お弁当。

都内の少し大きな公園に、一台のワゴン車が止まった。すぐに若い女の子たちが集まる。

「お弁当ください!」

女の子たちの目的は、そこで売られるお弁当だった。車内の、二十代半ばほどの女性の店主がお弁当を売る。

「かわいい!」

お弁当を差し出すたび、女の子たちはそう言う。その笑顔はとても可愛い。

そして、女の子たちはスマホを取り出す。

友達同士で集まって写真を撮ったり、撮った写真をSNSに上げたり、自分の撮った写真を見せあったりしている。店の前は、とても盛り上がっていた。
 
 店主の売るお弁当は、SNSに上げられた写真がきっかけで売れるようになった。見た目が可愛いこのお弁当は、女の子や若い人たちに評判になり、毎日必ず売り切れるほど人気だった。

 昼時のピークが終わると客足が落ち着く。そのタイミングで、店主は昼食をとることにした。店主はいつも、味見もかねて販売するお弁当と同じお弁当を食べることにしている。

蓋を開ける。赤や緑や黄色い色とりどりの、とっても可愛いお弁当。

「見るだけで、美味しいお弁当」

それが、その店主の目指すお弁当だった。

一口食べる。

「…うん、おいしい」

そうつぶやく。実際の味だって、悪くないはずだ。

「はず…なんだけどなぁ」

ワゴン車の隣に設置したゴミ箱。その中には、大量のお弁当が口をつけずに捨てられている。

「はぁ」

この光景は、何度見てもやはり、少し悲しくなる。

 調理の専門学校時代に言われた事を思い出す。

「お前の料理は見た目だけで美味しくない」
「見た目が可愛くても美味しくないと」
「味が見た目に追いついてない」
「見た目の前に味を学べ」

その言葉にずっと悩まされ、今も、捨てられたお弁当をを見ると悲しくはなる。
しかし、『かわいい!』と言って、盛り上がる女の子たちの顔をワゴンの中から見ていると、不思議と「これでいいか」と思え、自分のお弁当に自信がつく。

スマホを開く。自分のお弁当の投稿を検索し、コメントやリアクションが盛り上がっているのを見て、また嬉しくなるのだった。

「…あの、」

そのとき、一人の女性が声をかけてきた。年齢は自分とそう変わらないように見えた。

「まだ売ってますか?」

女性がそう言う。お弁当は、最後の一つだった。

「最後のひとつです」

店主がそう言うと、「じゃあ、ください」と頷いた。

「よかったぁ」

お弁当を準備する間、女性はそう言って笑った。笑顔の女性に、お弁当を差し出す。

「…おいしそう」

女性は、そう言ってまた笑った。「おいしそう」と言われたのは久しぶりだなと思った。嬉しくなり、「ありがとうございます」とお礼を言う。

「SNSで見て、おいしそうだなって」

「そうでしたか」

「SNSで見て、かわいくて」とは何回も聞いたが、「おいしそうで」と言われたのは初めてだった。

 女性は、お弁当を持って近くのベンチに座った。その姿を、つい、目で追ってしまう。女性は写真など撮ったりせず、割り箸を取り出すと丁寧に蓋を開けた。

「…かわいい」

小さくほほ笑む。そして、両手を合わせた。

「…いただきます」

小さく頭を下げてそう言う。なんだか、少し勇気を出したような言い方だった。女性が、割りばしで卵焼きを一切れつかみ、口に運んだ。

「…おいしい」

女性が、微笑んだ。どこか、安心したような笑顔だった。

「本当ですか!?」

久しぶりに聞く「おいしい」の言葉に、つい車内から身を乗り出してしまった。

「はい、とっても。こんなにおいしいもの、久しぶりに食べました」

女性が笑う。嘘を言っているようには見えなかった。

「ほんとに、おいしい」

そう言って、女性はお弁当を食べ続けた。

誰かが、自分の作ったものを美味しそうに食べてくれるのを見るのは、とても幸せだった。

 「ごちそうさまでした」

女性が手を合わせた。そして、空の容器を持ちゴミ箱に向かう。

「あ、」

店主が、ワゴンから飛び出す。

「あの、捨てときます」

そう言って、両手を差し出す。女性が「あ、ありがとうございます」と空の容器をその手に置いた。

お弁当の容器は、本当に空っぽだった。米の一粒、食べ残しはない。それを見るのは、ものすごく幸せだった。

「綺麗に食べてくれて、ありがとうございます」

店主が頭を下げる。

「ごちそうさまでした」

女性がそう言う。そう言われたのも、ずいぶん久しぶりだった。

「あの、明日もここで売ってますか?」

「はい、もちろん!」

「じゃあ、また買いに来てもいいですか?」

「はい、ぜひ!また来てください!毎日いますから!」

「はい、楽しみにしてます」

女性は、その場を立ち去った。

 店主が、お弁当箱に視線を落とす。何度見ても、嬉しくなる。

「そうだ」

捨てる前に、と、その空になった容器の写真をスマホで撮った。


 それから、その女性は毎日お弁当を買いに来た。いつも「おいしい」と言いながら、残さず完食するのだった。次第に店主は、この女性が店に来るのが楽しみになっていた。

 そして、その日もその女性は現れた。

「あ、いらっしゃい」

「お弁当ください」

店主が、すぐにお弁当を用意する。

「わ~、新作だ!」

「今回もかわいいね!」

「前のも好きだったけどね~!」

女性がお弁当を買う横で、二人の女子高生が盛り上がっている。それぞれの学生服がブレザーとセーラー服であることから、二人は違う学校の生徒であることが分かる。

「今日も好評ですね」

「ありがたいことに」

店主が誇らし気な顔をする。そして、店主がお弁当を女性に渡す。「いただきます」と受け取り、近くのベンチに座った。

 二人の女子高生は写真を撮り終わり、自分の写真にリアクションがついていく事を喜んでいた。そして、ひと通り盛り上がると、二人がお弁当を持ってゴミ箱に向かう。セーラー服の女の子の手が止まった。

「どうしたの?」

「…いや、そういえば私、一回も食べたことないなと思って」

「…やめときな」

「え?」

「私、一回チャレンジしたけど…」

そう言って首を捻る。セーラー服の女の子は「…あぁ、そうなの」と苦笑いを返していた。

結局二人は、一口も口をつけることなく、いつもどおりお弁当をゴミ箱に捨てて行った。
その光景は、見ていてやはり、少し寂しくなる。

 「…ごちそうさまでした」

あの女性が、近くのベンチで空になった容器に手を合わせた。そして、それを持って立ち上がる。

「ありがとうございます、いつもおいしそうに食べてくれて」

ワゴンの隣のゴミ箱にきた女性にそう言う。

「こちらこそ。それに、『おいしそう』じゃなくて、本当においしいんですよ」

女性が捨てた空の容器を見る。何度見ても幸せな気持ちになる。

「…ひどいですね」

女性がゴミ箱を見て言う。「まぁ、そうですね」と笑った。

「でも、もう慣れちゃいましたし」

「そうですか?」

「それに、これでいいんだっても思うんです」

店主が、小さく笑う。

「さっき、違う制服の女子高生がいたでしょう?」

「はい」

「あの二人、最初から友達だったわけじゃなくて、ここでお弁当買ってるうちに仲良くなったんです」

「…へぇ」

女性には、昔からの親友のように見えていた。

「だから、写真を撮って遊んで、仲良くなって。私のお弁当で楽しい時間を過ごしてくれたら、それでもいいんだなって思うんです。怒られるかもしれないけど、食べ物に食べる以外の使い道があってもいいのかなって」

「…なるほど」

「本当は、あなたも、気を遣ってくれてるんじゃないかなって最初は思いました」

女性が微笑む。

「気なんて遣ってませんよ。そうだったら、毎日買いに来たりなんてしません」

「…そうですね」

「いつも、美味しいお弁当をありがとうございます」

「こちらこそ」と店主が頭を下げる。

「また来ます」

そう言って、女性は帰って行った。

「…さて」

次は自分の昼食だ、と、お弁当を広げた。いつものように、販売しているものと同じお弁当だ。煮物のじゃがいもを一つとって食べる。

「…うっ」

思わず、吐き出した。まずい。味の好みがどうのとか、そういう問題じゃない。明らかに、「失敗」している。
 可愛さ目的の女の子たちは口をつけないため、気づかなかった。大量に捨てられたお弁当を見て、幸いなような、複雑な気になる。

しかし、もっと悲しい事があった。

『本当に、おいしいんですよ』

毎日、お弁当を買いに来るあの女性。「おいしい」と言って、完食してくれる。しかし、やはり、気を遣ってくれていただけだったのか。

 
 次の日。

いつもどおり、若い女の子たちがお弁当を買いに来る。写真を撮って盛り上がっては、ゴミ箱に捨てていた。そのことに、もはや寂しさは感じない。自分のお弁当は、まずい。

 昼時のピークを過ぎると、ゴミ袋の中はいっぱいになった。袋をゴミ箱から引っ張り上げ、袋の口を結んで閉じる。

「すいません」

自分を呼ぶ声に、顔を上げる。あの女性がいた。思わず「あ、」と声が漏れる。

「まだ、ありますか?」

「…ちょっと待ってください」

店主は、近くの水道で手を洗い、ワゴンに戻った。そして、女性にお弁当を売る。

「おいしそう」

女性がそう言うが、店主は返事を返さなかった。

 「いただきます」

そう言って、近くのベンチに座り、お弁当を食べ始めた。その姿をワゴンから見つめる。女性は、いつものように美味しそうにお弁当を食べてくれる。しかし、それがウソだと知っていると、その姿を見るのは悲しかった。

「ごちそうさまでした」

食べ終えた女性が手を合わす。今日も、綺麗に完食していた。女性が立ち上がり、ゴミ箱に空の容器を捨てていた。

「ありがとうございました」

女性が、店主にお礼を言う。

「今日も、本当においしかったです」

女性が笑った。その笑顔に少し、腹が立ってしまった。

「…気を遣わなくていいですよ」

そう、ぶっきらぼうに言う。女性が驚いた顔をする。

「え?」

「いままでずっと、私に気を遣ってくれていたんですよね。『おいしい』なんてウソまでついて、完食してくれて、本当にありがとうございました」

店主が頭を下げる。我ながら、なんて嫌味ったらしい態度だと思うが、そうせずにはいられなかった。女性は困った顔で、「そんなこと…」と弁解しようとしている。その言葉をさえぎった。

「昨日、私は明らかな失敗をしました。美味しいわけがありません。でも、いつもと変わらない様子で食べてくれましたね。ありがとうございました、気を遣ってくれて」

店主がそう言い捨てる。「おいしい」と言ってくれたのが、本当に嬉しかった。しかし、その嬉しかった分、悲しみも大きかった。それでつい、女性を責めるような言い方になってしまった。「この人を責めてもしょうがないのに」と、自己嫌悪に陥るが、気持ちを抑えられなかった。

「…ごめんなさい」

女性が頭を下げて謝った。

「私、ウソついてたんです」

その一言に、「やっぱりか」と思った。自分の料理は、まずいんだ。


「…私、味を感じないんです」


「…え?」

驚く店主に、女性が話を続ける。

「昔、病気をしてから、私の舌は味を感じなくなってしまったんです」

「そんな…」

「何を食べても味がしなくて。そうなると、食べるたびに悲しくなって。次第に、食べ物に一切興味がなくなってしまって。だからずっと、効率よく栄養がとれるゼリーとか、腹持ちがよくて保存のきく固形食とか、そんなものばっかり食べてました。他の物を食べたいと思わなかったんです」

女性が、ワゴンに貼られたお弁当の写真を見る。

「でも、このお弁当の写真を見つけたとき、本当にかわいくておいしそうで…。何年かぶりに、『食べたい』って思ったんです。それで、買いに来たんです」

女性の目が店主に戻った。

「本当のことを言えば、あなたのお弁当の味も、私の舌は感じ取っていません。でも、本当においしかったんです。『食事』って、こんなに美味しくて楽しいんだって、思い出せたんです。だから毎日、買いに来てたんです」

「ウソをついていて、本当にごめんなさい」と女性が再び頭を下げた。

「…もう、買いに来ない方がいいですね」

女性が悲しそうな顔で言う。そして、「今まで、ありがとうございました」と言ってその場を立ち去ろうとした。

 「…ウソじゃないです」

店主が言う。女性が足を止めて振り返る。

「あなたの言ったことは、ウソではありません。私の料理を『おいしい』と感じてくれたなら、本当です。それを感じたのが目だろうが舌だろうが、どっちでもいいです」

女性の顔に明るさが戻る。

「私の方こそ、ごめんなさい」

店主が頭を下げる。

「私の作る物は、ずっと、『かわいい』って言われてきました。それも嬉しいんですけど、『おいしい』って言ってもらえなくて。それがずっと悲しかったんです。でも、あなたが『おいしい』って言って食べてくれて…。本当に嬉しかったんです。人に、自分の作った物を食べてもらえる喜びを知りました。だから、あなたが『おいしい』と感じてくれるなら、それは本当です。ウソじゃないです」

「それで…」と一度、目を伏せた。

「嬉しかった分、悲しみも大きくて、つい、責めるような事を言ってしまいました。本当に、ごめんなさい」

深く、頭を下げた。

「…明日も、買いに来ていですか?」

女性が言う。店主が顔を上げた。

「はい、もちろん!」

店主がそう返す。二人で、笑顔になった。

 それからまた、店主が女性にお弁当を売る日々が続いた。一週間ほど経つと、店主と女性は次第に仲良くなった。年齢が近いこともあってか、自然と会話は盛り上がるのだった。

 客足も落ち着いたころ、二人でベンチに座った。

「…聞いていいことなのかわからないんだけど」

「うん?」

「…病気って、なんなの?」

「あぁ」と女性が笑う。

「今で言うと、うつ病みたいなものだと思うんだけど、気持ちが参っちゃったの。それで」

「そうなの…」

「離婚した旦那が、モラハラっていうのかな。ちょっと、気性が荒いというか。何をやっても、『これじゃダメだ』『お前はダメだ』って。私のやること全否定で」

「ひどいね」

「人は、気持ちが参ると自分を守るために外からの刺激をシャットアウトする機能があるらしいの。味がわからなくなる事の他に、耳が聞こえなくなる人とか、匂いがわからなくなる人とかもいるみたいなんだけど」

「それで、あなたは舌に来ちゃったってわけね」

「そうなの。心の方は回復したはずなんだけど、味はずっと戻らなくて」

「そっか…」

「うん。もう慣れちゃったけどね」

そう言って、寂しそうに笑った。

「許せないね、そいつ!」

店主が鼻息荒くする。その様子に、女性が小さく笑う。

「私もね、調理の専門学校時代に散々言われたんだ。『こんなんじゃだめだ』って」

「…そっか」

「『見た目より味』、『可愛くても美味しくない』、『まずけりゃ意味がない』、散々言われた」

「ひどいね」

「しまいには、『食べ物を粗末にするな』なんて言われて」

「それは、あんまりだね」

「だから、そうやって頭ごなしに否定するやつ、許せないんだよ」

「ありがとう、そうやって怒ってくれると、救われるよ」

「そう?」

「うん。それに、慰謝料たっぷりもらったからね」

女性が「いひひ」と笑う。店主も微笑んだ。

「…じゃあ、そろそろ頂こうかな」

女性がさっき買ったお弁当を広げる。店主も「あ、タイミングいいから私も食べようかな」と一緒に食べ始めた。友達同士での食事は、おいしくて楽しかった。

 「おい」

笑顔でお弁当を食べる二人に、一人の男性が声をかけてきた。店主が「うげっ」と明らかにイヤそうな顔をする。

「やっぱりお前だったか」

男性がそう言う。「知ってる人?」と女性が小声で聞くと、「専門時代の、講師」と教えてくれた。

「お前の作るもんは相変わらずだな。写真を見つけて、すぐお前だってわかったよ。いかにも、見た目だけで味が悪そうだ」

男性の嫌味に、二人は黙ってしまった。

「…そういうことは、食べてから言ってください」

店主が、静かに言い返す。男は「食べるまでもねぇよ」とゴミ箱を指差した。

「見た目だけでうまくねぇから、こんなに捨てられてんだろ?」

男性が「はぁ」と溜息を吐いた。「昔、散々言ったよな?」と続ける。

「こんなんじゃだめなんだよ!お前の料理はだめなんだよ!」

怒鳴った男性を、店主がにらみつける。

「…何がダメなんですか?」

店主が、また静かに言い返した。

「食べ物を粗末にしてるだろうが!」

「粗末になんてしてません!」

「こんなに捨てられてんだろうが!ゴミになってんだよ!」

「食べたって、うんこになるでしょう!」

「なに!?」

「ゴミになるのもうんこになるのも、そう変わらないでしょ!」

「あのなぁ、腹に入って、ちゃんと栄養になってから外に出るのと、栄養にもならずにそのままゴミになるのとでは違うんだよ!」

「心の栄養になってます!」

「はぁ?」

「楽しい思い出になってます!話のタネになってます!人と人がつながるきっかけになってます!それで、何がダメなんですか!」

店主が強く言う。その迫力に男性がたじろいだ。

「思い出にもならず、味も覚えてない。ただ、かきこむだけのごはんよりもいいと思います!あんなのはエサです!『食事』とは呼べません!どっちが食べ物を粗末にしてるんですか!」

店主が、睨みつける。

「…屁理屈ばっか言いやがって。馬鹿じゃねぇのか」

男性は、そう言い捨てた。

「今に終わるぞ、こんな弁当屋」

そう言って、立ち去っていった。

「…ふぅ」

店主が、一つ息を吐いて気持ちを落ち着ける。そして、ベンチを振り返った。

「え?」

店主が驚く。女性が涙を流していた。慌てて駆け寄る。

「ちょっと、どうしたの?」

「…ごめんね」

「そんな、あなたが謝ることないじゃない」

「…何も言い返せなくて、ごめんね」

「そんなの。言わせとけばいいんだよ」

しかし、女性の涙は止まらなかった。「泣かなくていいよ」と微笑みかける。女性は、「それも、そうなんだけどね」と涙を拭った。

「なんかね、嬉しかったの。ああやって言い返してるあなたを見て。まるで、あの日の私の代わりに言い返してくれてるみたいで」

「…そっか」とほほ笑んだ。

「このお弁当は、本当においしいよ」

「うん、ありがとう」

「私にとっては、心にも、体にも栄養になってるよ」

「うん、ありがとう」

店主が言うと、女性の涙が少し落ち着いた。店主が「食べよっか」と食べかけのお弁当を手に取る。

「うん」

女性も、お箸を手に取った。

「いただきます」

そう言って、ごはんを一口、口に運ぶ。その様子を見守る。

「…ん?」

女性の租借が止まった。店主も「ん?」と顔を覗き込む。女性が、もう一口ごはんを口に運ぶ。

「あれ?」

「なによ?」

一口ごとの女性の反応に、店主がじれったくなる。

「…まずい」

女性の口から、そう声が漏れた。店主からも「え?」とこぼれる。

「まずい~」

女性がしかめっ面になる。口の中の不快感をそのまま表したようなその表情に、「ちょっと、あんたまでそんなこと…」と店主が怒ってみせる。しかし、

「…え?」

店主が気づく。

「あんた、もしかして」

「まずい~~~~!」

女性が泣き出した。店主が「あんた、味分かるの?」と聞く。

「うん、すっごくまずい!」

「…よかったね!」店主の目にも涙が浮かぶ。女性も、「うん、うん!」と頷いた。

「でも、やっぱりまずいんじゃん!」

「ううん、おいしいよ、見た目は!」

「見た目だけじゃん!味はまずいんじゃん!」

「もう、どうやったらこんなにまずく作れるの~?」

「それを、あんたは今まで『おいしい』『おいしい』って食べてたんだよ!」

「もう、馬鹿みたい!」

「私だって、ガッカリだよ!」

そういう女性の顔は、泣きながら笑っていた。

「良かったね~!」

「良くないよ~!まずいよ~!」

そして二人は、そのままお弁当を食べ続けた。二人とも、お弁当を綺麗に完食する。「まずい、まずい」と言いながら食べたお弁当は、世界で一番おいしいお弁当だった。




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