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HIP論 |ヘインズ 『古楽の終焉』
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HIPとピリオド演奏について
クラシック音楽には、演奏様式の一つとして「ピリオド」と呼ばれるジャンルがあります。ピリオドとは、歴史上の特定の時期に用いられていた表現を、歴史学的・考古学的な方法を通じて現代に再現しようとする試みを指します。
音楽において、これは廃れた当時の楽器を再現し、その演奏方法を史料から解明し、作曲家たちが生きた時代の表現を忠実に再現することを意味します。こうした再現された楽器は「ピリオド楽器」、その演奏は「ピリオド演奏」と呼ばれます。また、この演奏様式全体を指す総称として「ピリオド」という語が使われることもあります。
ピリオド演奏は当初、バッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディといった作曲家によるバロック音楽やそれ以前の音楽を主なレパートリーとしていました。そのため、これらの古い作品を演奏する「古楽」(Early Music)と結びつき、「古楽演奏」や「古楽奏法」という名称と同義的に用いられることがありました。
しかし、今日ではピリオド演奏の対象は古楽にとどまらず、古典派やロマン派を経て、マーラーやドビュッシー、ストラヴィンスキーなどの近代作品にまで広がっています。この変化は、当初18世紀前半のバッハやヴィヴァルディ、ヘンデルを演奏していた時期から、モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンといった作曲家を取り扱うようになった段階で顕著になりました。その結果、「古楽演奏」や「古楽奏法」という従来の名称から離れ、より包括的な概念として「歴史的知識に基づく演奏法」(Historically Informed Performance、以下HIP)という名称が定着していきます。
HIPは「古楽」だけに限定されず、音楽史全般を再評価する演奏様式として発展しました。この頭文字HIPは、2022年に日本語に翻訳されたブルース・ヘインズの著作『古楽の終焉』(2007)で注目されるまで、日本ではほとんど知られていなかったようです。
ピリオド演奏とHIPはしばしば同義的に扱われますが、両者のニュアンスにはわずかな違いがあります。ピリオド演奏が具体的な演奏行為そのものを指すのに対し、HIPはその演奏行為を推進する運動や活動全般をも含む概念です。実際、ヘインズの『古楽の終焉』ではHIPが一つの運動、一派として取り上げられています。このため、HIPという用語は、ピリオド演奏を含む演奏運動全体を指す便利な総称ともいえます。
ヘインズが同著で繰り返し指摘しているのは、かつてはバッハやヴィヴァルディ、ヘンデルといったバロック・ルネサンス時代の作曲家の作品に限定されていたHIPが、モーツァルトやベートーヴェンといった古典派の作品、さらにはシューベルト、メンデルスゾーン、ショパンなどロマン派の作品にまで対象を広げたという点です。
ヘインズがこの変化に注目する理由を考えると、HIPの成立過程そのものに行き着きます。この過程を辿ることで、ピリオド演奏やHIPが単なる再現にとどまらず、音楽の歴史とその解釈に新たな視点をもたらしたことが理解できるでしょう。
HIP運動の歴史について
20世紀初頭、あるいは19世紀末のヨーロッパの音楽界では、バッハやヘンデルといった作曲家の作品がレパートリーとして演奏されていました。ただし、ヴィヴァルディについてはまだほとんど知られていなかったようです。この時代、当時の楽器の多くが失われていたこともあり、それらを別の楽器で代用したり、必要に応じて楽譜を書き直して演奏していました。
日本的な例えを用いるならば、ベートーヴェンの交響曲第9番を演奏する際に、ピッコロが手に入らず、龍笛や篠笛で代用したり、ベルリオーズの幻想交響曲でハープが不足して箏を使用するような発想に近いのかもしれません。
この観点から見ると、今日バッハやヘンデルの鍵盤作品をピアノで演奏するという行為は、当時の「書き直し」文化の名残りといえます。
一方で、こうした「書き直し」の文化に疑問を持ち、反発する人々も少なくありませんでした。特にイギリスの音楽学者アーノルド・ドルメッチは、バロックやルネサンス時代に使われていたリュート、リコーダー、ヴィオール、チェンバロなどの楽器を「再発見」し、その修復や復興に多大な努力を注ぎました。特に、リコーダー復興における彼の功績は特筆すべきものです。
また、1915年に出版された彼の著書『17・18世紀の演奏解釈』は、今日のHIP運動における最初期のマニフェストともいえる内容でした。
ドルメッチに続いて、ポーランド出身の女性ピアニスト、ワンダ・ランドフスカによるチェンバロ復興もまた、大きな歴史的意義を持ちます。ランドフスカは優れたピアニストとして知られ、モーツァルトの協奏曲やソナタの録音を残しています。こうした演奏活動で得た収入を活用し、チェンバロ、すなわちバッハやヘンデル、スカルラッティらが活躍していた時代の鍵盤楽器の再現に情熱を注ぎました。
ただし、彼女が作り上げた「チェンバロ」は鋼鉄フレームを備え、足下のペダルでストップを操作するメカニカルな楽器でした。その独特の音響は当時の大ホールの隅々まで響き渡りましたが、今日の私たちが思い描くチェンバロとは大きく異なるものでした。これがいわゆる「モダン・チェンバロ」と呼ばれるものであり、ランドフスカの特注でプレイエル社が製作した「ランドフスカ・モデル」がその代表例です。このモデルが登場したのは1920年代頃のことです。
モダン・チェンバロはその後も改良が進められました。たとえば、1960年代にランドフスカの弟子であり、ドメニコ・スカルラッティの目録番号で有名なラルフ・カークパトリックがバッハの『平均律クラヴィーア曲集』第2巻を録音した際には、まだメカニカルなノイズが目立つものの、以前よりは聴くに堪える仕上がりとなっていました。
また、同じ時期にカール・リヒターが録音したバッハの『6つのパルティータ』では、ノイペルト社製のモダン・チェンバロが使用されており、その音色はランドフスカやカークパトリック系列の硬い音から、より柔らかく丸みを帯びたものへと変化しています。さらに、盲目の巨匠ヘルムート・ヴァルヒャが生涯使用したアンマー社製のモダン・チェンバロは、リヒターのノイペルトモデルよりもさらに繊細で、今日のチェンバロに近い音色を実現していました。
イタリアでは1930年代から1940年代にかけて、オットリーノ・レスピーギ、アルフレード・カゼッラ、ジャン=フランチェスコ・マリピエロらが中心となり、ヴィヴァルディやパレストリーナ、ペルゴレージ、モンテヴェルディなどの作品の「発見」と復興を推進しました。
いずれの例も、当時の楽器の特性や歴史的背景を再考し、それらを復元する試みの一環でした。この流れは、テオルボ、クラヴィコード、ヴィオラ・ダ・ガンバ、バロック・フルート、同オーボエ、同トランペット、同ヴァイオリンといった楽器の再興にもつながり、楽器そのものの歴史を紐解きながら進化を遂げていきました。
次に考えるべきは、その時代における最も一般的な演奏様式がどのようなものであったかという点です。ドルメッチやランドフスカが強い疑問を抱いていたのは、まさにこの部分でした。この当時の演奏法を探究することが、結果的にHIP運動の原動力となったことは見逃せません。
20世紀初頭のバロック作品の演奏では、楽譜や編成の変更が日常的に行われていただけでなく、ヴィブラートやポルタメント、レガートが過剰に強調された仰々しい演奏解釈が主流でした。こうしたスタイルは、ドルメッチやランドフスカの興味を大きく削ぐものでした。
この時期の演奏記録は、録音史の初期とも重なるため、リヒャルト・シュトラウスによるベートーヴェンの交響曲の録音や、ヘルマン・アーベントロート、ウィレム・メンゲルベルク、若き日のフルトヴェングラーやトスカニーニらの録音を聴くと、今日の解釈との違いに驚かされます。ヴァイオリン分野ではフリッツ・クライスラーが代表例ですが、その精神を最も濃密に受け継いだのは、ゲオルク・クーレンカンプと言えるでしょう。
こうした華美でドラマチックな演奏スタイルは、決して無計画なものではなく、聴衆を退屈させない効果を狙ったものです。特に新興ブルジョワ層やその家族を満足させるには十分な効果を発揮していました。しかし、バロック音楽の演奏においては、これがドルメッチやランドフスカにとって大きな心労の原因となったことも事実です。
小さな一例ではありますが、ラモーのオペラ《プラテー》の第2幕に登場するラ・フォリーのアリア「Formons les plus brillants concerts」を下に提示しておきます。
上がハンス・ロズバウトの指揮、パリ音楽院管弦楽団の演奏によるもので、歌唱はジャニーヌ・ミショー、1961年録音です。(動画の1:11:38から)
下はウィリアム・クリスティの指揮、レ・ザール・フロリアンの演奏によるもので、歌唱はシリル・オヴィティ、2021年録音です。
ロズバウトの1961年の録音時点ではすでにチェンバロなどが伴奏に組み込まれこそしていますけれど、いわゆるHIP以前のバロック演奏の持つ特有のゴージャスさと言いますか、いささか装飾過多な優美さに満ちた気品さを感じさせます。こうした演奏は少なくとも今日のバロックのHIPでは全く見かけなくなりました。
ドルメッチやランドフスカの視点からすると、こうした演奏効果を重視する取り組みは「ロマン主義的」であると断じられるものでした。ランドフスカがモダン・チェンバロを創造したのも、当時の演奏様式と、作品が生まれた時代の演奏様式を橋渡しする試みの一環だったのかもしれません。
ロマン主義的な演奏に対して、楽譜の記述や編成、表現法を再現し、当時の演奏法に基づいた演奏を追求する姿勢こそが、HIP運動の精神、あるいはそのイデオロギーそのものと言えます。この観点から、サーストン・ダートの『音楽の解釈』(1954年)やロバート・ドニンソンの『古楽の解釈』(1963年)は、特に重要な文献です。これらは17世紀から18世紀にかけての演奏様式を考察したものです。
こうした研究に基づく演奏法の解釈と運動は、主にオランダのアムステルダムやベルギーといった低地諸国で開花しました。今日、バッハをはじめとする「古楽演奏」の巨匠とされるグスタフ・レオンハルト、クイケン一家、フランス・ブリュッヘン、トン・コープマンといった演奏家たちが、軒並み低地諸国でキャリアをスタートさせているのは、偶然とは言い難いでしょう。
HIP運動は1970年代から1980年代にかけて、上述した演奏家たちによって、アムステルダムを中心に大きく発展しました。しかし、この運動に基づく演奏技法の再現は研究の進展とともに日々変化するものであり、一部の奏法は後年否定される運命にもあります。たとえば、ランドフスカのモダン・チェンバロや、初期のムジカ・アンティクワ・ケルンの合奏法がその例です。
今日のHIPについて
こうした試みの大きな転機となったのは、1980年代にDECCAの古楽部門L'oiseau-Lyre からリリースされた、クリストファー・ホグウッドとアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックによるモーツァルトとベートーヴェンの交響曲全集でした。
ホグウッドのこれらの全集は、HIPの考え方を、それまでの中心的なレパートリーであった18世紀前半の作曲家以外にまで適用した最初の試みでした。
この動きを契機として、ニコラウス・アーノンクールやジョン・エリオット・ガーディナー、フランス・ブリュッヘンといった指揮者たちが台頭し、対象をハイドン、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマンへと拡大していきました。
実際、それまでHIPの主な目的は、バロック音楽におけるロマン主義的な演奏解釈(演奏効果を重視し、楽譜上の指示を軽視するアプローチ)への反駁にありました。しかし、この理念はバロック作品に限られた狭い理論ではなく、特にバッハの息子たちの世代(古典派に近づく音楽)にも適用可能でした。このため、遅かれ早かれ古典派へとこのアプローチが拡大するのは時間の問題だったといえるでしょう。
こうして「時代的制約」が取り払われた現在、音楽史は一本の大きな軸の上で形成されたものであり、人から人へと音楽技法が伝播し、作曲や演奏がなされてきた流れがありますことから、HIPもまた、時代的制約を超えた「一般化された演奏様式」へと進化しつつあります。まさしく古楽演奏からHIPへと進化した過程でもあります。
一方、大きな変化や論争を引き起こしたのが、2014年にHarmonia Mundiからリリースされたフランソワ=グザヴィエ・ロトと彼の率いるレ・シエクルによるストラヴィンスキーのバレエ《春の祭典》の演奏です。
ロトは以前から、ドビュッシーやサン=サーンス、デュカ、ベルリオーズなどのフランス作曲家の作品にHIPを適用する試みを続けていましたが、《春の祭典》では、初演当時の楽器を使用した演奏を売り文句とし、ライナーノートにはロト自身の楽器探しの苦労話が詳述されていました。
もちろん《春の祭典》が非常に難易度の高い作品であることは周知の事実です。そのため、20世紀初頭の「現代音楽の古典」ともいえるこの作品にHIPを適用したこと自体、衝撃的な試みでした。
しかし、ストラヴィンスキー自身が残した自作自演盤を踏まえると、初演時の音響を追求するとしても、作曲者自身の解釈が録音を通じて存在する中でHIPを適用するのは、非常に難しい挑戦といえるでしょう。
ロトだけでなく、2024年初頭に同じくHarmonia Mundiからリリースされたパブロ・エラス=カサドとバンジャマン・アラールによるファリャの《チェンバロ協奏曲》も同様の例です。この作品は、ワンダ・ランドフスカがチェンバロ復興の一環として作曲家たちに委嘱した一連の作品の一つであり、プレイエル社製のランドフスカ・モデル(モダン・チェンバロ)で演奏されました。
録音ではランドフスカ・モデルの修繕された楽器が使用され、その独特で野太い響きが特徴的でした。しかし残念ながら、奏法は現代チェンバロのメソッドに基づいており、ランドフスカ時代の演奏法(ピアノ的アプローチ)とは異なっていました。
ロトやエラス=カサドの演奏は、単なる「勉強不足」というよりも、音楽に対する姿勢の違いを如実に表していると言えるでしょう。同様に、2024年にフィリップ・フォン・シュタイネッカーとマーラー・アカデミー管弦楽団が録音したマーラー交響曲第9番も、異なる解釈のHIPとして論争の的となりました。
シュタイネッカーの演奏ではヴィブラートを控えめにし、ポルタメントを多用するなどの「HIP的な振る舞い」が見られました。しかし、マーラーの交響曲第9番が書かれた20世紀初頭は、HIP運動が嫌悪してきたロマン主義的な演奏様式が主流の時代でした。このため、もしその時代の演奏を追求するのであれば、HIPの理念自体が矛盾を孕む可能性があります。
またマーラーの交響曲第9番も1912年初演の作品ですが、この初演を担当したブルーノ・ワルターとウィーンフィルによる1936年の録音というものも存在します。
特にマーラーやリヒャルト・シュトラウス、イゴール・ストラヴィンスキーの作品は、当時のロマン主義的演奏様式を前提に作曲されたものと考えるべきです。録音史からもその事実は明白で、作曲者自身の自作自演や、その後の演奏家たち、特に作品の初演者たちのアプローチからも、音楽の解釈の変遷が如実に示されています。
もしHIPの理念が「ロマン主義的解釈を排除し、歴史的演奏法に基づく演奏」を目指すものであるとすれば、ストラヴィンスキーやシュトラウスによる自作自演やブルーノ・ワルターによる1930年代のマーラーの録音との違いをどう説明するべきでしょうか。
HOP論 あるいはロマン主義的なHIP
今日のHIPは、その本来のイデオロギー的な出発点である「歴史的知識に基づく」という理念が薄れ、むしろその演奏様式が生み出す独特の素朴な響きに魅了された人々が、リヒャルト・シュトラウスやマーラー、ストラヴィンスキーといった近代作曲家の作品に取り組む姿が目立つように思われます。
もしこれが真摯な試みであるなら、それはロマン主義的な傾向に他なりません。一方で、もしそうでないなら、勉強不足か、もはやHIPではないと断じる方が妥当でしょう。この状況を踏まえ、改めて「HIP演奏の本質とは何か」を考えざるを得ません。
HIPとは、作品が持つ歴史性や「真実性(オーセンティック)」を追求する演奏運動です。しかし、音楽は絵画や小説と異なり、一度発された音はその痕跡を残さないものです。したがって、17〜19世紀の音楽については、録音技術が普及する以前の真実性を正確に知ることは不可能です。だからこそ20世紀の録音技術の普及により、「歴史的録音」が本来であればHIPにおける有力な参照点となるべきでした。
HIPの出発点に立ち返ると、この運動は20世紀初頭におけるバッハやヘンデルの演奏が楽譜や編成を無視していたことへの反発から生まれました。その対象は主に17〜18世紀のバロック音楽でした。当時の運動家たちは、自分たちの理念が100年後に近現代音楽にも適用されるとは夢にも思わなかったでしょう。
問題は、現在のHIPが「ロマン主義的なHIP」として変質している点です。この新しい演奏様式が「HIP」と呼ばれるべきかどうかには議論の余地があります。例えば、録音の多く残る近現代の作品に古楽的な演奏技法を適用し、それをHIPと称する行為は、歴史的知識を見落としているように見えます。
こうした事例は過去に例を見ません。そのため新しい名称が必要です。
これをどう呼ぶかどうかは目下、議論の余地があるわけですが、これを私は「歴史的知識を見落とした演奏 (Historically Overlooked Performance)、HOP」と呼びたいと思います。
HIPに対するHOPだなんていうのは半ば冗談ではありますが、その演奏様式がHIPの理念から逸脱している点を指摘するには有効です。特に録音が存在する近現代作品に対して、当時の演奏様式、延いては歴史的録音の再現を目指さずに18世紀までの作品演奏上の研究から見出された様々な演奏技法を適用することは、HIPではなくHOPと考えるべきでしょう。
今日のHIPの課題は、HOPがHIPの一部として受け入れられ、かつその上でHOPのような演奏様式がHIPの先端としてその存在を放任されている点です。
かねがね主張してきたようにHOPというものはHIPとはその運動上のイデオロギーを違えることから本来同一視されるべきではない運動であると見るべきでありますから、このHOP、またそう名称しないまでも「ロマン主義的なHIP」にはそのための名称を与え、少なくともHIPとは異なる演奏様式であることを主張しなければいけません。
また、HOPではないHIPの演奏としてこうした近現代の作品を取り扱うためにも、HIP自身が否定し忘却した20世紀初頭におけるロマン主義的演奏様式が果たしていかなるものであったのかを見つめ直さなければいけません。
HIPが「一周した」と言える状況が見えてきたのかもしれません。本来、当時の演奏を再現するという試みは特定の時代に限定されるものではありません。バロック音楽やそれ以前の作品、古典派やロマン派、さらには近代作品まで、シュトックハウゼン、ブーレーズ、トリスタン・ミュライユといった20世紀末の作曲家の作品も、初演当時の演奏様式を探求する意義を持つのです。もちろん、今日の演奏は「現在の演奏」として存在しているため、これを再現するというのは、ある意味「日常的な演奏」をすることに過ぎません。しかし、100年後の未来の演奏者たちが改めてシュトックハウゼンらの作品を演奏しようとする際には、まず最初に当たるべき資料は録音となるでしょう。あるいは、映像記録もまた重要な資料となるかもしれません。
音楽の記録手段が楽譜や教則本といった紙媒体から録音へ、さらに映像へと移行していったように、当時の演奏様式を知るためのアプローチもまた変化しています。これは、絵画が写真に置き換わることで情景の記録方法が進化したのと同様の変遷です。
近現代の作品においてHIPを実践する場合、録音の存在は欠かせないものです。録音は、演奏様式の「答え合わせ」が可能な資料を提供し、それに基づく演奏は明確な基準を持ち得ます。このように「答え合わせが可能なHIP」という特性を持つ近現代作品における演奏では、一定の基準に沿った立ち振る舞いが求められます。しかし、こうした基準を無視した演奏や解釈は、まさにHOPであると言えるでしょう…。