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Re: 【短編小説】1/4000

 16ozのグローブを外してバンテージを解くと、ようやく手が空気を吸ったような気がした。
 したたる汗を拭いたタオルよりも、汗を吸ったシャツを脱いだ方が良いかも知れない。
 空調の風が当たる位置に立って身体を冷やしていると、GKジェット佐久間がトランプを切りながら笑って言った。
「あまり冷やし過ぎるなよ」


「ちょっとは休ませろよ」
 俺は目を閉じて風を受けながら答える。
 こう言うのは休み過ぎると身体がキツくなるのは分かっているが、少しは休まないとやっていられない。
 うんざりした気持ちでGKジェット佐久間が持っているトランプに目をやる。
 あぁ、一番イヤなトレーニングだ。

 GKジェット佐久間が一枚の札をめくる。
 ハートの5が出た。
「GKジェット佐久間、腕立て5回」
 俺が言うとGKジェット佐久間が5回の腕立て伏せをして、次の札をめくった。
 クラブのキング。
「次、レッドレイン加納スクワット13回」
 俺はスクワットを13回。上下する度に空調の風から外れて、体を熱が支配する。


「これ、ジョーカー出たらどうするんだっけ」
 俺はGKジェット佐久間が指を降りながら数えているのを見つつ訊いた。
「死ぬ」
「本当は?」
 ハムストリングが切れそうになる。
 いや、筋繊維を破壊しているのは間違いない。
「バーピー10回」
「嘘」
「いま思いついたけどそう決めた」
 GKジェット佐久間は笑った。


 俺が13回のスクワットを終えて立ち上がると、GKジェット佐久間はやれやれと言った顔で次の札を促した。
 スパーリング後のスクワットは筋肉に厳しい。拳で太ももを叩きながら次の札をめくる。
「でもさ」
 俺はそこで言葉を喪う。
 出たのはダイヤのエース。
 笑いながら腕立てを1回やったGKジェット佐久間がめくった次の札はクローバーのキングだった。


 俺はため息をついてからスクワットの姿勢に入る。諦めは必要だ。
 とりあえず俺は、そのスクワットを受け入れるしかない。
「でも、まぁそういうもんだよな」
 相変わらず指折り数えるGKジェット佐久間は、全く表情を変えずに「何が」と言う。
 その視線は俺の太ももが床と並行になるまで落とせているか見逃す気は無さそうだった。


 ゆっくり過ぎず、だが速度は抑えつつスクワットをしながら答えた。
「これだけ人間がいてさ、例えば1日に4000人くらい死ぬ訳じゃん」
「え、そんなに死ぬの」
 GKジェット佐久間は少し驚いた顔をした。
「日本だけでな」
「何人産まれてるの」
「いや、それはまた別問題だけど」
 スクワットを終えてカードをめくる。
 スペードの8が出る。
 GKジェット佐久間はすぐさまスクワットを8回やって立ち上がる。どこにそんなスタミナがあるんだ?

 俺もそろそろ煙草をやめるか、そう思いながらGKジェット佐久間の手元を見つめる。
 カードはダイヤの8。
「こうやって……カードをめくるみたいに」
 俺は腕立てをしながらどう説明しようか考えた。
「カードをめくるみたいに、ジョーカーが出るみたいに、死ぬんだよな」
 実際に死がどんなものかは知らないが、事故死だとかってのはそう言うもんだろう。

 GKジェット佐久間は茶化すように笑う。
「別にバーピーやったって死なないでしょ」
 めくったカードはジョーカーだった。GKジェット佐久間は
「訂正する、死ぬかも知れない」
 と言ったが、10回のバーピーを終えると短い息を吐いて「よし、次」と気合いを漏らした。
 俺はGKジェット佐久間のめくる札を見てから、腕立ての姿勢を取った。

 その後も俺たちはトランプをめくりながら筋トレをする。
「まぁ実際は死ぬなんて思わないし」
 スクワット13回
「ジョーカーが出るとは誰も思わないわな」
 腕立て2回
「そう、この山の中にジョーカーが混ざってると俺は思ってなかった」
 腕立て2回
「アイアン加藤さんがジョーカー入れるんだよ」
 スクワット10回
「あの人はどういうルールでやってんの」
 スクワット11回
「確か二人で腕立てとスクワット10回じゃなかったっけ」
 スクワット9回
「ならバーピーの方が少し楽……かも」
 腕立て5回

「でもさぁ、ジョーカーが出ていきなり死ぬのは厭じゃん」
 腕立て
「あ、その話にもどる?まぁいいけど、そりゃそうだ」
 腕立て
「だから、毎朝こうやってカードをめくって」
 スクワット
「うん」
 腕立て
「ジョーカーが出たら死ぬってのにしたら」
 スクワット
「うん」
 腕立て
「納得できるかな」
 腕立て
「できないだろ」
 腕立て
「毎朝違うカードの山があっても?」
 腕立て
「なんか厭だな」
 腕立て
「でも死ぬんだよ、毎日4000人」
 スクワット


「事故で?」
「事故とか病死とか全部含めて」
「毎朝めくらなきゃダメ?」
「明日2枚めくりたくないでしょ」
「明後日になると3枚」
「まぁ確率は変わらないけど」
「それ40日後くらいに絶対死にそうじゃん」
「毎回違うデッキ」
「迷うなぁ」
「でもそんなもんなんだと思う」
「納得できないなぁ」
「納得して死ねる奴なんていないでしょ」
「そりゃそうか」

 その後はしばらく無言で山を減らし続けた。手足の筋肉は腫れあがり、熱を持っていた。
 この満足感があるうちに死ねるなら、それはそんなに悪くない気もした。

 GKジェット佐久間がめくった最後の札はジョーカーだった。
「これは死ねるな」
 俺たちは笑った。
 空調だけが静かに風を送り続けていた。

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