病的に死にたくなるという事。
とても素敵で、将来が楽しみだった俳優さんが亡くなりました。
彼の心の内を知るすべはもうありません。
全てが憶測です。
彼が遺していったこの謎は、ニュースを聞いた時から常に心の片隅に引っ掛かっています。
きっと、多くの人がそうなのではないかな、と思います。
私は双極性障害2型サバイバーです。
今は寛解している状態で、今のところ再発はしていません。
生き延びた…と感じています。
希死念慮、という言葉は、自分が鬱病かもしれないと感じ始めた頃に知りました。
今から15年くらい前でしょうか?
鬱病の「症状」として並んでいました。
「死にたい、消えてしまいたい、生きていたくない。」
そういった気持ちが湧いてくるのは、小学校低学年の頃からありました。
だから、始めは自分の考え方の癖みたいなもので、そんな事を考えるなんてダメだな自分、くらいに思っていました。
そして気付けば、希死念慮といつも背中合わせで暮らすようになっていました。
今振り返ってみると、病的な希死念慮というものがどういったものなのか、少しは理解出来ていると思います。
渦中にいると、それが病的なのか、自分の心がダメだから死にたくなるのか、全く分かりませんでした。
すべて、自分の問題としか考えられませんでした。
上手く説明が出来なくてもどかしい。
病的に死にたくなる事。
それは、経験した事がなければ理解できないのかもしれません。
そして、そこから抜け出さなければ、病的な感情だったのかを自覚出来ないものなのかもしれません。
波が落ちて鬱状態になると、いつも、死にたくなる気持ちと闘っていました。
娘を遺して絶対死んではいけないと分かっているのに湧いてくる感情。止められない思い。
そんな感情にいつも翻弄され苦しくて、訳がわからなくなってのたうち回っていました。
闘い方の1つが自傷でした。
これもなかなか理解し難い行動だと思います。
その行動には色んな感情が含まれていて、死にたい、も、罰したい、も、落ち着きたい、もありました。
多分もっと色々あったのですが、上手く言えません。
娘を心配させないように、派手なケガはしないようにしていました。
なので今、私の腕に目立った傷はありません。
そういう意味で、私は抑制が効いていたのかもしれません。
それでも殴り過ぎて腕を折ったことがあるし、太腿には今も目立つ跡があります。
泣き喚いたり、廃人のようになっていたり。
病気というものがいかに恐ろしいものか、と今だから実感出来ています。
私が死なないで済んだのは、娘がいたからです。
そして、お腹の中で8ヶ月間生きて天に還っていった娘がいたからです。
娘達には一生分の親孝行をしてもらったんだな、と今改めて噛み締めています。
それでも。
何か1つのタイミングで、私も死を選んでいたかもしれないと思うのです。
あの頃の自分が絶対死ななかったか、というと紙一重だったのではないかと思います。
それ程、病的な希死念慮というものは、理性とか倫理観とか、そういうものとは関係ないところから湧いてくる得体の知れない化物でした。
死んではいけないと頭の中で分かっているのに死ななければもうダメだと考えてしまう。
その狭間でどちら側に行くか、その違いでしかなかったのかなと思います。
彼の心の中でどんな感情が湧き上がっていたのかはわかりません。
だけど、苦しんで追い詰められて何かのピースが嵌ってしまったのではないかと思うのです。
病的に死にたくなる。
そんな病気があります。
分かっているんです。
死んじゃいけないってこと。
生きたくても生きられない命があること。
生きるために闘い続けている人がいること。
病的に死にたくなる事を、肯定している訳ではありません。
悲しいほどに、そんな感情は無ければいいと願っています。
「死にたい」がアイデンティティを侵食してしまうのです。
死にたいの塊になってしまうのです。
そんな病気があります。
そして、誰でもその病気になる可能性はあるのです。
もちろん彼の精神状態は知る由もありません。
ただ、今も、そこかしこに希死念慮で苦しんでいる方がいるんだと、知ってもらいたい。
今も病的に死にたくなって、そんな自分と闘い続けていている人達います。
彼らが、命の重さと希死念慮との間の大きなジレンマの中で、心の糸が切れてしまわないように願うばかりなのです。
支離滅裂です。
これ以上まとまりません。
申し訳ありません。
読んでくださった方に心より感謝申し上げます。
最後になりましたが、三浦春馬さんのご冥福を心よりお祈りしています。