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未来より今でしょ!高齢者介護の時制-介護施設の課題Ⅳ-3


1.コンサマトリー/インストゥルメンタル

 大澤真幸(社会学者)さんはコンサマトリー(consummatory:即自充足的)という概念を紹介していますが、この「コンサマトリー」という概念は介護における「必要-目的-手段」・「ニーズ-自立-介護計画」思想を解析するために有効な概念だと思います。
 コンサマトリーとは、それ自体で充足的な価値を持つという意味で、その反対語はインストゥルメンタル(instrumental)つまり、手段的、道具的ということです。
 大澤真幸さんはコンサマトリー/インストゥルメンタルという対概念を用いて「目的-手段」の現在と未来との関係性、つまり時制論的関係性を次のように指摘しています。

『経済成長をともなう資本主義においては、「現在」は常に、未来に想定された目的にとっての手段として―したがって意味そのものの源泉である未来の目的との関連で常に二次的・派生的なこととして―意味づけられる。つまり、現在はインストゥルメンタルな過程である。ところで、未来の目的には永遠に到達しないとすれば、どうなるのか。時間内の生は、すべてインストゥルメンタルだということになる。』

引用:大澤真幸/斎藤幸平2023 「未来のための終末論」左右社p135

 資本主義社会においては、常に「未来の資本の増殖」という目的を実現するために「現在」(手段)があるというのです。
 資本の増殖は永続的・果てしない目標ですので、資本主義社会では「現在の生」は、いつまでたっても手段的なものになっているようです。

2.介護施設における「目的-手段」関係

 以上の「目的-手段」の時制論から導き出された「現在」を介護施設に当てめると次のようになるでしょう。 

 介護施設においての「現在」は常に、未来の想定された「自立という目的」にとっての手段として、二次的・派生的なこととして意味づけられてしまう。
 介護施設での現在は常にインストゥルメンタル・手段的な過程なのです。
 
 しかし、目的=自立への到達が困難な場合は、入居者の現在、現在の「生」は全て手段だということになってしまいます。

  介護施設での「必要(Needs)-目的(自立)-手段(介護計画)」思想は、入居者の現在を自立への手段、道具と化する構造となっているのです。
 また、このことは入居者や職員の個々人の主観的なものではなく、資本主義によってもたらされる構造的なものだということを忘れてはなりません。

3.インストゥルメンタル化(手段化)による疎外

 さらに、大澤真幸さんは「現在」のインストゥルメンタル化(手段化)は疎外をもたらすものだと指摘しています。

 『「現在」は、それ自体としての充実した意味をもってはいない。現在の意味は常に未来へと疎外されている。』

引用:大澤真幸/斎藤幸平2023 「未来のための終末論」左右社p144

  資本主義社会では、「未来」の目的のために「現在」の生を手段化し疎外しますが、介護施設でも「必要-目的-手段」思想によって、入居者の「現在」が自立を目的とする「未来」へと疎外されてしまう怖れがあるのです。

4.目指すべきコンサマトリーとはどんな事態?

 コンサマトリーとは具体的にはどのような事態をいうのでしょうか。

 見田宗介(社会学者:1937年~2022年)さんはコンサマトリーを次のように定義していると言います。

 『手段としての価値があるわけではない。かといって「目的」でもない。それはただ現在において、直接に「心が躍る」もの』

引用:大澤真幸/斎藤幸平2023 「未来のための終末論」左右社p27

  見田宗介さんの言葉を借りれば、入居者が「心躍るもの」として感じ取れるようなコンサマトリー(即自充足的)な現在を生きることを介護施設は目指すべきではないでしょうか

 つまり、入居者が自立のための手段と化した現在ではなく、目的や未来という媒介を抜きにしたコンサマトリー(即自充足的)な現在を享受できるようにできるかどうかが介護施設の大きな課題なのだと思います。
  介護施設の入居者の「現在」がいかに貴重で大切なものかをしっかりと認識しなければならなりません。

 特養の入居者の平均滞在年数は3.5年だといいます。
(参照:厚生労働省「第183回社会保障審議会介護給付費分科会【資料2】介護老人福祉施設」)

 特養は人生の黄昏期、最晩年に生活する場です。
 この黄昏期において、未来の目標(自立)に向けて最後の3,4年の「現在」をインストゥルメンタル(手段的)なものとして生きるのは酷というものではないでしょうか。
 人生最後の3,4年を、達成できるがどうかもわからない自立という目標、未来に向けて今日を生きざるを得ないとしたら、その入居者は無力感、ニヒリズムに襲われるのではないでしょうか。

 未来の何らかの目的に向けて生きるのではなく、即自充足的、コンサマトリーに生きることを入居者たちは望んでいるのではないでしょうか。

5.美としての情報

 見田宗介さんは情報を次の3種類に分類しています。

①「認識情報(認知としての情報/知識としての情報)」
②「行動情報(指令としての情報/プログラムとしての情報)」
③「美としての情報(充足としての情報/歓びとしての情報)」

 ①「認識情報」及び②「行動情報」は基本的に「手段としての情報」ですが、③「美としての情報」は、充足としての情報、歓びとしての情報であり、そこには、知と感性と魂の深度に向かう空間があると指摘しています。

 人生の黄昏期、終末期にある入居者にとって最も大切のは「今」です。

 そして、その今をコンサマトリー的(即自充足)に美的情報を享受しながら「心躍らせながら生きる」ことが肝心だと思うのです。
 この観点から、介護施設における美としての情報、文化は大切なのだと思います。
 介護施設において、観ること、聴くこと、味わうこと、香を聞くこと、手触りを楽しむこと、五感をとおして現在を味わうこと、楽しく会話し交流すること、笑うこと、感動すること、遊ぶこと、気晴らしすることが大切なことではないでしょうか。

6.今でしょ!

 現代社会がいかに、目的志向的な社会であるかは現代人の読書傾向にも表れていると思われます。
 三宅香帆(書評家)さんは、労働と読書についての非常に興味のある論を展開していますが、三宅さんは、読書とは、自分とはあまり関係のない情報(ノイズ)をも含んでしまうものだと言います。
 しかし、効率を求める現代社会・情報化社会の現代においての読書は、インターネット等から得られる情報と同様にノイズを排したものとなる傾向があると指摘しています。自己実現のためのノウハウ本、自己啓発本などは、まさしくノイズを排したものですね。

「市場という波を乗りこなすのに、ノイズは邪魔になる。アんコントローラブルなノイズなんて、働いている人にとっては、邪魔でしかない。‥‥‥だとすれば、読書は今後ノイズとされていくしかないのだろうか。」

引用:三宅香帆 2024「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」集英社新書 p174

 三宅香帆さんのいう「ノイズ」とは、「目的からはみ出したもの、余計なもの」ということだと思います。
 そうすると、現代人の読書は、見田宗介さんのいう自分の仕事に直接的に有用と思われるノイズのない「認識情報」、「行動情報」を求めるものであって、直接的に即、自分に役立つわけでもない「美的情報」、ノイズの多い情報を排除する傾向が強いということでしょう。
 現代は、読書もコンサマトリー(即自充足的)、楽しみではなく、近未来の目的、明日の仕事に役に立つもの、インストゥルメンタルなもの、手段として捉える人が多いようです。

 現代人は、インストゥルメンタルな現在しか生きられないのでしょうか? 
 しかし、このような時代だからこそ、介護はコンサマトリー(即自充足的)であってほしいと思います。

 話がそれてしまいますが、医療と介護の時制上の違い「手段ー目的」連関上での差異は、本来的に医療はインストゥルメンタルで、介護はコンサマトリーということではないでしょうか?

 介護施設では、とにかく、入居者が「今」「現在」を味わい尽くすことが大切だと思うのです。「今でしょ!」 


 以下のnoteも併せてご笑覧願います。


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