『ルート225』を読んだのだよ。
「ただいま。」
そう言って家に帰れることは本当は奇跡なんだということを、今ほど切実に噛み締める時はないだろう。
私の暮らす家は相変わらずここにあり、
家族もいて、それぞれに好きなものがあって、
昨日も顔を合わせ今日も食卓を囲んだ。
ウイルスが蔓延する前とは
明らかに世界が変わってしまったけれど。
⌘
藤野千夜さんの小説
『ルート225』を久しぶりに読んだ。
今の状況とリンクするところが多く、
昔に読んだ時とは全く違う読後感だったので
備忘録として綴る。
この小説に出てくる姉弟は
家族と他愛もないやり取りをする
普通の中学生だ。
姉弟はある時突然、
今まで暮らした家に
帰れなくなってしまったのだった。
いや厳密に言えば、家はある。
友達もいる。
けれどすべてが微妙に異なる
パラレルワールドのような世界に
来てしまったきり戻れない。
高橋由伸が少し太っていたり
死んだはずの
弟の友人が生きていたり
パパとママがいなかったり。
「現実のママ」とは
テレホンカードを使う公衆電話でだけ
繋がることが出来た。
それはつまり、
ここが「かりそめの世界」だということを
強烈に示しているのだった。
本当のパパとママは
確かに別の世界に存在していて
姉弟のことをひどく心配している。
⌘
私もある意味普通に暮らしては、いる。
太陽は今日も昇り、一日は始まる。
でもマスク必須だったり、
観光地が閉鎖されたり、
あるのが当然でそこへ行くのが習慣になっていた食べ物屋さんが、
ふっと店を畳んでしまっていたりして。
確実に以前の世界とは違う中で暮らしている。
主人公の少女は
現実の世界で疎遠になってしまった友達と、
こちらの世界では仲直りしたことになっていたのだった。自分にはその記憶はないけれど。
「本当の気持ちを話してくれてありがとう」
という手紙を友達から受け取っていたから、
現実ではなし得なかった
「本当の気持ちを話す」ということを
少女はこちらでしていたことになる。
足りなかった言葉。
出来なかったこと。
かりそめの世界だけれど、
現実よりも勇気をもって踏み出していた。
悪くないじゃないか。
⌘
私達は
あのウイルスのなかった世界には
戻れない。
終息して穏やかさを取り戻しても、
失われたものは確かにあるし、
生きていく上での心構えそのものが
変わっていることだろう。
そして「当たり前」が
どれほど尊いものだったのかを
胸に刻んで生きていくことになる。
この姉弟は
パパとママのいない暮らしを続けられるわけもなく、姉弟離れ離れに引き取られ
かりそめの世界で生きていく決心をする。
戻ろうともがいても戻れない。
ならばなんとかここに体と心を馴染ませて
いくしかない。
あちら側で待っているであろう
パパとママとも、お別れだ。
唯一の連絡手段のテレホンカードの度数も
切れたのだから。
取り返しのつかなさに
心がしん、としたけれど、
ここで生きる、というやるせない決断は
希望でもある。
曇り空から漏れる
たった一筋の光のような希望だけれど、
明るいことに変わりはない。