、大同三年(808)平安京内裏東北隅、もと鍛治司の場所に茶園が経営され「引茶」で使うための造茶使が置かれていた。「引茶」には一定の作法をもって茶が供せられたことから、茶会の原型の一つ、儀礼の茶の始まりとして考えることもできる。
鎌倉時代以降、「引茶」は「抹茶」の異名と言われるが、「季御読経」の「引茶」は、団茶を砕いて薬研で挽いて粉末にし、湯が沸騰した釜の中に投じ、茶盞に入れていくもので、抹茶ではなかった。
参考文献
谷端昭夫『茶の湯の文化史』1999、吉川弘文館。
茶道文化検定事務局編『茶の湯を学ぶ本』2021、淡交社。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?