「恋し」
ゆるっとウェーブの茶色がかった長い髪の、ミントグリーンのニットの女性が、スーパーで買い物をしていた。
ただそれだけだ。
けれど、私は目で追ってしまう。横目でチラと顔を確認してしまう。
いるわけないか。
彼女が引越して、もう三年が経とうとしているのだ。いるわけがない。
秘密の恋だった。
あってならない恋だった。
私は彼女を好きになってしまった。そして、彼女もそれに応える形で「そういうこと」になった。
とても幸せな時間があった。この人と会うために生まれてきたのだ、と思った。柔らかで滑らかに、素敵な楽器のように甘く啼く声を、ひとり占めした。このまま時が止まればいい、それは、心から安らげる時だった。
誰にも言えない。
いつかは、終わりがきて、お互いの現実に戻っていくのだと、知っていたけれど。
彼女は私よりも早く、聡く、それを知った。
「これ以上好きになっちゃだめだから」
私が踏みこむほど、彼女は立ち止まろうとしていた。朝露のように丸い涙を落として。
ミントグリーンのニットを着ていたのを
「かわいい」とべらぼうに褒めたのを、
「柊の好きな服」と彼女がニコニコと着る。
春のレモンイエローの陽のもとで。
春のような人だった。
彼女が引越して三年が経とうとしている。
彼女の夫の立ち上げた会社は、軌道に乗り、公私共に充実した生活をしている、という。
彼女のアイコンの
「Ever Fall in Love」の文字の意味を、
何度、訳そうと思っても、
判らないで。
ふと見かける似たような姿を、目で追う癖はぬけないままで。
ふわふわして、どこにも辿り着かない思いは、言葉にすることで形を得る。どんな言葉を用いれば、彼女との時間を、彼女への思いを、形にできるのだろうと、言葉を連ねては消す。絵の具なら添えるのかと、筆をとってはみるものの、それはミントグリーンとレモンイエローだけではなかった記憶を呼び起こす。朝露のような涙の色を描けない。
ふわふわと漂う彼女の残り香を、耳に残るあの声を、言葉にして綴じて、綺麗な装丁で、本棚に並べておけたら。キャンバスに描いて、額縁に閉じこめ、眺めていられたら。
私は言葉を知らなさすぎる。
色を、画法を、知らなさすぎる。
途方に暮れて、また、春を迎える。
レモンイエローの光の中に、
ミントグリーンの面影を探す癖に
名前をつけることからはじめるとする。