急啓 偶然の一致のうち、真の偶然はいくつあるだろう。 ブルーアーカイブというソーシャルネットワークゲームをご存知か。 数多の学園が犇く広大な学園都市キヴォトスを舞台とし、透き通るような世界観が織りなす少女たちの物語である。であるらしい。その名の通り方舟のような役割を果たすであろう都市、鏤められた聖書の世界観の引用から導かれる物語がどのように進行していくのか、非常に興味深く、またシナリオの出来も上々で期待値の高いゲームである。 このゲームに登場する理系教育特化の
急啓 許せない、許すことができない。 暴挙だ、暴虐だ、あまりにも乱暴だ。 何がって、た行に決まっている。 一体、日本人の何割がそのことに想いを馳せた経験を持つのだろうか。「たちつてと」の五音を「た行」と一括りにすることの暴力性について。 昔から言葉や言語には敏感だったと思う。他の人にこの話をしてもどうでも良いと一蹴されるかもしれない。今日の話はそういう話だ。 つまるところ、た行というのは所詮 「たてぃとぅてと」 「ちゃちちゅちぇちょ」 「つぁつぃつつぇつ
急啓 読んだ空気に人生まで飲まれるな 日常生活の中で良く体験される事柄や万人が共通して持つ感覚、特定の条件下でのみ高い確率で起こる事象を日本では「あるある」と称し、令和の世の中においてそれは完全に一つのユーモアカテゴリとして確立されている。 良く挙げられるあるあるの例として、以下のようなものがある。 確かにこれらは日常生活に即した瑣末な事柄で、且つ人々の多くが体験してきた出来事であろう。しかし、私はこのあるあるに敢えて疑問を呈していきたい。 そのあるある、
急啓 ブラックコーヒーはジュースではない。 長らく飲むことが出来なかったブラックコーヒー。つい最近、昨年の秋頃に飲めるようになった。突然のことだった。 私は今までコーヒーに砂糖やミルクを入れて飲んでいた。そうすることで子供にも飲みやすい甘くてマイルドな味に仕上がるからだ。 そして、甘いコーヒーしか認識していない私の中では当然、コーヒーは「ジュース」の付近にカテゴライズされる。茶を飲もうと思ってコーヒーを飲むことはないが、お菓子と一緒に流し込むジュースとして甘いコ
急啓 高校3年の1年間は、どのような意味にしても充実したものではなかったと思う。 受験勉強は真面目にやっていなかったし、人間関係は様々な方角に崩壊していたし、家でも気怠く過ごしていたし、部活はそこそこ勝ち進んだが7月に引退した。 そんな人生の出涸らしのような生活の中で、一つだけ楽しんでいたのが昼食だ。剣道部で仲の良かったNとT、それにたまたま気の合ったIを加えた四人で机を並べて毎日飯を食べ、くだらない会話を展開していた。 ところで、当時の我が国立理系クラスの
急啓 デマゴギーという言葉を知っているだろうか。 一般に、虚偽の情報・噂話が流布されることをデマゴギーと言う。デマゴギーを駆使して人々を扇動する政治家は特にデマゴーグと呼ばれ、忌避される。メディアや市民、デマゴーグにより用いられる政治・経済・学問などにおける悪質な手法がデマゴギー、縮めてデマである。 この「デマ」と言う言葉、小学生の時分から聴く機会はあったが、私はなんとなく由来やどのような言葉の略語であるのかを確かめることなく使っていた。いつだろうか、このデマゴギ
急啓 今年めちゃめちゃ寿司を食っている。それはもう篦棒な量を食っている。店にも軽く8回は行ったし、スーパーのパック寿司も食いまくっている。 では、なぜこんなに寿司を食べているのか。岡山県民のサラブレッドのこの私が、江戸っ子の血が流れない、東京都民歴僅か10年程度の私が寿司を食べまくっている理由は、ラーメンを我慢するためである。 断っておくが、ラーメンは善である。栄養豊富で高価でなくて、その上なにより美味い。それ故に人は過度な善を求めるが、善は豊かさ、豊かさは富、過
急啓 取り急ぎ全人類諸君に啓発、いや、啓蒙したい。 「使用済みの食器は生物に定義される」 令和という元号も声に出すに馴染んできたこの2021年、人々の頭はえげつねえ猛威を奮う新型感染症及びその関連事項にしかストレージを使っていない。これは皆の脳が小さいという話ではなく、その情報の容量がデカすぎるということだ。どのくらい大きいかというと、福島県に対するいわき市の面積くらいデカい。某感染症に纏わる様々な問題の一つ一つがいわき市くらいデカいのだ。 その中で、混迷を極
急啓 食べ物の好き嫌いで、おばあちゃんを悲しませるべきではない。 私は、給仕された食べ物はどんなに不味くても頑張って食べてしまう。食べ物を残すのは私のポリシーに反するし、あまりにも忍びない。なぜなら、モノには「魂」が宿っているから。 今の一文で身構えた方々、私はこの文を通して啓発セミナーや宗教勧誘をしたいわけでは決してないので安心して欲しい。「魂」と言ったが、それはこうも言い換えることができる。それは人の「情熱」だ。 「米の一粒は農家の汗の一滴である」という
急啓 隙間という言葉を説明しろと言われたら、どのような解説をすることができるだろう。 隙間とは、「物と物の間にある僅かな距離」「物に生じた穴や裂け目」である。私が思い当たるのはこのような説明だ。大抵の人は急に隙間の話を振られてもこの程度のことを言うのではないかと思う。 そして、日本語には「間隙」という言葉もある。意味は隙間とほぼ同じ、漢字の前後を入れ替えただけの熟語である。今のところ私の人生23年半で生じたこの言葉に対する感想は「隙ってゲキって読むんだ」程度のもの
急啓 デカい建物、怖すぎる。 想像してみてほしい。地平線の見える広大な平野、取り立てて高い建物も他になく、人の営みと自然の営みが入り混じるような絶妙な地方都市。新幹線が通っていることもあるだろうし、田畑が広がっていることもあるだろう。 その環境に突如として視界に入る巨大な建物。見た目はなんの変哲もないビルだが、高さとデカさと周りの環境の静けさとのコントラストにより、殊更に目立っている。しかも若干遠いから上の方とか霞かがっちゃったりしてたりする。 なんだよそれ、怖