「百姓は、生かさぬように、殺さぬように」
胸を張って言えることではありませんが、私パラディソは学生時代にしっかりと勉学に勤しんだかというと、そうではありませんでした。(かあちゃんごめん)
日本史や世界史は定期テストの為だけの暗記しかしてこなかったので、大人になり、脳ミソに残っている情報は皆無に等しい。
ただ、今になって日々感じることや、考え事を整理する際に、色々調べモノをしていると、実に面白い情報や歴史的な背景に出会うことがあります。
江戸時代にさかのぼる
例えば、江戸時代に「百姓は、生かさぬように、殺さぬように」という江戸幕府の言葉があったようです。
”慶安の御触書”という今で言う法令のようなものがあったらしく、そこでは、、
「幕府の出す法令を守り役人に従うこと」
「朝から晩まで気を抜かないで働くこと」
「米を食べないでヒエやアワを食べていろ」
などが記されていて、年貢(今でいう税金)を搾り上げ、農民の生活を厳しく統制していました。
このようなものが制定された背景には、大きく2つの事象があるようで、ひとつは将軍が変わった(徳川2代目⇒徳川3代目)こと、二つ目に飢饉(不作)が起こった事だそうです。
時代背景や状況は分かりませんが、何があったとしても、控えめに言ってクソ・オブ・クソな法令ですね。
現代を考える
さて、現代を生きる我々ですが、私は慶安の御触書は遠い昔の他人事とは思えず、不思議な感じを覚えます。
日本国憲法には「国民の三大義務」として以下が記されています。
教育の義務
勤労の義務
納税の義務
なかなか手厳しい内容。特に”勤労の義務”が重いです。
なぜ”権利”までで止めなかったのか?このあたりを考えていきます。
社会構造を考える
日本という資本主義社会の国家を成立させるには、集団の中から権力者が出てくることは言うまでもないですが、権力者が権力者であり続けるため、従順な家臣、警備員(主に官僚や公務員)が必要で、更に資本を駆使し物質的な豊かさを作り出す資本家や高度な知識を駆使するインテリ層、はたまたブルーカラー労働者と言われる大衆など多様な役割を全うする人達が必要になっています。
要するに、一人ひとりが社会の歯車としての役割を担い、社会全体を動かしていくと言うことですね。
このように社会を構成する為に必要な役割をそれを構成する一人一人が担わなければ、社会として成立しないので、国民は納税だけでなく、勤労の義務を負うとされているのだ、と理解しています。
ここまでくれば、残りの教育を受けさせる義務も合点が行くところがあって、国の教育システムとはそのような役割貢献者養成所であって、社会を回す人員を育成するために存在していると考えるのが自然な流れですね。
当然、少数で権益を握る権力者や資本家になるためのプログラムは用意されません。
そこで評価システムは、「命令に対し考えず、文句を言わず、言われた通りに、サボらず、欲しがらず、従順に行うこと」が評価されるものになるはずですね。
サラリーマンシステムの駆動原理
ここまで書いていると、少し絶望感が漂ってきますが続けますね。
サラリーマンという労働者は、ホワイトカラー・ブルーカラー問わず、労働者としての役割を担います。
労働者の役割とは、雇用主である資本家の資本を拡大するお手伝いと言い換えても良いでしょう。
高給を貰いタワマンに住んでベンツに乗っていようが、ギリギリの生活をしている人であろうが、そこは変わりません。
死ぬまで勤労して納税して次の納税者を教育していく社会システムの一部です。
少し前に流行したFIRE(生涯賃金に匹敵する額を稼いで、あとは資産運用をして生活費用を賄い、働かない)のような道を選ぶ人達が多く出てきてしまうと、国が成立しない。
今後、国家として潰しに来るのは「FIREの様な生活をしている人、しようとする人」だと思います。
NISAの拡充や資産所得倍増計画という耳障りの良いことを言い放っていますが、これは間違いなく、見せかけです。
どこかのタイミングで、資産課税の大幅な強化をしてくる筈です。しかも、資本家や政治家の抜け穴をしっかり作った上で。
まとめると
「百姓は、生かさぬように、殺さぬように」という思想は、現代にも脈々と受け継がれています。
「国民は、生かさぬように、殺さぬように、国外に逃げ出さないように」をモットーに政策決定してくると思いますし、資本家や権力者に幾ばくかの果実を与え、多くの平民から搾取し続けると思います。
1649年から約400年間続いてきたシステム。
イチ個人としては、それらを作り変えるのではなく、どう攻略するのか?
そればかりを考えています。
おしまい