私が占い師になったワケ(闘病記⑪取り戻したレントゲン写真 25歳~28歳)
2005年12月14日。
私は今。今まで通っていた病院から取り寄せたレントゲン写真を見ている。
その中でも最も新しい画像は、2000年6月12日に地元では有名な整形外科で撮ったものである。
首のレントゲン写真が4枚あった。
確かこの頃は酷い肩こりのような痛みに悩まされ、整形外科を受診したのを覚えている。
その時に撮ったレントゲン写真で私は首の骨が1つ多いことが分かった。
それから2000年6月27日に足の甲の骨を両足レントゲン撮影している。
その後、東京へ引っ越し、この病院を受診することはなくなったが、病気が悪化し、東京での1人暮らしを断念した私は実家に戻ると2005年1月7日に両足のレントゲンを撮っている。
実はこの頃から占いの勉強を独学で始めたと言うことを前回の記事で書いたのだが、この頃の私はまだ占いが好きと言っても、雑誌の星占いを読んだり、東京の占い館に通って、占いを楽しむ程度だった。
そのため、途方に暮れた私は、地元で有名な「霊能者」のもとを訪れたのだが。
その時言われたのが「九星気学が1番簡単だから九星気学を学ぶと良い」と言うことと「病院選びに迷っているのであればこの病院へ通うと良い」と言うことだった。
私は半信半疑だったが、霊能者が指定した病院へ電話した。
するとどうでしょう。
この病院の整形外科には、私が東京に住み始めた頃、生まれて初めて座薬を処方してくれた先生がいた。
すぐさま病院へ向かい中待合室で待機していると「この足、僕、見たことある」とレントゲン写真を見ながら看護師さんへ話している先生の声が聞こえてきた。
先生の話では、奥様の実家がこちらにあると言うことで、いずれ開業する為、私の家の近くの病院へ移動してきたそうだ。
先生が開業してからは先生の病院へ通うことになったのだが、2002年9月17日に先生がまだ東京の病院へ勤めていた頃、はじめて先生の指示で撮ったレントゲン写真と2005年に撮った両足の骨のレントゲン写真を照らし合わせて見てもらったが、レントゲン写真上はあまり変化が見られないと言うことだった。
次に主治医に診てもらったのが、2002年12月2日。
私をレントゲン泥棒扱いした都内の有名な大学病院の整形外科で撮ったレントゲン写真である。
2003年3月7日には、この大学病院でMRI検査をしていた。
右足のみ検査をしているようで、6枚ほどの画像が出てきた。
2004年1月15日には、大学病院での受診をやめ、東京の総合病院へ通い始めると、アルトログラフィー(関節造影検査)をしており、この時の画像も6枚ほどある。
さらに2004年5月27日には生まれて初めて右ひじに激痛が走り、関節に水が溜まるようになったので、右ひじのMRIも撮っている。
5枚ほどレントゲン写真は出てきたが、これを見る限り、関節に水が溜まっていることはわかるが、原因まではわからないようだ。
この時の主治医は「なんだかよくわからない病気のことを僕らはまとめて膠原病と言っている」と教えてくれた。
この時に書き記していたメモには、私の検査結果の大半は、東京の総合病院へ預けており、東京での生活を引き上げるのを機に再び各病院でおこなわれてきた検査結果を自分のもとへ置くこととなると書かれていた。
2002年12月21日は、痛み止めの座薬を初めて処方してくれた病院で採血を行っており、2003年3月25日は、都内の大学病院で装具を作ることになり、装具を作る際には病名が必要なので、「疾患名 変形性足根骨関節症」と書かれている。
2003年5月19日。
地元の小さな病院でアレルギーの検査を受けており、このときはスギとヒノキしか引っかからなかった。
病歴が長くなればなるほど、主治医との付き合いも長くなるのだが、実はこの時アレルギー検査を行ってくれた皮膚科の先生は開業してすぐに亡くなっており、東京の病院で初めて私に座薬(ボルタレンサポ・50mg)を処方してくれた主治医も40代の若さで数年ほど前に亡くなり、私が通っていた病院は閉院してしまった。
本来ならば病気に関する記事は、私にドクハラをした先生など、すべての医師が亡くなってから記事にしようと思っていたのだが、その時を待っていたらこちらが先に死んでしいそうなので、実名こそ公表はしないが、今まで私が体験した事実だけは、この場をお借りし。
残しておきたいと思うようになったので、noteがあって本当に良かったと思う。
昔書いたメモを読むと2003年9月12日は東京の駅前クリニックで採血をしており、この頃から新横浜の診療所で民間療法を始める、と書かれていた。
このときの主治医は「脱ステロイド派」だったので、毎回通うたびにサプリメントを買わされて、ステロイドをやめなければあなたの病気は治らないと脅されていた。
もちろんサプリメントも高額なので、それだけで私の病気は治ると思えず、何年か通ったような気もしたが、とにかく保険が効かないので、私の所得では通いきれなかったと言うのが現状である。