平岡家三代の蔵書。(三島由紀夫はどんな本を読んでいたか?)
どんな作家とて最初は読者からはじまり、作家になった後もたいていは生涯本を読み続けるもの。三島読者ならば、いったい三島がどんな本を読んだのか、関心を持たずにはいられない。三島の愛読書はラディゲ、コクトー、プルースト、はたまたオスカー・ワイルドが有名ながら、しかし、あくまでもそれは氷山の一角に過ぎません。そもそも三島は日本の古典もコドモの頃からしっかり読み込んでいて、はたまた文化全般についての途方もなく大量な読書が三島の精神の土台になっていることでしょう。なにしろ三島は神羅万象すべてを理解していないと気が済まない人だから。
では、果たして三島はどんな本を読んでいたのか? 三島はあの有名な白亜の殿堂と、両親が住む日本家屋を建てたのみならず、ちいさな書庫も建てた。果たしてそこにどんな本が収蔵されていたかしらん? こういう話題になると誰がプロかと言えば、著者と昵懇の古書店である。三島の没後、瑤子夫人は三島の世界をあまねく広く知らしめるため、この蔵書をどうすれば理想的であるのか悩んだ。懇意の古書店主人も同様である。そんななか山中湖に三島由紀夫文学館を作る計画が生れ、あろうことか自決事件で大迷惑をこうむった防衛省も協力を惜しまなかった。なお、防衛省は山中湖に演習場を持っていた。三島由紀夫文学館は1999年に誕生し、初代館長には批評家であり東大名誉教授でもあった佐伯彰一氏が就任した。
ただし、そんな三島由紀夫文学館とてスペースに限りはあって、厖大な三島の蔵書のすべてを収蔵するわけにはゆかない。結果、三島の蔵書は三島と関係のあった古書店で売られることになる。
ぼく自身はただ貧乏な、過去百年間に出版された、いわばちょっと探せばどこででも買えるような本を読む読書好きであるだけで、けっしてそういう由緒正しい古書を大枚はたいて買い集めるような人間ではない。そういうのは読書家の医者と歯医者にまかせておけばよい。とはいえ、そんなぼくとて三島の蔵書はたいへん気になる。
さて、日本文学好きにとって神保町と言えば、靖国通り添いの三茶書房と八木書店である。三茶書房が由緒正しい古書店であるのに対して、八木書店は出版部も持ちつつ古書店経営もしていて、両者の経営方針はまったく違う。ぼくは両店ともどもにお世話になっています、たいしてカネは落としていないけれど。
先日ぼくは三茶書房で佐伯彰一著『評伝 三島由紀夫』(新潮社刊)を買い求めつつ、9月後半だというのにまだまだ暑いですねぇ、なんてTシャツ姿の高齢のご店主と挨拶を交わしたところ、ご店主はぼくが三島好きであることをご存じゆえ、ぼくが過去一カ月間来店十数回めにしてはじめて、奥の秘蔵の棚に並んでいる本の一部を見せてくだすった。なんとそこには平岡家三代の蔵書が新たに作った紺の布張りの上品な包装箱に収められたり、はたまた本を保護するため新聞紙に包装され、ずらりと並んでいるのだった。なお、そこにけっして平岡家蔵書などという表示はないゆえ、客は誰ひとりそこが宝物の一角であることに気づけない。
この日のぼくはベレー帽をかぶり白のツナギにスカーフを巻いて、赤いスニーカー姿であり、ご店主はそんなぼくが高額稀覯本を買うような客でなどないことを承知の上で、にもかかわらず気さくにその一部を見せてくれた。三島が読んだ本のページには、三島が気になっただろう個所に赤鉛筆で優しく傍線が引かれていたり、日本語の本であれば段落の頭に赤鉛筆で小さな点がつけられていたりする。おそらく平岡家は三代に渡って同じ本を読み、さらには各人各様に自分が買い求めた本を付け加えていった。本にはすべて蔵書印が押してあって、小さな印鑑が多いものの、なかには三島が買った本のなかには EX-LIBRIS KIMITAKE HIRAOKA などという横長の印が押してあるものもある。なお、EX-LIBRIS とは蔵書の意味である。
祖母・なつの蔵書には『近松世話浄瑠璃』がある。父親・梓の蔵書には Studies of Life なる本がある。横組みの英文の上下に鉛筆でちいさく訳語が宛ててあって、梓の几帳面で神経質な性格が伺える。また、梓の本のなかにはドイツ語で書かれた古代ギリシアについての本もある。17歳で早世した三島が溺愛した美津子の蔵書には『芸術の歴史 Ⅰ』がある。三島の蔵書にはありとあらゆるジャンルの本があって、そのなかに吉田健一訳詩集『葡萄酒の色』があることは驚くに値しないけれど、注目すべきは『群虎彦全集』である。群虎彦は三島にとって明治・大正に活躍した学習院の先輩であるのみならず、群虎彦は世紀末のヨーロッパ文学に惑溺した作家でもあって、おそらく三島研究には重要な作家でもありそうだ。ぼくはおもわず溜息をついた。
三茶書房のご店主は言った、「みんな瑤子さんのことを悪く言うけどね、でもね、没後の瑤子さんの三島文学への貢献は計り知れませんよ。もしも瑤子さんがいなかったなら三島の蔵書もなにもかもみんな散逸してましたよ。そう言えばね、瑤子さんは運転免許Bライセンスを持ってらしてね、わたしが佐伯先生や瑤子さんを乗せて用心深く運転してると、瑤子さんは助手席でわたしの運転にいらいらしちゃって、手を伸ばして勝手にカーラジオをつけたりするんですよ。でもね、瑤子さんは気風が良くて気持ちのいい人でしたよ。」
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