和泉元・コインシデント
急啓
偶然の一致のうち、真の偶然はいくつあるだろう。
ブルーアーカイブというソーシャルネットワークゲームをご存知か。
数多の学園が犇く広大な学園都市キヴォトスを舞台とし、透き通るような世界観が織りなす少女たちの物語である。であるらしい。その名の通り方舟のような役割を果たすであろう都市、鏤められた聖書の世界観の引用から導かれる物語がどのように進行していくのか、非常に興味深く、またシナリオの出来も上々で期待値の高いゲームである。
このゲームに登場する理系教育特化の学園「ミレニアムサイエンススクール」の団体「特異現象捜査部」に所属するのが、ピンク色の髪と卑猥な服装が特徴的な和泉元エイミその人である。今のところシナリオの本筋には全く絡んでおらず、台詞も特にない状態だが、レアリティの高さからモブ扱いではないことが推測できる。
閑話休題、今回はゲームの話をしたいわけではない。ここまでの文章でお気づきの方もおられよう。私が今回取り上げたい要素は「和泉元エイミは、存在の50%が和泉元彌の75%で構成されている」これだ。
存在の、とは些か大仰だが、それにしても和泉元彌が過ぎる。和泉元彌が元ネタなのかと思うくらい名前が和泉元彌だ。しかし彼女は能楽を嗜んでいないし、「びょうびょう」と犬の鳴き真似を披露することもないし、ダブルブッキングでヘリ移動をすることもないし、宗家と分家でお家騒動を起こすこともない。
私はこういう偶然の一致を見つけた時、「もし和泉元彌が存在しない世界でもブルアカのこのキャラの名前は和泉元エイミだったのか?」というようなことを考えてしまう。明らかに元ネタからオマージュされているものはそうとわかるのだが、こう言った相関関係も因果関係もないようなキャラクターと実在の事物の関係を、なんだか勘繰ってしまうのだ。
これが和泉元エイミじゃなくて泉本エイミだったなら考えもしなかった疑問だろう。泉を和泉とするのはまぁわかる。苗字の特別感を出すという点で理解ができる。
しかし和泉の後ろに本でも下でもなく元をつけてしまったのなら、それはもう和泉元彌の75%を占める3文字の羅列じゃないか。もし和泉元彌の名前が「北野武」だったとして、和泉元エイミはこの令和3年に「和泉元」という名字を冠していたのだろうか。
和泉元エイミの名前と和泉元彌が直接関係なかったとしても、和泉元という架空のキャラクターの名字を設定した人の頭の中には十中八九和泉元彌の知識が入っていたはずで、そうした無意識的な創作物への影響のようなものは絶対に証明できないが、ないとは言えない。
わたしはこのような、一見なんの関係もなくオマージュ要素も全くなく、しかし無意識レベルの因果関係があるのではないかと予測できる偶然の一致に対し、「和泉元・コインシデント」と名付けたい。
「和泉元・コインシデント」の例として、「春日野うらら」が挙げられる。
アニメ・ゲームの話ばかりになって申し訳ないが、この事例も重要なインシデントであり、熟考したいコインシデントである。「春日野うらら」は異なる二つのテレビアニメ、「YES!プリキュア5」と「さばげぶっ!」に登場するツインテールのキャラクターである。
アニメキャラの名前は兎角奇天烈なものがつけられやすいが、それでもこの世に数万とあるアニメ漫画の、数千万といるであろうキャラクター名が被らないほうがおかしいというのはわかる。「山田太郎」やら「日野茜」やらが複数いるのはなんとなくわかる。
凡庸なイメージをつけたい時や逆に名前とのギャップをつけたい時に「山田太郎」と名前をつけるだろうし、元気な女の子を登場させたいなら太陽をイメージして「日野茜」というのは誰でも思いつく。
しかし、「春日野うらら」で被るかね。
名前の理屈はわかる。「麗かな春の日」という雰囲気から「春日野うらら」なのはわかる。でも「春日野」と「うらら」で被るかね。
しかもこの二人髪型がツインテールであること以外に対して共通点もない。作品の発表時期もズレているが、だからといって名前をそのまま持ってくる必要性がないほどキャラクターが違い過ぎる。
もしかして後発の作者の頭の中にどこかで一度だけ耳にした「春日野うらら」が残っていて、なんとなくそれがアイデアとして数年間熟成された後に出てきてしまったのでは、とか思ってしまう。知らんけど。
このレベルで一致していなくても、例えば「拓哉」という名前の人間を見た時に、「キムタクがもし木村拓郎だったらこいつも拓郎だったんじゃないか」などと無意味な勘繰りをしてしまうことがある。「鈴木大地がオリンピックに出ていなくてもこいつは大地という名前だったのか」とかなんかそういうことを考えてしまう。
だからと言って何があるわけでもないが、そういった関係のありそうでなさそうな、しかし過去に戻って少し改変を起こせばバタフライエフェクト的に今のそれも変わってしまうのではないだろうかというような、繊細な「偶然の一致」に想いを馳せる時間を、そういう余裕を持った人間であり続けたいなとは思う。
貴方も日常に潜む「和泉元・コインシデント」を見つけてみては如何だろう。
草々不一