「いないないばあ」と「空虚放置」―介護施設サービスの品質 6
介護施設は介護するところです。それはわかってみます。でも、人が生きて生活するということは、ただ生きてさえいれば良いということにはなりません。芸術や文化、娯楽、生活を味わえなければ人間的な生とはいえません。
芸術、文化、娯楽がなぜ必要なのかを、しっかりと考えてみることが大切だと思います。それを考えるためのヒントが「いないないばあ」です。
1.大切な心躍る経験
大澤真幸(社会学者)さんは、見田宗介(社会学者:1937年~2022年)さんのコンサマトリー(consummatory 即自充足的)の定義を次のように紹介しています。
見田宗介さんの言葉を借りれば、介護施設の入居者が「心躍るもの」として感じ取れるようなコンサマトリー(即自充足的)な現在を生きることを介護施設は目指すべきではないでしょうか。
見田宗介さんは情報を次の3種類に分類しています。
①「認識情報(認知としての情報/知識としての情報)」
②「行動情報(指令としての情報/プログラムとしての情報)」
③「美としての情報(充足としての情報/歓びとしての情報)」
①「認識情報」及び②「行動情報」は基本的に「手段としての情報」ですが、③「美としての情報」は、充足としての情報、歓びとしての情報であり、そこには、知と感性と魂の深度に向かう空間があると指摘しています。
障がい児の入居施設では、教育という未来の目的に向けたインストゥルメンタル(instrumental 手段的)なあり方と、今の生活を楽しむという、コンサマトリーconsummatory 即自充足的)なあり方の双方がバランスよくなければならないと思います。時制論的に言えば、現在と未来の適切なバランスが求められているのではないでしょうか。
これに対し、高齢者の介護施設は、思い出という過去に浸りながら今という時制をコンサマトリー(即自充足的)に生きていく場所だと思うのです。
人生の黄昏期、終末期にある入居者にとって最も大切のは「今」です。そして、その今をコンサマトリー的(即自充足)に美的情報を享受しながら心躍らせながら生きたいと願っている入居者は多いのではないでしょうか。
コンサマトリー/インストゥルメンタルについては、いかのnoteをご参照願います。
2.「いないないばあ」原理
見田宗介さんのいう「心躍るもの」について、千葉雅也(哲学者・小説家)さんの近著『センスの哲学』(文藝春秋)を参考に考えてみたいと思います。
千葉雅也さんは、生物は安定した状態(ホメオスタシス:homeostasis:恒常性)を求め、刺激されて興奮した状態を抑えようとするものだと指摘しています。
そして、高度に社会性が発達した人間においては、この安定状態を求めるということは、必然的に他者を必要とすることになる、と説いています。
人間の場合は非常に弱い状態で生まれ(生理的早産 アドルフ・ポルトマン)、長い期間、生き延びて成長するためには他者を必要とするので、「他者の存在が人間の安定状態につながっている」と言うのです。
(参考:千葉雅也 2024 「センスの哲学」文藝春秋 p88,89)
この、安定状態を得るための他者の「いる/いない」「存在/不在」は、人間にとって非常に重大なことになります。
千葉雅也さんは、この人間の根本に触れる、存在/不在を、「いないないばあ」という遊びに見出しています。
千葉雅也さんは、このように「いないないばあ」の不在/存在のリズム形成が人間の自立に向けたものとなっていくと考えているようです。
「いないないばあ」という子供の遊びが人間の根源に触れる原理であり、この「いないないばあ」の原理が、あらゆる遊びやゲーム、そして芸術の基盤にあるのです。
そして、この「いないないばあ」は不在/存在のリズムですから、存在という「快」だけではなく「不快」も潜んでいると千葉雅也さんは言います。
3.小説・絵画・音楽も「いないないばあ」
千葉雅也さんは、物語における「サスペンス」とは、意図的に作られたストレスであり、このサスペンスが「いないないばあ」の不在に相当するとしています。
サスペンスは英語で「宙づり」という意味ですので、サスペンスとは解決が遅延され、宙ぶらりんになって、緊張状態が持続している状態を表します。もちろん、宙ぶらりんの状態、欠如状態は後ほど満たされるのですが。
千葉雅也さんは、絵画や音楽もこのサスペンスの展開として捉えることができるとしています。
「サスペンス=宙ぶらりん=不在」は「存在=解決」で満たされる必要があります。よって、サスペンスには不在/存在のリズムがあるわけで、ここに、文化芸術の「いないないばあ」的構造をみることができるのだと思います。
4.丁寧な生活のサスペンス構造
千葉雅也さんは、「丁寧な生活」もサスペンス的なのだと指摘しています。
全てに効率性を求める生活は「丁寧な生活」とはいえませんし、サスペンス構造もありませんし、生活を味わえないと思います。
私は、人生の黄昏期の心躍る豊かな生活には、「いないないばあ」の不在/存在のリズム、サスペンスを有した文化(文学、音楽、絵画等)や「丁寧な生活」が求められると思います。
介護施設の経営者は自問したらよいと思うのです・・・
自分の施設にはサスペンスがあるか?
芸術、文化、娯楽があるか?
「丁寧な生活」があるか?
介護施設における、美としての情報、サスペンス、文化、「丁寧な生活」はとても大切なのだと思います。
文化・芸術・娯楽・丁寧な生活は、あればあった方が良いというものではなく、人間の根本、根源に関わることなのだと思います。
介護施設は、ジョルジュ・アガンベン(イタリアの哲学者)の言う、生きること以外のすべての価値を蔑ろにされた「剥き出しの生」の棲家ではなく、人間的な価値に溢れた「人の棲家」であってほしいのです。
介護施設において、入居者を「空虚放置」しないためにも、人間の基本的欲求である「いないないばあ」構造、「不在/存在」構造に基づいたメリハリのあるサスペンス、文化・芸術・娯楽を味わうことができれば良いと思いますし、観ること、聴くこと、味わうこと、香を聞くこと、手触りを楽しむこと、五感をとおして「丁寧な生活」を味わうことができればよいと思います。
介護施設において文化、芸術、娯楽は「いないないばあ」原理という、人間の始原の欲求に照らして、「なければいけないもの」だという認識に立つべきだと私は思います。
「空虚放置」については以下のnoteをご参照願います。
他にも以下のnoteも併せてご笑覧願います。
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