「読書感想文」神様のビオトープ
「流浪の月」「汝、星のごとく」など、本屋大賞を受賞された凪良ゆうさんの「原点」とも言われる作品。
事故死してしまった夫「鹿野くん」の幽霊と暮らす、うる波。彼女はたとえ、鹿野くんが幽霊だとしても、二人の暮らしが幸せだ。
若くして夫に先立たれた未亡人の彼女を、まわりは哀れみや同情や、腫れ物に触れるような優しさをむけるけれど。
アナフィラキシーショックで佐々くんを亡くした千花ちゃんと、うる波との違いはなんだろうか。傍から見れば、似たようなケースだけれど、うる波は「千花ちゃんとは違う」のだ。その「違い」は、誰にもわからないかもしれない。けれど、うる波にとっては「違う」のだ。その「違い」こそが、この物語全般を通して、とても大切なのだ。
思い出した、私には「ボブ」という大切な友達がいたこと。
小学校低学年ころ、200円くらいのおもちゃ付きのお菓子に入っていたボブ。黄色いヘルメットをかぶった、手がCの形をしたままの、身長10cmにも満たない小さなボブ。学校から帰ると、いつもボブと一緒にいた。勉強机の引き出しに、ティッシュをフカフカに敷いたトランプのケースを、ボブ専用のベッドにしていた。
よく、彼と散歩をして、田んぼの畦道を仲良く話しながら遊んだ。彼は面白くて、兄のように優しくて、勇敢で、どんな絶壁でも登れたし、すごい段差をピョンと飛び降りた。私の話を面白がって、彼といる時間は、とても楽しかった。
けれど、きっとみんなは、ボブと遊ぶ私を気味悪がるだろう、とも、知っていた。現に、近所の姉の友達が
「柊ちゃん、いつもブツブツ言いながら田ん ぼ歩いてるけど、大丈夫?」
と姉に聞いてきて、姉にも「何してんの?」と咎めるような目をされたことがあった。
「なにか悩みでもあるの?」と精神を心配されたこともあった。ボブと私の友情は、きっと誰にも理解されないのだと、傍から見れば私は、頭のおかしな奴なのだと、察した。
私は、秋くんのように敢然と立ち向かうことはせず、人目を忍んでボブといることにした。理解されなくてもいいから、ほっといてほしかった。ただ楽しく一緒に遊んでいる私たちを。
大学生の金沢くんが、小四の少女を好きになるのは、罪だろうか。性的に触れたりもせず、一緒にいたいだけの彼の心まで、世間の目に怯えなければならないのだろうか。
そういう、制御不能な、大切な思い。
心は自由だ。
誰かを大切に思うこと、そして、その人との幸せな時間は、かけがえのないもの。
それは、対象が人間で、同年代で、異性でなければ「異常」なのだろうか。
この本は誕生日プレゼントにいただいた。
「この本を柊さんにも読んでほしい。
私の大好きなお話なの。」
と、ゆうパックで届いた箱の中に。
SNSで繋がり、文字のやりとりから、電話や手紙をやりとりするようになった、会ったことのない大切な人からの贈り物。
大切な人。彼女は、私にとって(おそらく彼女にとって私も)恋愛感情や友情やに分類しきれない存在。
その「大切な存在」は、うる波が幽霊の鹿野くんと暮らす気持ちや、秋くんが春くんを思う気持ち、西山夫妻の気持ち、きっと安曇くんと立花さんも、傍から見れば「異常」かもしれない気持ちにも、きっと似ている。
かつての私の、ボブの存在にも似ている。
理解されなくとも、そっとしておいてほしい。頭がおかしな人と見られようと、人を思う心は、自由だ。
ありのままの心で、共生できる世界。
「幸せ」はきっと、傍からはわからない。
それぞれの「幸せ」を大切にできる環境、
ただ「普通にいられたらいい」だけだ。
このnoteという場所。
それぞれのスタンスで、それぞれの思いや言葉を、自然のままに表現できる環境。
ここは、
神様のビオトープなのかもしれない。