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記事一覧
「塔」2020年8月号(月詠)
落下するペットボトルの速度にて夢より戻るわがたましひは
護られてゐるうちはまだ良かつたが木香薔薇で息ができない
辛うじて私はわたしを騙しつつ砂糖をまはし入れるカフェオレ
適切な言ひ訳として金曜はお持ち帰りのやきとりを買ふ
吊り革が額をつつく 面倒な奴と思はれ出してうれしい
(p.117 山下洋選)
「塔」2020年7月号(月詠)
止まつてはいけないといふ心意気あるいは思ひ込みの春先
謝つたところで既におしまひにされてゐて絞りかけのオレンジ
段々と嫌はれ慣れてゆくことをアボカドに刃をきれいに入れる
通過するたびに高輪ゲートウェイふくらんでゐるからつぽの影
桜から葉桜へ呼び変へるときかすかにゆれる春の水嵩
在りし日と云へばそのぶん遠のいて汽笛のくづれゆく定期船
(p.97 花山多佳子選)
「塔」2020年6月号(月詠)
あなたも、と初めて知りぬ 派遣には適用外のテレワークなり
いくらでも潰せるやうに指の骨鳴らして午後のオフィスに戻る
この先の人身事故に停まりたる電車より見上げる春の雨
迷走の夜は呼吸も錆びついて拒絶の言葉すら疎まれる
ここにきてやうやく合つてきたやうな身体、わたしの終の住処よ
いつもより空気多めにすれ違ふ電車わづかに窓を開けつつ
(p.51 山下泉選)
「塔」2020年5月号(月詠)
帰宅即寝落ちした日の翌朝は一本釣りのやうに目覚める
仕方なく朝のコンビニ 肉まんは買つたそばから口につめ込む
肝心なところで今日もやらかして声と呼吸がこなごなになる
突き放し尽くしたあとの感情はマーマレードのごとき夕映
蛸の足嚙み切るやうな顔をして病院行きのバスへ乗り込む
もう誰も嫌ひたくない週末の水辺に立ち尽くすフラミンゴ
空いてゐたはずの隣にカーテンを短く閉ざす夜のさざなみ
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「塔」2020年4月号(月詠)
たぶん見えてゐないのだらう継ぎ接ぎの渋谷駅からあまたあふるる
たまに来る寒中見舞ひ さういへば一円切手の人誰だつけ
とほくからでも手応へで分かるんだ鉛のこゑを撃つてきたから
仏文科なき大学につやつやとプレイヤード叢書並んでゐたり
あの形のものは何でもヤクルトと呼ぶ、ごく稀に林檎ジュースで
明日辞める仕事のことを思ひつつ埠頭に冬の風あつめをり
くたくたのスポンジ握りしめながら後づけされる
「塔」2020年3月号(月詠)
深海のやうな部屋にて目覚めればいつからつけつぱなしのラジオ
頻繁に猫に会ふから猫道と名づけて今日も抜ける猫道
派手に音はづして笑ひ合ひながら室内楽になりゆく四人
どうせ全部自分で食べる大根に隠し包丁隠さず入れる
古本で買つた文庫の初版から蚯蚓のごとくこぼれるスピン
狂乱のコロラトゥーラに拍手するこの手で殺したのだ、私も
眠るたび心の奥に市が立ちぬくいぬくいと手招いてゐる
(p.95)
「塔」2020年1月号(月詠)
日除けより外へこぼれてゆく時の身体に泥の傾きはあり
かひがら、と聞いてあなたは巻き貝のひびきを奥へしづめゆく耳
少しだけ大崎行きは空いてゐてそれきり夏も終はつてしまふ
クーピーはすぐに砕けてしまふから花火まみれになる自由帳
午後からは雨と聞きつけ店頭にビニール傘の集ふひととき
繁忙期 まんまと二駅寝過ごして知らない駅に少し親しむ
酔つ払ふために買ひ込むチューハイのロング缶、
「塔」2019年11月号(月詠)
早朝のマクドナルドの窓辺にてマフィンの粉が指にまぶしい
エレベーターごとゐなくなる物語われに起こらず十階へ着く
近づくと意外と音がうるさくてモノレール、夜を切りとる光
待つたなしで過ぎゆく夏の教室に制汗剤のにほひあふれる
露地物の野菜はグレてゐると云ふグレてゐるからうまいのだと云ふ
そちらではよろしくやつてゐるさうで実は落とし穴だつたらしいが
八月は濃いみづいろに縁取られいつしか凪いで
「塔」2019年9月号(月詠)
傾いてゐたのはこちらだつたのか扉、とほれなくてもとびら
それつきりの人あまたゐて感情は草の湿りのごとく残りぬ
飴玉を転がすやうに歌ふから歌詞がかなしくても気づかない
タスクひとつ塗りのこしたる週末の手帳にほそき銀のペン挿す
以前より薄くなりたるハムカツの衣ばかりが皿をこぼれる
呻きから寝息へ変はり裏道に室外機しんと並んでゐたり
長雨は地下のホームに流れつき話せばわかる相手だつたが
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「塔」2019年8月号(月詠)
すり傷の数を競つてゐた頃のたんぽぽ畦に咲くかへり道
ほんたうは焼いてないのに焼きそばと言ひ張る物へ湯を注ぐなり
倫理的に生きてゐるのでスーパーに時折出逢ふ値引きのお寿司
夏の息かすかに溶けてゐるやうな五月、氷を鳴らすストロー
花火つて聞いてゐるので大抵の爆発なら素直に受け入れる
日だまりに熱うすれつつコンビニのコピーにたまにできる行列
(p.126)
「塔」2019年5月号(月詠)
躓いたはづみに何故か手のひらで謝つてゐるあなたはだあれ
偏頭痛起これるゆふべ樹系図のごときものわが脳【なづき】をめぐる
十分でできるレシピを日替はりで楽しんでゐる昼の弁当
スプーンの先でカップを鳴らす時われに鎖のごときほほゑみ
この部屋でいつでも秋を待つてゐる金木犀のお香を焚いて
足元の黄色い線を眺めつついつまでもながめつつ、帰らう
(p.114)
「塔」2019年4月号(月詠)
耳のごとくはみ出してゐるアパートの出窓のあたり風呻きをり
見覚えのある人朝の駅前に声荒げをり元議員なれば
真二つに折れたチョークを拾ひ上げ冬のつづきの白線を引く
ここで刃を落とせと指示のある譜面十六名をギロチンに消す
焙じ茶の湯呑みに指をあたためて午後は民話のごときまどろみ
(p.196)
「塔」2019年3月号(月詠)
おまへは何故そこで笑つてゐるのかと問ひたる首のこちらへ曲がる
あらさう、と言ひかへす時水鳥のごときものわが声を過りぬ
わが生をわれがもつとも拒むゆゑ梢に冬の風は撓めり
雪踏めば足裏【あうら】にひびく弦楽のソステヌートのごとき重みは
汽車といふ言葉は北へ向かひつつ雪にまばゆしモノクロの渡河
まつさらなシーツふくらみわが視野に死後のひかりの整ひゆかむ
(p.89)
「塔」2019年2月号(月詠)
それぞれの靴の終はりに紛れ込む海岸線とわづかな小石
目録に記されてゐる感情のひとつかと思ふわが憎しみも
雨音のわづかに耳にくもる時われはカーテンのうちがはにをりぬ
まだ光つてゐるのか夜景 豆乳をあたためて飲む時のしづまり
いつよりかわが内に潜みふくらめる毛糸玉つひに糸を吐き出す
全身に目玉のひらく感触のまひるせはしき新宿駅は
靴音はわれに形を与へつつ附いて来るなり家のまへまで
(p.