介護の賃金はなぜ安いのか(介護労働Ⅲ-3) 資本主義と介護労働-再生産労働と低賃金
8.再生産労働/低賃金と過重労働
(1)再生産労働が低賃金なわけ
サービス残業に非正規化、資本家・管理者マインドの要請等々、介護現場の状況は改善される兆しが見えてきません。この厳しい職場環境にも係わらず低賃金です。
上野千鶴子さんは、介護労働の低賃金の理由を次のように説明しています。
上野千鶴子さんは、介護労働が低賃金なのは介護が「女の仕事」と考えられてきたからだと指摘しています。これは非常に明快かつ納得できる理由です。
要するに、介護は女の仕事、家庭内労働、つまり、再生産労働[1]だから低賃金なのだということです。
再生産労働とは一般的な生産労働を下支えするものであり、生産労働と補完的な関係にあると考えられています。ですから、再生産労働である介護労働は生産活動の下支えであるために低賃金となってしまうのです。
例えば、8時間働いて1万円を稼ぐ者が、自分が働いている間、介護サービス(8時間)を頼むとしたら、その費用は自分の稼ぎの1万円以下でないと働く意味がなくなります。
このように市場に任せれば、再生産労働は一般的な生産労働の賃金を上回ることができません。
ナンシー・フレイザー[2]は、育児、介護などの再生産労働を市場に任せるのは資本主義の倒錯した特徴だと指摘しています。
ナンシー・フレイザーの言うとおり、やはり、再生産労働者の賃金は市場に任せてはいけないのです。
ですから、生産労働を支える再生産労働である介護や保育は、社会の助け合いの仕組み、つまり、社会保障として位置づけられ、国家が税を投入すべき領域なのです。
近年、介護職員処遇改善加算、介護職員等特定処遇改善加算、介護職員等ベースアップ等支援加算など介護職の賃金を上げる施策がとられ、2024年度からはこれらの加算が一本化されるようですが、まだまだ他の職業より低賃金であることには変わりません。この現状を打破しない限り日本の介護に未来はありません。
介護労働者の低賃金は、介護が再生産労働であること、そして、性差別をその基底にもっていて偏見や差別という大きな社会問題と地続きの構造的なものなのです。
介護労働の低賃金を改善するためには政治・経済・社会体制全体を変えるしかありません。
(2)過重労働/精神的貧困
介護労働は低賃金だけが問題なのではありません。精神的な貧しさ、精神的貧困も問題です。
介護労働はかなり厳しい肉体労働であり精神労働です。酷い過重労働なのです。
1日働けば心身ともに消耗してしまいます。
介護労働者は一日働き、疲れ切って家に戻って食事をとり、寝て起きたらまた仕事に出ます。または、夜勤では二日分働き疲労困憊して家に戻るのです。
ですから、介護労働者は、読書とか音楽等の文化芸術をゆっくり味わう時間を持つことが難しくなっています。また、地域の活動やボランティア活動、政治活動などに参加する機会も少なくなり、どんどん視野が狭くなってしまいます。
私の友人が「介護の仕事をしていると精神的にどんどん貧しくなっていくように感じる。」と言っていたのを思い出します。
斉藤幸平さんも労働時間短縮の重要性を強調しています。
日本においても、介護労働者の週休3日制の導入を政治的に勝ち取る運動が必要だと思います。
9.介護労働者とアソシエーション
(1)受肉したボキャブラリー
経営者を資本家、職員を労働者と言い換えただけで拒否感を持つ人も多いかも知れません。
労働者、労働力、資本、資本家、使用価値、交換価値、労働価値説、必要労働時間、剰余労働時間、商品、剰余価値、特別剰余価値、搾取、収奪、階級、包摂等々のマルクス主義の用語に馴染みがない人、拒否感を持つ人は多いでしょう。
朱喜哲さんは、私たち人間や社会は、受肉したボキャブラリーだと紹介しています。つまり、その人、その集団の用いる語彙、ボキャブラリーがその人を形作っているということでしょう。そして、いつでも自分や集団は自らを語り直し、変わっていくことができると指摘しています。
ですから、介護労働者も使用する語彙、ボキャブラリーを変えてみることによって、自らも変わり、介護業界も変わっていく可能性があるのではないでしょうか?
(2)アソシエーション
でも、マルクス主義、共産主義は歴史的にみて、ソ連や中国などの社会主義国家は、独裁的体制として非常に評判が悪いし、既に、人々にとって資本主義は自然すぎるくらい自然なものとなっていますので、資本主義社会以外の社会を想像することもできません。
「資本主義の終わりを想像するよりも、世界の終わりを想像することのほうが容易だ」[3]という有名な言葉があるくらいです。
今さらマルクス主義などはあり得ないと思う人が多いでしょう。
しかし、理不尽なほどの貧富の差が生じ、地球環境問題が深刻化している現代において、斎藤幸平さんはマルクスの晩年の思想(未公開の研究ノート)を物質代謝という概念を用いて丹念に拾い上げて再構成しています。
(参照:斎藤幸平2019『大洪水の前に/マルクスと惑星の物質代謝』堀之内出版)
何もマルクス主義を教条主義的に絶対視する必要はもちろんありませんが、同氏のマルクス主義からは新鮮で生き生きとした可能性を感じることができます。
斎藤幸平さんによるとマルクスは自身の理想をコミュニズムという言葉よりアソシエーションという言葉で表現していたと言います。
さらに、斎藤幸平さんは市場原理から離れた領域の重要性を指摘しています。
人々が連帯し結合していくアソシエーションや市場原理から離れた領域とは、はまさしく福祉・介護の領域ではないでしょうか。
市場原理から離れた領域としての福祉・介護の領域を地道に拡大していくことが、地域のコモン(common;共有財)を育み豊かな社会を創っていくことになるのではないでしょうか。
そもそも、日本の介護産業は完全な市場ではありません。なにしろ、介護報酬は公的価格であり、介護市場は準市場[4](quasi-market)なのです。
社会福祉法人等の原理的に利益を目的としない法人が、地域の多くの人々の参画を得て、社会福祉事業、介護事業を地域のコモン(common;共有財)として育てていく可能性はあるのではないでしょうか。
(3)労働力は社会の「富」
また、斎藤幸平さんは次のように労働者の労働力は社会の「富」であると指摘しています。
当然、介護労働者の労働力も社会の「富」でしょう。再生産労働としての介護労働及び介護のノウハウ、介護事業は社会に不可欠のコモンです。そしてこの介護を支える介護労働は社会の大きな「富」なのです。
この介護事業を担う労働者たちの生活を豊かにし、夢を実現したり社会のために役立てたりするために、自ら労働者としての権利を理解し、主張し、地域の人々と連帯して権利を実現し、地域のコモンを育てていくことが必要なのです。
日本の介護労働者は地域におけるアソシエーションを創っていく一員として活躍できる豊かな可能性を持っています。
介護労働者にはアソシエーションの有力な担い手となり、地域のコモンを豊かにしていくことを期待したいです。
そのためにも、介護労働者の賃金をもっと上げ、もっと時間的なゆとりを持たせることが必要でしょう。
これこそが国のやるべきことであって、介護業務の効率性向上云々などを声高に叫ぶことは国のやるべきことではありません。
[1] 再生産労働とは生産活動が円滑に行われるための基盤を支える労働。たとえば、専業主婦の家事、出産、育児のような仕事をいう。米語では、"reproductive labor”と表記される。(reproductiveは「生殖の;複写の、多産の、」という意味)
[2] ナンシー・フレイザー(Nancy Fraser 1947年~ )アメリカ合衆国の政治学者。
[3] フレドリック・ジェイムスン(Fredric Jameson)アメリカ合衆国の思想家の言葉。
[4] 準市場(quasi-market)は、医療・福祉など公的サービスにおいて、部分的に市場原理を取り入れている場合の総称。擬似市場。
以下のnoteも併せてご笑覧願います。
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